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粒ヶ谷地の若宮八幡宮。三戸郡五戸町切谷内外ノ沢と切谷内山崎川原の境ほどに鳥居があります。
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切谷内佐野の若宮正八幡宮ではありません。五戸町立切谷内小学校の北方にある若宮八幡宮です。
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鳥居前がすべて田んぼで最初は行き方がわかりませんでしたが、写真の方向から細い道を歩いて辿り着きました。
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鳥居(昭和57年)。
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短い鉄橋を渡ります。切谷内小学校の裏に五戸川が流れますが、こちら山崎川原の蛯川用水です。
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参道。
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杉林に囲まれております。
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下調べでは最初の鳥居に加えて2基の鳥居を80万円で新設したとのことでしたが見当たらず。
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80mほど進むと20段ほどの石段があります。
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一反歩の台地に社殿が鎮座。
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南日本廻遊、伊勢琴平参宮参拝記念碑(昭和8年3月3日、下田發。佐々木市助39歳、川崎清之助62歳、佐々木太郎50歳、佐々木茂太郎59歳、佐々木喜七郎45歳)
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当八幡宮は菖蒲川、粒ヶ谷地の氏神様となり、八幡太郎義家を祀っています。
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狛犬一対。
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万延元年かな。ちょっと読み取りにくい状態です。
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村中安全。
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石灯籠(明治13年7月14日、鈴木丑松、孫太郎、吉助、喜七、辰次郎、子之、徳蔵、徳太郎)
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佐々木右京が元久年間に落武者として上北郡下田村阿光坊から大久木に住み、佐々木堀を作り、その後、若宮八幡宮を建立して持ち歩いていた仏像を祀ったと伝えています。佐々木寿一宅の先祖が死亡した墓地が神社西から20m離れたケヤキ2本の根元に眠っているとのことですが探しておりません。※ケヤキは売却されて、そのケヤキを切った樵(木こり)が神の祟りによって死亡したと伝えています。
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昭和16年10月頃、ある兵士が神様を拝み歩いているうちに、ローソクが垂れて幕についてしまい、当神社は焼失。その後に新築されたのが現在の社殿。※以前の社殿建築日は不明。
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幣殿・本殿部分は新しいですね。
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拝殿向拝蟇股・木鼻等。
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拝殿向拝神額(平成5年8月15日、佐々木苔石謹書)
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拝殿内。
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