青森県東津軽郡平内町東田沢横峰。夏泊崎は大間崎とも呼ばれ東津軽郡平内町の北部、夏泊半島の突端に位置する岬。北西方の大島と相対。岬名は半島の名称に起因。大島とは干潮時には陸続きとなり、満潮時には浅瀬を形成するも現在は歩道が設けられており常時往来ができます。背後には丘陵があり草地となっています。ゴルフ場・牧場として活用され、また、古代遺跡もあるそうです。周辺海域は釣りの名所にもなっています。

夏泊半島の大島に向かうには誘惑いっぱいの道を歩いていかなくてはなりませんが、あくまでも弁財天参拝が目的なので誘惑には負けないように頑張ります。


はい、負けー!

浜千鳥さんの勝ちー!


大町桂月歌碑。

「たてがみを海吹く風に靡かせて馬ひとつ立つ岩菊の原」桂月

歌誌。

昭和37年7月25日、浅虫夏泊観光事務組合建立。

鳥居。
現在はコンクリート橋が架橋されており、干満を問わず島との往来可能。
渡ります。

Wikipedia「大島(陸奥湾)」より一部抜粋…『大島は陸奥湾中央の夏泊半島突端部、夏泊崎の沖にある島。全島が平内町(青森県東津軽郡)に属する。島の北端には陸奥大島灯台があるほか、釣りスポットしても人気がある。【地形】陸奥湾の中央部に突き出た夏泊半島の先端部、夏泊崎から北西に約180メートルないし200メートル沖に位置する。形状は「ひょうたん形」または「ほぼ楕円形」で、周囲は約3キロメートル。島の中央部は丘陵をなし、標高は73メートル。かつては夏泊半島とは砂州で繋がっていて、干潮時には徒歩で渡れたという。近年になって浸食が再開し、夏泊崎と切り離された。面積は0.20平方キロメートル(1982年)ないし0.16平方キロメートル(2005年)。陸奥湾に突き出た尖端部に当たる島の北側は、第三紀の火山に由来するデイサイトでできていて、特に西海岸は柱状節理がよく発達し、切り立った絶壁となっている。この島北側の中央部は馬の背状の丘陵で、芝生に覆われた草地になっていて、目立つ樹木はない。一方、島の南側は頁岩が主体である。岩は貝化石を含み、海底の堆積地層が隆起したことがわかる。北部と違いこちらはカシワなどからなる広葉樹林に覆われ、ところどころにクロマツが混じる。【人文史】江戸時代初期の正保2年(1645年)に作られた国絵図(津軽郡之絵図)には、夏泊半島の夏泊崎を「大間崎」と記し、その先に「大嶋」が描かれている。このあたりの海岸には大間村という小集落があり、製塩などによって生計を立てていたという。しかし時期は不明だが、この村は廃村となった。明治時代の地図には、大嶋は「大間島」と記されている。享保4年(1719年)、大間喜兵衛という人物を中心にして、海上安全祈願のため大島の北端に弁財天を祭祀した。これは弁天宮として今も祀られている。1950年代まで、島北部の草地ではウシやウマの放牧が行われていた。【田沢の化島】青森県が編纂した津輕俗説選(1797年)には、大島が「平内七不思議」の一つ「田沢の化島」として掲載され、在地の奇譚を伝える。「田沢」は平内町の前身、東津軽郡中平内村を構成した郷の一つ。江戸時代の大間村は田沢村の支村であった。この伝承では、この島を外が浜の「妖島」といい、天候や時間によって、島の姿の大小、遠近、濃淡が異なって見えるとされる。住民は島の姿を観天望気に用いたという。【観光と釣り】夏泊崎との砂州には、コンクリート橋が架橋されており、干満を問わず島との往来が可能である。1960年代には、船底をガラス張りにした水中観光船が運航され観光客を集めた。近年も灯台直下の岩場は釣りスポットとして人気がある。』
大島。
菅江真澄歌碑(平成4年3月平内町商工会)「はま風のふへくのりもつみぬらん ひるやしほでの水もあさみに」

さて…
登ります!


最初は階段でしたが…



すぐに普通の山道になります。



途中に分岐があり、左に行けば四島三角点。

三角点には小銭が積まれていました。

眺望はほぼありません。

分岐に戻って右の道を進みます。



個人的に思っていたより距離がありました。





ロープゾーンまで。

そして急激に状況悪化。




一度視界が開けて…
灯台が見えました。
もちろん向かいます。
もしかして海沿いからも来れるのかな…それらしき道がありました。
小泊岬のトラウマがあるので未確認ですが。

来た道を振り返るの図。
灯台はすぐ目の前なのに…
道がこんな状態に…

陸奥大島灯台…『島の北端には、1949年(昭和24年)に点灯を開始した陸奥大島灯台がある。高さ9.7m、灯質は単閃白光で毎7秒に1閃光。光達距離は7.5海里(約14km)。無人灯台である。』

で、弁天宮…
僅かに道…

近いのに遠い…
弁天宮到着。
鳥居神額。

鳥居からも近いのに…

遠い…

到着。
鳥居と灯台を振り返るの図。
享保4年(1719)、大間喜兵衛氏、大間久三郎氏らが海上安全祈願のために、大島の北端に弁財天を祭祀。これが現在も祀られている弁天宮。
弁財天。
眺望。
さてと…
道なき道を戻ります…コンパスはMySoul。



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