小さい頃は怖いもの知らずで危険な道を歩きたがる。
学生になったら好奇心旺盛で見知らぬ道を歩きたがり寄り道ばかりする。
大人になったら欲が強くなり、もっとお金が欲しいとか、出世したいという思いで、嫌でも辛くてきつい坂道やでこぼこ道を歩くようになる。
回りまわってお金や出世などはどうでもよく、退屈な日々よりは達成感を重視するようになり、好んで辛くてきつい坂道やでこぼこ道を歩くようになる。

年老いたら安全で平坦な道を歩きたがるようになるのかな。歩けるだけで幸せなのかも知れないけど。

流浪の民の私は見知らぬ土地において、わざわざ高低差のある土地(勾配・坂道)を歩きたがる。坂下からは見ることのできない坂上の先の風景を絶対に見たくなるし、曲がりくねった道の先も絶対に見たくなる。

坂道や曲がりくねった道には、現代においてもなお整地できなかった理由があるわけで、以て歴史を残していることが多い。それは所謂土地の記憶であり、それに伴う歴史遺産みたいなものである。事実、今もなお坂道を歩いていれば多くの神社仏閣・石碑等が残されていることに気付く。特に神社は多いかも知れない。

そんな生き方をしている中で少しずつ神社にもはまり(※宗教的にはまったのではなく歴史的に)、古事記や日本書紀を読んでは更にはまっていった。そして神社を調べるとその土地の歴史が見えてくることも多く、また、神社に行くと地元の方々と触れ合う機会もでき、より一層土地の歴史を知ることができた。まさに相乗効果が生まれていった。

そんな私にある日一つの衝撃的出来事が起こる。

青森県は津軽地方における鳥居の鬼コである。

あまりの衝撃に私はすぐに鳥居の鬼コについて色々と調べ始めたが、インターネット情報は皆無、資料・文献は「津軽における鳥居の鬼コ」(加藤慶司)のみ、鬼コについて触れている現地案内板も撫牛子八幡宮のみであった。

何かしらヒントを得たい私は、時間があればとにかく地図を片手に神社を巡り、土地の歴史や高低差をヒントに地図にも掲載されていない神社も探し始めた。

そして、結果として加藤慶司氏の「津軽における鳥居の鬼コ」にも掲載されていない鬼コがまだ存在していることを知ると同時に、鬼コのいる神社とその土地の特性との関連に少しずつ気付き始めていた。


私はまだまだ坂道やでこぼこ道を歩き続けるだろう。

これまでの行動と今後の行動についてブログという形で記録・広く公開することで、情報収集に努めるとともに、土地の歴史、神社や鳥居の鬼コについてより理解を深めようとするものである。


と、かっこつけてはみましたが、所詮素人の日記であり、今後どのようなブログになっていくのかは・・・

鬼のみぞ知る!