秋田県能代市檜山越王下。檜山神社へ行く途中で、独特な形をしたイチョウの巨木が目につきます。
桧山馬喰町自治会館の隣になります。
ちなみに桧山馬喰町自治会館には鳥居があり、太平山とありました。
『この地は、寛永15年(1638)に能代の西福寺の道心念が「山居庵」を開いたと伝えられるが、その後の享保と天保の檜山絵図には、ともに「十王堂」と書かれている。「十王堂」は、地獄道や餓鬼道など六道救済の信仰が深まって、さらに初江王・閻魔王などの十王信仰が広まってきたことによって建立されたものであろう。死者には地獄でさまざまな責め苦が待っており、そのなかで閻魔王がさまざまな罪状を読み上げる場面が、地獄絵図などに描かれている。人々は死後の責め苦を逃れるために閻魔王など十王を拝んだ。地蔵信仰の広がりとともに、十王信仰も広がったものであろう。その跡を見守るこのイチョウは胸高周囲4メートル、樹高20メートル、樹齢は200年を越えると思われる。能代市教育委員会』
浄土宗西福寺は元々八峰町(旧八森町)の小入川銀山にあった寺院で、銀山の産出量が減り住民が居なくなると慶長5年に能代に移ってきたそうです。また、浄土宗の念仏道場が転化し十王堂となったと考えられているそうです。宝円山般若院西福寺は現在能代市萩の台にあります。
こちらの建物が十王堂かと思いましたが、よくよく考えたら「跡」でしたね。
中はこのような感じで遺影もありました。近くに墓所もあったので地区のお寺的な建物でしょうね。中央に見えるのは如意輪観音ですかね。
地蔵菩薩と墓碑。
墓碑には「山居庵」の文字が残されており、「教應寳山傳者・教法浄善信女」とありました。
山居庵・十王堂跡のイチョウ。
能代の古木・名木「山居庵・十王堂跡のイチョウ」…『山居庵は能代の西福寺の末庵として寛永15年(1638)、道心念と称する僧が開いたと伝えられる。その後の享保と天保の檜山絵図には「十王堂」とあり、明治の末頃に焼失したと言われている。』・『このイチョウは雄株である。樹高20m、胸高周囲4m、樹齢200年前後と言われている。』
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