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秋田県男鹿市北浦北浦山王林。
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鎮守は山王社(現日枝神社)
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北浦は男鹿半島北岸中央部、賀茂川が海に注ぐ所に位置。古くは北ノ浦(秋田風土記)、北野浦(享保郡邑記)とも記します。地名の由来は北岸の入江によります。縄文土器及び土偶残欠を出土した五輪野遺跡があります。戦国期の北浦村は出羽国秋田郡のうち。天正19年正月17日、豊臣秀吉が秋田実季の当知行地を安堵した朱印状写に「北のうら村 たる沢村 さんからた村」631石余とあるのが初見。江戸期、現日枝神社に保存されていた棟札には康永3年当社建立のこと、及び嶋郡地頭安東兼季、神官紀真清等の字句が記されていたといいます(男鹿の春風)。隣接する相川に南北朝期兼季が居城したという染川城があり、複郭状平坦面と土塁を僅かに残します。五輪野に南北朝期の五輪塔が数基現存。絹篩にも梵字不明のものが7基あったことを記します。真山入口に位置しており、また北岸唯一の着船適地にあることから、安東氏も鎌倉末期には定着していたと思われます。江戸期以降、秋田郡小鹿島のうち。秋田藩領。「正保国絵図」では本田当高492石余、「享保黒印高帳」では村高435石余・当高490石余(うち本田451・本田並9・新田30)。「寛政村附帳」では当高357石余(うち蔵分332・給分24)。「天保郷帳」で490石余。戸数は「享保郡邑記」で110軒、「秋田風土記」で150軒。北磯地域の親郷で枝郷はありません。半農半漁で他村のハタハタ引舟が引き揚げた代銭の高から10分の1を徴収するほか、他村のハタハタを納坪に入れてその地代を郷収入とし、更にハタハタ干鰯も生産(絹篩)。漁船朽損の時は滝川安全寺御留山から船材を給与する例があり、寛政9年には川崎船分の元木1本、丸木船分5本が与えられた半面、御城米船が難風に遭った時は引船役を負担することになっていました。寛政20年に唐船番所が置かれ、宮沢浜から湯本海岸までを担当、久保田給人が6か月交代で勤務(絹篩)。天保15年五升備蔵、嘉永4年には郷御備蔵をそれぞれ設置。相川から入道崎方面に延びる街道が通じ宿駅が整備され、絹篩には脇本まで本駄116文・無荷76文・人足58文、湯本へは本駄36文・無荷24文・人足18文とあります。鎮守は山王社(現日枝神社)。他に白山・天神・神明社等があり、社家紀丹後正が山王以下諸社を司ります。曹洞宗北浦山雲昌寺(久保田正洞院末)・臨済宗妙心寺派鳳凰山瑞光寺(久保田応供寺末)・臨済宗妙心寺派九鬼山常在院(久保田大悲寺末)、修験の松雄山竜泉寺(湯本常楽院末)等があります。
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4.5
菅江真澄の道「日枝神社」…『文化7年(1810)4月15日、日枝神社に参拝する。(男鹿の春風)』・『この社は飛騨の匠が建てたといわれ、古い萱葺きの屋根裏に康永年間(1342-45、北朝)の棟札がある。社宝に大蛇を射たと伝えられる鏃(やじり)が一つ、城介実李(秋田氏)が奉納したという三十六歌仙の板絵がある。』
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社号標「村社日枝神社」(大正3年8月5日建之、正七位勲六等大山重華書丹)
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鳥居。
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向かいの建物内からこちらを監視する狛猫。
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狛犬一対(嘉永)
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9.4
9.6
9.8
参道。
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忠魂碑。
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手水舎。
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手水石。
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参道。
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境内社。
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太平山三吉神社(昭和43年1月、柴田富五郎)
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石灯籠一対。
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17.5
両部鳥居。
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御祭神は大山咋命、天照皇大神、恵美須大神、菅原朝臣道真命、伊邪那美大神、菊理毘女命、大名持命、佐竹大神、唐松大神、保食大神。
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石灯籠一対(御大典記念)
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20.5
例祭7月14日。
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由緒…『往古藤原基久卿東夷征伐の為、坂本山王宮を男鹿相女川(今の相川)に勧請したる古社にして、大治元年4月領主安部季治山王宮を相川村より北浦村へ遷座され、弘安元年正月7日領主物入を以て神事相始め、康永3年卯月朔日領主安部兼季右山王宮を再建す。貞和3年9月13日安部兼季より社領60石寄付せられる。明治6年8月村社に列す。』
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拝殿向拝蟇股・木鼻・組物・手鋏・海老虹梁。
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23.2
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23.8
拝殿向拝神額(昭和17年度祭典當前一同)
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拝殿内。
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幣殿・本殿。
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26.5
北浦の鹿島祭り…『港町として発展してきた北浦では、7月14日に鹿島祭りがある。鹿島神は、海上安全、大漁満足の守護神として信仰され、毎年盛大な祭りがなされてきている。一週間前から町内各地区では、鹿島人形をご神体として一軒ごとに回して祀り、祭り当日には北浦神社境内に安置された鹿島船に納める。そして、青年男子が船をかつぎ出し、町内をおくねりした後、北浦漁港で神事が行われる。やがて鹿島船は、新造漁船に乗せられて沖に流される、という行事である。流された鹿島船が寄り着いた浜では、鰰が大漁になるとも信じられ、今日まで永く伝承されてきている。男鹿市教育委員会』
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神輿庫。
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福嶋亀吉翁…『北浦神社は大正8年4月、祝融の災いで焼失した。氏子総代であった亀吉翁は町民の協力を得、大正9年に拝殿、昭和4年に本殿を秋田市の宮大工藤本東十郎の設計、施工のもとに再建した。また町長として山王林町有地を神社に寄付、宅地としての活用を図り、その地代による神社運営に尽力した。また長子亀蔵氏も氏子総代として神社護持につとめるなど親子2代にわたり神社の基盤確立に貢献した。平成5年11月吉日北浦神社役員一同』
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29.5
庚申塔、石殿等。
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七庚申(昭和11年旧8月20日、講中安全)
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七庚申(大正14年旧2月18日、講中安全)
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庚申塔。
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その他、石殿や小祠。細かくは見ていません。
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34.5
聖徳太子碑(明治45年1月16日建之、講中敬白※名前省略)
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こちらの建物はよくわからず。
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正面の…
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足元に注意!
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忠魂碑(元帥陸軍大将子爵川村景明書)
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英霊之碑(昭和55年8月15日遺族会建立)
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