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岩手県紫波郡矢巾町太田第7地割。五内川沿い。県道285号盛岡石鳥谷線側にも参道入口があります。
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神橋(昭和59年9月9日菅原忠正・菅原孝作奉納)
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ここまでの写真が県道285号盛岡石鳥谷線側の脇参道。
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社殿正面の表参道。
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社号標「太田神社」(岩手県紫波郡矢巾町大字太田第十二地割二十六番地ノ一、平成6年9月9日、奉納者菅原愛子建之)
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狛犬一対。
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7.5
一之鳥居神額。
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二之鳥居(平成7年9月9日、奉納者菅原忠正)
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太田についてです。太田川(五内川)と八幡川の間の平地に位置。地名の由来は地内の太田神社を坂上田村麻呂が東夷征討の時に屯営の場所とし、将軍守護の神を勧請してこれを里人が崇敬、地名を御田村と称して同社を産土神と定めたことによると伝えます。戦国時代の太田は戦国武士太田氏の本拠地。斯波郡のうち。太田氏は郡主斯波氏の家臣。天正16年主家没落の後は南部家に属します。深秘抄に「(岩)清水・太田・須田・簗田、この四家は志和家人なり」とあります。太田の谷地館は太田主殿の居所と伝えますが、江戸期の開墾により水田となっています。江戸期以降の太田村は紫波郡のうち。盛岡藩領。徳田通に属します。村高は正保郷村帳139石余(田128石余・畑11石余)、貞享高辻帳164石余、邦内郷村志861石余(うち給地300石余)、天保郷帳861石余、天保8年御蔵給所惣高書上帳861石余(御蔵高361石余・給所高500石余)、安政高辻帳690石余、旧高旧領1,063石余。邦内郷村志では家数55(集落別では上高林3・田中3・三郷4・境田2・谷地8・高畑4・堀米2・杉之下2・谷地館3・水神3・南太田3・才神3が見えます)、馬99。本枝村付並位付によりますと位付は上の中、家数61、集落別内訳は谷地10・水神9・高畑7・海道町7・上高林9・南太田15・三合4。明治元年松代藩取締、以後盛岡藩、盛岡県を経て同5年岩手県所属。同10年の村の幅員は東西約18町・南北約19町、税地は田110町余・畑61町余・宅地10町余・鍬下10町余など計193町余、戸数68・人口406(男216・女190)、馬66、職業別戸数は農業67、物産は馬・米・大麦・小麦・大豆・小豆・蕎麦・粟・稗・粒油・大根・麻布・藺席、字後田に太田神社があり、地内を通る高林溝・風呂場溝・太田溝・八幡溝がそれぞれ田の用水に供されています。同22年不動村の大字となります。昭和30年矢巾村、同41年からは矢巾町の大字。明治22年の戸数74・人口496。
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鳥居跡。
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灯籠一対。
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12.5
神橋(昭和59年9月9日太田老人クラブ奉納、施工菅原孝作)
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境内。
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参道を振り返るの図(参道御神木)
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駒形大神。
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山神。
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その他諸々。
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太田神社の由来…『【社名】太田神社【祭神】猿田彦命【由来】古老ノ伝ニ、当社ノ鎮座ハ延暦十年坂上田村麻呂東夷征討ノ際屯営セシ所ニシテ、在陣中将軍ノ守護神ヲ安置セシト云フ。土人深ク尊ミ且ツ将軍ヲ尊称シテ地名ヲ太田村ト唱ヘシト云フ(或ハ御田村ナリトモ云フ。事実判明シ難シ)。其後村人相伝ヘ永続産土神ト敬ヒ居レリト。元禄中村ノ豪農谷地庄右衛門ナルモノ社殿ヲ建築シ深ク信ジタリト云フ。其末尚村人等改築セリ。明治維新ノ際太田神社ト改メ猿田彦大神ヲ祭リ旧太田、中島、高水寺三村ノ氏神ト奉斎セリ。鎮座地ハ太田ノ中央ニアリテ古樹鬱蒼。尚社前ニハ一大老檜アリ。古老ノ口碑ニ依レバ三百五十年以上ノ老木ナリト云フ。一見古社ノ霊域タルヲ思フベシ。太田神社ノ儀ハ太田谷地ノ庄兵衛氏尊信ノ観音ニシテ太田村ノ村社ニモアラズ。維新ノ際菊地久人氏神職トナリ、観音ヲ化シテ太田神社ト称シ村社格ト致シ、元ノ神体ハ丸鏡ニ観音ノ仏体鋳アリ。其ノ裏ニ谷地ノ庄兵衛建立トアリ、是則観音ノ化物ナリ。』
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手水石(明治24年旧8月14日※自信無し)
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金刀比羅大神(天保3壬辰年3月10日※自信無し)
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岩手山(明治44年5月22日※自信無し)
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庚申塔。
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出羽三山(明治44辛亥年)
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手水舎。
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社殿。神社庁より…『【御祭神】猿田毘古命【例祭日】9月9日【鎮座地】〒028-3617紫波郡矢巾町太田12字後田20-1【由緒】古老の伝によれば、当社の鎮座は延暦10年(791)坂上田村麻呂東夷征討の際宿営せし所として、在陣中将軍の守護神を安置せしという。土人降伏して深く尊び、且つ将軍を尊称して地名を"太田"と唱えしという。その後村人相伝え永続産土神と敬う。元禄中(1688)豪農谷地庄右衛門なる者が社殿を建築し深く信じた。その末なお村人等が改築する。明治維新の際、太田神社と改め猿田彦大神を祀り旧太田・中島・高水寺三村の氏神に奉斎した。鎮座地は太田の中央にあり、古樹欝蒼。なお社前には一大老桧あり。古老の口碑によれば三百五十年以上の老木という。明治維新の際、菊池久人が神職となり、観音を変じて太田神社と称し村社格とし、元の神体は丸鏡に観音の仏体あり。その裏に谷地庄兵衛建立とあり、これを則ち観音の化身である。』
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拝殿神額(岩手県知事國分謙吉)
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