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「考えるな、踊れ。」のテーマに魅了され、世界的な祭典に参加してきました。
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開催場所はキリストの里公園(三戸郡新郷村戸来野月)
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第60回キリスト祭!(ナニャドヤラの祭典)
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神秘とロマンの里、新郷村のシンボルであるキリストの墓を慰霊するお祭りで、昭和39年から開催され、今年でなんと60回目を迎えます。第60回って凄くない!?
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さすがは世界的祭典とあって、日本全国はもちろん、海外からの参加者も多数。慰霊祭の前には駐車場がすべて埋まり、新郷村役場からのシャトルバスが何台も往復していました。
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イエス・キリストが新郷村に住み、新郷村でお亡くなりになったということは、ロマンではなく紛れもない事実です。案内板にも書いていましたし。
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慰霊祭が始まりましたが、世界中から人々が集まっておりますので、人混みで見えません。
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世界一の祭典といっても過言ではございません。
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奉納舞が始まりました。
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こちらが第60回キリスト祭のスケジュール。
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Wikipedia「ナニャドヤラ」より一部抜粋…『ナニャドヤラ(なにゃどやら)とは、青森県南部から岩手県北部にかけての地域及び秋田県鹿角地方の旧南部藩領内に伝わる盆踊り。盆踊りでの「はやし歌」の歌詞からとられた名称。「ナニャトヤラ」とも言われる。踊りに定型はなく、地域によって、あるいはひとつの地域に何種類も伝わっている。南部地方以外の人にはニャンニャンと聞こえたため、「南部の猫唄」とよばれていた。土地の老若男女が夜を徹して踊りながら歌い、この晩だけは普段思い合っている男女が夜陰にまぎれて思いを遂げることを許されていたという。【歌詞】「ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャドヤレ ナサレデ ノーオ ナニャドヤレ ナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨー ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャド」【歌詞をめぐるさまざまな説】①柳田國男説…民俗学者の柳田國男が岩手県九戸郡種市町の漁村・小子内(現洋野町小子内)に立ち寄り、そこで見た盆踊り「ナニャドヤラ」について短編「清光館哀史」に書き起こした。この短編は、一時期、高校の国語の教科書にも掲載された。柳田が村の娘に教わったというその歌詞は「なにヤとやーれ なにヤとなされのう」これを柳田は「何なりともせよかし、どうなりとなさるがよい」 と、祭りという特別な日に、男に向かって呼びかけた恋の歌、としている。②道歌説…青森県八戸市の中里義美の説。「なせばなる、なさねばならぬ何事も」のいわゆる道歌が、南部地方の方言によって今の形になった、とする。1949年、宮中に学士院会員が招かれた際、三笠宮崇仁親王が言語学者の金田一京助に対して「ナニャドヤラ」について質問した際に報告している。③ヘブライ語説…岩手県一戸町出身の神学博士・川守田英二が大正時代に唱えた説。青森県新郷村(旧戸来村)に伝わる「キリストの墓」伝説にからめて解釈された。ヘブライ語で読むと民族の進軍歌になる、とした。「ナギャド」は、「前方へ」という副詞と「指導者」という名詞になっているという。「ナサレ」は「掃蕩」という意味。そこで「ナギアドナサレ」は、「前方を掃蕩する」という意味だという。そこで進軍歌として、「御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を討伐して 御前に聖名をほめ讃えん」という意味だと発表した。この衝撃的な説は1950年代に一度全国的に有名になる。さらに1949年、金田一京助が三笠宮に別の説を報告した時、川守田は東京新聞にて反論を掲載した。この時もまた、ナニャドヤラの謎は全国的な話題になった。④梵語説…南北朝時代、長慶天皇が足利氏に追われ、三戸郡名久井岳の近くに隠れ住んだ際に、味方に無事を知らせる内容を里人に唄わせたという説。「なにゃあどやらよ 奈任耶阿堵野羅世 なにゃあどなされいのさえ 奈任耶阿堵長谷嶺居野宰叡 なにゃあどやらよ 奈任耶阿堵野羅世」この「長谷嶺居野宰叡」が「長谷よりほかに住む都がない」という意味になるという。【観光資源として】現在、ナニャドヤラの謎をひとつの観光資源として、各地で関連した行事が行われている。岩手県洋野町大野「北奥羽ナニャドヤラ大会」青森県新郷村「キリスト祭り」』
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献杯をして慰霊祭は閉会。
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キリストの墓。
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十字架の前で地元のおばあちゃんらしき方が賽銭をし、完全に仏教的な作法でお祈りしていました。悩めます。気持ちが大切です。
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キリストの墓…『イエスキリストは21才のとき日本に渡り12年間の間神学について修業を重ね33才のとき、ユダヤに帰って神の教えについて伝道を行いましたが、その当時のユダヤ人達は、キリストの教えを容れず、かえってキリストを捕らえて十字架に磔刑に処さんと致しました。しかし偶々イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって十字架の露と果てたのであります。他方、十字架の磔刑からのがれたキリストは、艱難辛苦の旅をつづけて、再び、日本の土を踏みこの戸来村に住居を定めて、106才長寿を以って、この地に没しました。この聖地には右側の十来塚にイエスキリストを、左側の十代墓に弟イスキリを祀っております。以上はイエスキリストの遺言書によるものと謂われております。』・Christ's Grave…『When Jesus Christ was 21 years old,he came to Japan and pursued knowledge of divinity for 12years.He went back to Judea at age 33,and engaged in his mission.However,at that time,people in Judea would not accept Christ's preaching.Instead,they arrested him and tried to crucify him on a cross.His younger brother,Isukiri casually took christ's place and ended his life on the cross.Christ,who escaped the crucifixion,went through the ups and downs of travel, and again came to Japan. He settled right here in what is now called Herai Village,and died at the age of 106.On this holy ground,there is dedicated a burial mound on the right to deify Christ,and a grave on the left to deify Isukiri.The above description was given in a testament by Jesus Christ.』
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イスキリの墓。
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すぐにナニャドヤラの祭典が始まりますので、ここで私もナニャドヤラ衣装に着替えます。
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凄い人です!
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ナニャドヤラの祭典スタート!
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司会はキリスト祭に相応しいこの御方!
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「イサバのカッチャ」
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ますます盛り上がります。
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ナニャドヤラのメロディがループされて、脳裏にすり込まれていく…
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そして…
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みんなで踊ろう!ナニャドヤラ!
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みんなで踊る手踊りって何でこんなに楽しいんだろう!
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考えるな、踊れ!!
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帰り道でナニャドヤラを歌い踊りながら帰ろうとしたのですが、自然と口ずさんだのはゴダイゴのカンダーラでした。まだまだ未熟者です。
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来年も参加しないと!
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キリストっぷ。
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