岩手県紫波郡矢巾町土橋第5地割。
土橋についてです。東を南流する北上川と西を南流して同川に注ぐ岩崎川に挟まれて位置。江戸期以降の土橋村は紫波郡のうち。古くは十日市村と称しており、寛文年間頃に土橋村と改称したといわれますが、その後も「貞享高辻帳」「天保郷帳」「安政高辻帳」には十日市村と記されています。盛岡藩領。徳田通に属します。村高は正保郷村帳130石余(田86石余・畑43石余)、貞享高辻帳152石余、邦内郷村志・天保郷帳・天保8年御蔵給所惣高書上帳はともに501石余、安政高辻帳402石余、旧高旧領485石余。なお、仮名付帳には十日市村とあり土橋村が同村の枝村とされています。邦内郷村志では家数43(集落別では上舟渡7・野中6・小川5・荒屋敷9・舟庭9が見えます)、馬59。本枝村付並位付によりますと位付は上の上、家数62、集落別内訳は船場6・荒屋敷7・小川5・野口7・新山5・井島3・十日市29。明治元年松代藩取締、以後盛岡藩、盛岡県を経て同5年岩手県所属。同10年の村の幅員は東西約13町・南北約12町、税地は田43町余・畑73町余・宅地21町余・荒地2町余・鍬下5町余の計146町余、戸数75・人口387(男205・女182)、馬43、職業別戸数は農業72・雑業1、物産は鶏・鮭・米・大豆・小豆・大麦・小麦・蕎麦・粟・稗・蘿菔・麻布。同22年徳田村の大字、昭和30年矢巾村、同41年からは矢巾町の大字となります。
社号標「早池峯神社」(平成2年御大礼記念、早池峯神社宮司廣田忠夫謹書、施工(有)紫波石材)
手水鉢
手水鉢奉納者「宮司廣田貴徳、責任役員細川善春・佐藤仁三郎、総代長細川光一、総代久慈善一・久慈福治・谷村正志・細川與四郎・細川勘六、平成12年8月吉日」
境内案内板「早池峯神社」より…『【通称】新山社【旧社格】村社【鎮座地】紫波郡矢巾町大字土橋第五地割字新山野四十番地【祭神】瀬織津姫命【例祭】8月17日【由緒】本神社は平安時代前期延暦14年(795)に三柱の姫神を新山大権現として、創祀したと伝えられ、古より土橋地域また地域を超えて廣く崇敬されている。社地廣大で樹木鬱蒼と繁茂し、参拝者は自から荘厳の気に満たされる。往古社殿のない時代の斎場と推察される岩石三箇が本殿の後方にあり社殿のない神社の神跡を今に伝える当地方稀に見る古跡である。土橋村廣田家の祖先、廣田宗実が漢学修業のため早池峰山に籠り文学を研究し、その後天文2年(1533)8月17日社殿を此の地に建立し早池峯神社と改め創祀した。天保10年(1839)に社殿を再興し、明治12年12月村社に列格された。【奉納種目】昭和8年…記念碑、石鳥居、石玉垣、唐獅子、社殿前参道舗装、御神坂石段、御神水井戸、昭和57年8月…社務所、拝殿、昭和63年8月…神楽殿、【主要建物】本殿流造4坪、幣殿拝殿5坪、神楽殿14坪、社務所16.5坪、境内地1520坪、氏子135戸、廣田家が宮守として永く管理に努めている。【略縁起】「そもそも新山大権現の本地を申し伝え奉れば、人皇50代桓武天皇延暦14年(795)乙亥3月17日三柱の姫神天降り坐し坐す、新山と申すは、古き松杉苔むし老木の枝にはつる草茂り、かすかに、洩月の見える、木魂ひびき鳥の声あたかも深山幽谷の如し、南に北上川の底清く水音高くして御手洗水の雲井に栄え、登る月影浪に光を浮べ北は千尋に余る廣野に萩薄生い繁り是を名付けて新山野と申すなり。四方青垣山にして宮殿棟高く御床津比の動き鳴る事なく、豊明に明らむ座しまして、祢宜の振鈴弥高く声あらたし、今も生え茂変らぬ三ツの石あり三柱姫神達鎮座坐す也故是を影向三神石と申す也…」略 この略縁起は天保10年(1839)に当社再建の際写されたものである。【宮司】廣田忠夫【責任役員】細川勇次郎、細川善春【総代】川村守男、久慈麒次郎、細川芳己、細川久、星川正太郎、谷村由祥』※反射して少々見辛かったので微妙に間違っているかも知れません
県営土地改良総合整備事業東部徳田地区完工「農魂薫郷」矢巾町長川村光朗書…『【事業の沿革】東部徳田地区は、昭和45年から48年にかけて、第二次農業構造改善事業により30アール区画に整備されたが、地区内の用水路装工は年月を経て沈下、蛇行し、凍上などにより崩壊漏水が著しく、末端で水不足を来していたほか、排水路は素堀で底も浅く、降雨時には排水不良による湛水状態となり、また、一部区域では地下水位が高く、水田の汎用化が困難な状況にあった。よって、受益者総意のもと、生産性の向上と農作業効率の改善を図り、多様化する農業情勢に対応しうる用排水路、暗渠排水及び農道の整備を実施すべく平成5年度に本事業を申請し、鹿妻本堰用水を共用する徳田第一地区県営ほ場整備事業(低コスト大区画)幹線用水路改修と併せ7年の歳月をかけ整備し、このたび完成した。【事業の概要】受益面積:136ヘクタール、着手:平成5年度、完成:平成11年度、事業費:16億2千万円。主要工事…用水路工:2万6,704メートル、排水路工:1万2,405メートル、道路舗装工:1,380メートル、暗渠排水工:23ヘクタール 平成12年3月吉日県営土地改良総合整備事業東部徳田地区推進協議会受益者一同』
狛犬一対。
参道。
石灯籠一対(天保2辛卯歳3月17日)
三之鳥居。
社殿。
御祭神は瀬織津姫命。例祭日8月17日。
拝殿向拝神額。
鰐口もありました。
由緒…『本神社は古より土橋地域、また地域を越えて崇敬されている。社地広大にして樹木繁茂した参拝者をして崇厳の気に満たす。本殿の後方に神跡あり、岩石三個即ちこれなり。しかし往昔社殿なき時代の斎場と推察せられ、当地方稀に見る古跡である。未だ社殿なき神社の昔を今に存せり。土橋村広田連治祖先宗実なる者漢学修行のため早池峯山に籠り、文学を研究し、その後天文2年(1533)8月17日社殿を建立す。明治12年(1879)12月村社に取据えられた。<略縁記>「そもそも新山大権現の本地と申し伝え奉れば、人皇五十代桓武天皇延暦14年(795)乙亥3月17日当山に3人の姫神天降りましまし新山と申すは、古き松杉苔むし老木の枝にはつる草生茂り、かすかに洩月の見える、木魂ひびき鳥声あたかも深山幽谷の如し、南に北上川底清く水音高くして御手洗水の雲井に栄え、登る月影浪に光を浮べ北は千尋に余る萩薄生い繁り、是を名付けて新山野と申すなり。四方青垣山にして宮殿棟高く…」略。この縁記は天保10年(1839)に当社再建の際写されたものである。』
神楽殿。
石碑。
戦捷記念「早池峯神社」
庚申塔(文久4甲子年3月)
三社託宣
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