岩手県遠野市青笹町糠前。笛吹峠。
笛吹峠は釜石市橋野町と遠野市青笹町地区の境にある峠です。鵜住居街道が通ります。標高862m。遠野盆地を囲む峠の1つで、遠野方面からは青笹を経て河内川沿いに六角牛山(1,294.3m)と権現山(970m)の鞍部と釜石市橋野町青ノ木に越えます。青ノ木には橋野高炉跡があります。遠野盆地から三陸海岸に通じる峠には北の界木峠(729m)、南の仙人峠(887m)がありますが、界木峠は現在さびれており、この笛吹峠と開通した仙人トンネルが主要ルートになっています。現在は改修されて主要地方道釜石遠野線が通りますが、昔は急坂の難所峠でした。弘化4年(1847)野田通の農民が一揆を起こしたときは、1万2,000人の集団がこの峠を越えて遠野城下に押しかけました。峠名については上閉伊郡志に「冬季吹雪の候にはしばしば方向を誤りて危難を招くことあり、笛吹の名称はふぶきより出でたる転訛なりといふ」とあり、遠野物語拾遺には、昔青笹村に1人の少年が住んでいたが、継母に馬放しにやられ四方から火をつけられた。その少年が笛を吹きながら焼け死んだことからそこを笛吹峠と呼ぶようになったという。また昔、按摩を業とする盲人が雪降りの夜に宿を求めながら歩いていたが、宿を得られず遂に峠道に迷い込み谷底に転落して死ぬまで笛を吹いていたという話から笛吹峠と呼ぶようになったという伝説もあります。
笛吹峠、県道35号釜石遠野線沿いに鳥居があったので寄りました。
鳥居額束には「不動明王 昭和五十年五月吉日 山田町 長澤久雄」とありました。
石殿一基。
由緒等については調べておりません。
不動明王を刻む石碑。
大正14年4月8日と刻まれていました。
少し離れまして、伝説義経北行コース「笛吹峠」。
住所的には岩手県釜石市橋野町。
『悲劇の名将と世にうたわれた源九郎判官義経は、兄の頼朝に追われ、文治5年(1189年)4月、平泉の高館において31歳を一期として自刃したが、短くも華麗だったその生涯を想い"義経は、その一年前にひそかに平泉を脱し、北をめざして旅に出た"という伝説を作り上げたのである。世に言う「判官びいき」であろう。その伝説の一つに"平泉を脱出した義経主従は、仙人峠を経て、大峰山、六角牛山の峰を伝いこの笛吹峠を越え、鵜住居川に沿って海辺へ出た"と伝えられている。この笛吹峠は民話が多く、柳田国男の名著「遠野物語」にもこの名が見える。岩手県観光連盟』
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