岩手県胆沢郡金ケ崎町西根鶴ケ岡。鶴ケ峰熊野神社。
「村社熊野神社參道開通・鳥居建設記念」(昭和14年10月17日)
参道。
熊野社橋(平成2年3月完成)。宿内川を渡ります。
擬宝珠。
法雲寺が見えます。
ちなみに一之鳥居からではなく、法雲寺方面のこの看板(下の写真)から向かった方が近いです。車で行けます。
参道石段。
二之鳥居。
社号標「金ヶ﨑総社熊野神社」(二級社昇格記念、昭和48年10月17日)
狛犬一対(紀元二千六百年記念、昭和15年10月17日)
「岩手縣表彰、神社功勞者、小原常三郎碑」(昭和24年4月吉日)
当熊野神社は延暦20年坂上田村麻呂の勧請、葛西一族柏山伊勢守の普請とされます。御祭神は伊邪那伎命、伊邪那美命。例祭日10月17日。
石灯籠一対。
三之鳥居。
四之鳥居。
五之鳥居。
灯籠一対(平成4年10月吉日、金ヶ崎鶴ヶ岡、菅原ミサヲ)
神楽殿。
公式HP及び神社庁等より。
御由緒…『延暦20年(西暦801年)坂上田村麻呂公の蝦夷征討のおり、公は士卒等を従え当地にさしかかった。その時、一天にわかにかき曇り、大木は倒され小石までもが吹き飛ばされるような凄まじい嵐となった。士卒等は蝦夷の首領悪路王の呪いに違いないと恐れおののき、一歩も前に進めなくなってしまった。田村麻呂公は日頃から信仰の厚かった熊野権現にご加護を一心に祈られた。突然、雲の切れ間から鶴が現れ一同の前に舞い降り、「御世万歳」と叫ぶと雲は晴れ渡り、荒れ狂っていた嵐もすっかり収まってしまった。これにより田村麻呂公等は難を逃れることができた。そして、熊野権現の神恩に感謝してこの地に建立された社が当神社の始まりと伝えられている。その後暫くは荒廃していたが、中世この地方を支配した柏山伊勢守によって再興され、修験の良善院により神仏習合の祭祀が明治まで続いた。そして、明治政府の神仏分離の方針によって修験は廃され、慈覚大師作の本尊不動明王は当社および当地方の堂宇の多くの仏像とともに焼き払われたと伝えられている。明治4年、西根地内の13社を合祀し、以来「合社」と呼ばれ現在に至っている。同年、大教宣布の詔により村社となった。西根地方には紀州熊野の本宮・速玉・那智の3大社と同様に現在も3社の熊野神社(当社・ 西根二ッ堤鎮座熊野神社・西根鶴ヶ沢鎮座熊野神社)が祀られており、熊野三所権現と称されている。平成18年に本殿、大鳥居などを改修した。』
ご神徳…『ご祭神は、我が国土をはじめとして様々のものをお生みになった夫婦神にして、ご神徳はあらゆる産業の守護、縁結び、夫婦和合、家内安全、交通安全など各方面から広く崇敬を集めている。また、10月17日の例祭には多くの参詣者が訪れ、その賑わいは当地方に類を見ない。』
【主な祭典行事】
1月1日午前0時-歳旦祭
1月3日午前10時-交通安全家内安全祈願大祭
1月15日午後2時-どんと祭
2月17日午後2時-祈年祭
4月25日午後2時-足尾山御祖神社例大祭
10月17日午前11時-熊野神社例大祭
11月23日午後2時-新嘗祭
12月29日午後2時-大祓式
12月31日午後11時-除夜祭
毎月17日午後2時-月次祭
木鼻。
拝殿向拝神額。
社殿前石灯籠一対(昭和61年10月吉日、茨城県日立市、菅原寧)
幣殿・本殿。
社務所。
石灯籠や石殿。
境内社の足尾山御祖神社。御祭神は国常立命、面足命、惶根命、氏子・崇敬者の祖霊。例祭日4月25日。
御由緒…『明治4年、熊野神社境内地に再興。昭和13年、社殿を改築した。明治以前については不詳である。昭和46年、氏子・崇敬者の祖霊を合祀した。』
ご神徳…『足腰など下半身の病気やケガの平癒、旅行安全、安産等。特に健脚を祈願してわらじを奉納する慣わしがある。』
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