三戸郡三戸町川守田国子。道の駅さんのへ。同町の割烹白山が三戸食堂白山として出店…という記事をネット上で見つけました。記事によりますと、川蟹すいとんを看板メニューとする創業約60年以上の郷土料理のお店のようです。バイトっぽいけどホールの接客も良かったです。
蕎麦とミニ海鮮丼のセット。結構なボリューム。写真では海鮮丼が小さく見えると思いますが、どちらかと言えば蕎麦の器が大きめです。
こちらは鰹と鯛出汁の塩ラーメン。見た目以上にダシがパンチがしっかりと効いているラーメンでした。うまっ!そしてせんべいが入ってます。当地域では「南部せいべい」というより、「三戸せんべい」として有名なようです。
川蟹すいとん食べろや!って?すいません笑
お腹いっぱいなので、由緒等については相も変わらず調べておりませんが、せっかく道の駅に来たので、以前も参拝した奥富士出雲神社へ。
道の駅のすぐ裏手に鎮座しています。
前回の記事:『道の駅さんのへ ・ 出雲神社 (三戸町)』
川守田についてです。かつては河森田とも書き、熊原川下流の左岸に位置、熊原川と猿辺川とに挟まれた地域に集落が散在。地内の寺の沢遺跡からは縄文早期、関根遺跡からは縄文前期~後期、東張渡遺跡からは縄文前期~中期の土器片が出土。字関根の関根の松は樹齢370年の名松で、県天然記念物。川守田館は三戸城の北西約200m、字館にあります。台地が東北方へ突き出た部分を館としたもので、南西部には空堀が設けられていました(一部現存)。広さは東西・南北とも約100m、南西部以外の周囲は低地で比高差15~20m。川守田常陸入道正広の居館。元亀3年3月、後の26代南部信直が川守田毘沙門堂に参詣した際、継嗣問題で不和の養父晴政に襲撃され、信直は危急を逃れ、川守田館に非難。また天正10年信直が26代を相続し、25代晴継の葬送の帰途、九戸政実の三弟九戸行実に襲われて川守田館に非難したともいいます。川守田系図によりますと、川守田氏はもと河森田といい、建久2年南部光行に従い甲州より下向、川守田の地を賜ったといいます。
中世戦国期の河森田は糠部郡三戸のうち。永正年間の糠部九箇部馬焼印図の三ノ部の項に「河森田、印来文字、同前大馬有〈但絵図、同前〉」とあり、当地に牧野が設けられており、大馬を産しました。江戸期以降の川守田村は三戸郡のうち。盛岡藩領。三戸通に属します。村高は邦内郷村志534石余(うち給地490石余)安政3年三戸通神社仏閣地名書上帳549石余、旧高旧領555石余。なお、正保郷村帳・貞享高辻帳・天保郷帳・天保8年御蔵給所書上帳・安政高辻帳には村名が見えず、仮名付帳では三戸村の枝村として記されています。邦内郷村志では家数61で、集落別内訳は川守田26・元才5・川代6・蛇沢2・上久保2・篠原2・渋民3・境之沢15、馬数63。本枝村付並位付によりますと位付は上の中、家数125、集落別内訳は六日町47・久慈町28・本村26・関根2・境ノ沢8・蛇沢2・外山2・川代8・元才2。安政3年三戸通神社仏閣地名書上帳では家数11・人数33。なお、本村川守田村は六日町と久慈町の間、町並み2町程と見えます。北奥路程記には当村のうち奥州街道筋の六日町・久慈町は三戸市中、本村の川守田は村支配とあります。従いまして天正18年豊臣秀吉の朱印状により三戸が城下とされた時、六日町・久慈町・川守田町の3町は川守田村から分離されましたが、後に居城が盛岡に移るに及んで町場が当村に含まれて把握されることもあったと考えられます。地内の臨済宗梅嶺山法泉寺は元和2年に藩主利直の長子福岡城主兵六郎経直の菩提を弔い建立されたもので、経直の墓があります。山門(町文化財)は三戸城の城門を移建したものといいます。曹洞宗月渓山竜川寺は満室大和尚の開山で、文禄~慶長年間川守田常陸入道の開基といいます。この山門(町文化財)もまた三戸城の城門を移建したものといいます。神社は熊野神社。他に天和4年在銘の常陸入道5代目川守田弥五兵衛の石碑が旧館跡に、三戸城の北口を固めた府金惣門跡が府金坂に、幕府下賜のペルシャ馬を弔った寛保3年在銘の唐馬の碑(県史跡)が下比良にあります。明治元年弘前藩取締、以後黒羽藩取締、九戸県、八戸県、三戸県、斗南藩、斗南県、弘前県を経て、同4年青森県所属。明治初年の家数は本村16・宇藤坂4・谷地端4・川代5・孫太郎2・下元才3・蛇沢6・境沢11、地味な中の中で畑勝ち。同22年三戸町の大字となります。明治24年の戸数57・人口340、水車1。昭和22年三戸中学校が三戸小学校校舎に併設して発足。同32年字関根へ移転。同44年三戸北小学校が貝守・下田・袴田の3小学校の統合により字西松原に開校。
狛犬一対(平成27年10月吉日、寄進者:蹴揚惠子、大石尚治、今渕耕造、須藤光子、長谷部和子、山田孝雄、大山俊弘、野方由佳、田中滋子、川崎賀智子)
社殿。
拝殿向拝。
「宗教法人奥富士出雲神社三戸支部」とありました。
拝殿内。
大黒様と恵比須様。
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