岩手県奥州市江刺玉里玉崎。玉崎駒形神社(玉崎神社)・玉崎館跡。県道8号水沢米里線と人首川を南方に見下ろす高台に鎮座。
源義経が実は平泉で死なずに落ちのび、この神社に詣でて武運長久と道中の無事を祈願したという義経北行伝説があり、義経にまつわる品々を保存しています。
江刺三十三観音第三十三番札所(玉崎観音堂・十一面観音)標柱。江刺七観音霊場元玉泉院、江刺八十八ヶ所第四十三番札所の玉崎山にもなっています。
新奥の細道、伝説義経北方コースのみち(2)…『このコースは、玉里玉崎神社から伊手岩明地内に至る全長7.5kmの自然歩道です。起点の玉崎神社は、平泉を脱出した義経主従が道中の安全を願い5日間参籠したとされています。中間地点には、かつて、4ヶ村(次丸、角懸、横瀬、浅井)の境界であった「四ツ塚」があります。田園地帯を東に進むと、浅井智福愛宕神社「兜跋毘沙門天立像」が国指定の文化財として残っています。北上山系の山々と、奥羽山脈の連山を見ながら、約3時間堪能できるコースです。』※「玉崎神社~四ツ塚~兜跋毘沙門天~岩明」の地図です。
伝説義経北行コース「玉崎神社」…『悲劇の名将と世にうたわれた源九郎判官義経は、兄の頼朝に追われ、文治5年(1189年)4月、平泉の高舘において31歳を一期として自刃したが、短くも華麗だったその生涯を想い「義経はその一年前にひそかに平泉を脱し、北をめざして旅に出た」という伝説を作りあげたのである。世にいう「判官びいき」であろう。その伝説の一つに「平泉を脱出した義経主従が、その途中、この玉崎神社に武運長久と道中の安全を祈願するため五日間参詣した。当神社の社宝として保存されている経文、太刀、槍などは義経ゆかりの品々である」と伝えられている。静寂な森と人首川の静かな流れとを落魄の武将義経の心に捧げ、なぐさめようとして語りつがれた伝説であろうか。岩手県観光連盟設置、奥州市平成21年改修』
玉崎館跡(江刺市玉里字玉崎)…『万松寺山(225メートル)の南東端に位置している。別名マトバ館、高城ともいわれている。「仙台領古城書上」には、東西36メートル、南北23.6メートル。城主は次丸道海入道とある。館は東、西、南、ともに急崖である。北方には空掘が二重に残されている。城主の次丸道海入道は、江刺氏の家臣といわれ、葛西氏の家臣でもある。この館の前身は蝦夷館であったといわれている。-鎌倉時代-』
不明の石。
鳥居。
参道。
標柱付の石碑。
たぶん「南無観世音菩薩」と刻まれています。他は読み取れません。
こちらは「南無阿弥陀佛」かな。紀年銘は頑張れば読み取れそうです。
こちらの建物は不明。
ほぼ崩壊していますが。
参道。
石碑。読み取れず。
石碑「江刺三十三所観世音」
参道。
こちらも江刺三十所観世音の碑。紀年銘は大正15年3月17日。
少し開けた場所。ちなみに並行している車道もあります。
こちらの変わった形の石も不明。
天照皇大神。
昭和13年9月17日建立。新渡戸僊岳敬書。
碑の裏手に数基の石碑。ちゃんと見てません。
かつては社殿があったようですが今は階段のみが残っています。
長くなりましたので『玉崎神社(奥州市)~其之弐』へ続く…
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