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青森県三戸郡新郷村戸来前鹿田。県道220号(石無坂鹿田線)沿い。戸来については弥栄神社の記事を参照ください。
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手水舎。
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こちらは石棒が祀られていますが何かは不明。
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石碑に「琴平大神」とあったので、金毘羅権現(大物主神)を祀る社かと思いましたが「天間神社」とありました。ちなみに十和田市ではテンマサマといってコンセイサマを祀っているところがあります。
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紀年銘等「大正9年3月10日福山房松、工藤藤松、工藤勘之丞、工藤由松」
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6.4
6.8
由緒等については調べていませんが参考までに…Wikipedia「天満大自在天神」より一部抜粋…『天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)は、没後の菅原道真を神格化した呼称、あるいは神格化された道真を祀る神社。天神信仰、天満宮の主神。祟り神で神仏習合した神。主に学問の神、雷神、仏法神、萬法神、天魔神として信仰されている。(中略)【女神】青森県南部地方で信仰されていたオテンマサマと習合したことにより、女神としても祀られた。習字箱のようなものを持った女性の姿だったという。(中略)【オテンマサマ信仰】青森県には、土着の山の神として祀られていたオテンマサマと、天満大自在天神が読み方の音韻上の類似から混同され習合したとする混淆信仰が存在する。【オテンマサマ】テンマサマあるいはオデンマサマなどともよばれ、青森県南部地方で広く信仰されていた土着神。テンマには、「天摩」「天魔(神)」「天間」「天婆」等の文字があてられる。この神は、中世以前の古い時代から信仰されてきた民俗神のひとつであり、その性格については不明な部分が大きい。性別は女神とされ男根信仰が盛んに行われた。おもにお産や病気の神、または子宝の神として祀られ、祟り神として畏怖もされた。尊容は、長い髪を垂らし右手に柄の長い鉞を左手には経巻を持つ、あるいは、天神と習合した習字箱のようなものを持った女性像が伝わる。御神体を、獅子頭(権現)によって表象しているものが複数件みられる。馬の神である馬頭観音とも混同された。【習合による伝承】後世には、天神と混同されたため天満宮に男性器を祀る信仰がそのまま受け継がれた。天神の学問や子供を守る神徳が新たに入り、天神を山の神として、または、京都からきた女神とし山の神の妻、もしくは、天神の脇侍に山の女神像を祀り夫婦・親子神として信仰されている。夫婦神として、山の女神との間に12人の子をもうけたという伝承もある。』
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本殿。
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天間神社建立記念…『昭和58年8月25日建立【建立者】鹿田部落【建築請負者】工藤建設工藤保美【建築金額】40万円【建築委員】委員長:福山吾一、副委員長:工藤昭治、会計:福山義正、委員:福山惠一郎、工藤ときゑ、福山さえ【奉納者】一金弐万円也:工藤昭治、一金壱万円也:工藤徳美、下村實、下村すみ、工藤清藏、福山幸助、工藤三千雄、工藤茂雄』
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