岩手県紫波郡矢巾町間野々第14地割。一之鳥居「御即位記念奉納 昭和3年建之」
「邨社八坂神社」
間野々(あいのの)についてです。東を南流する北上川と西を南流して同川に注ぐ岩崎川に挟まれて位置。江戸期の間野々村は紫波郡のうち。盛岡藩領。徳田通に属します。村高は正保郷村帳では間之野村と見え192石余(田167石余・畑24石余)、貞享高辻帳では間野村と見え225石余、邦内郷村志では「まのの」と読み302石余(うち給地300石余)、天保郷帳では間野村と見え802石余、天保8年御蔵給所惣高書上帳では802石余(御蔵高477石余・給所高325石余)、安政高辻帳では間野村と見え225石余、旧高旧領1,048石余。邦内郷村志では家数49(集落別では谷地10・立田2・塚之越5・分地7・重島6・金屋8・乗地6・岡村3)、馬88。本枝村付並位付によりますと位付は上の中、家数56、集落別内訳は谷地15・岡村8・舞地11・金屋8・分地10・重島4。明治元年松代藩取締、以後盛岡藩、盛岡県を経て同5年岩手県所属。同10年の村の幅員は東西約15町・南北約12町、税地は田106町余・畑54町余・宅地17町余など計178町余、戸数85・人口505(男261・女244)、馬数は67、間野々学校の生徒数55(男54・女1)、職業別戸数は農業84、物産は鶏・米・大豆・小豆・大麦・小麦・粟・稗・蕎麦・蘿菔・粒荏・麻布・藺席。同22年徳田村の大字となります。昭和30年矢巾村、同41年からは矢巾町の大字。
神楽殿。
御祭神は須佐之男命。例祭日9月7日。
石灯籠一対(明治29年6月15日)
手水石。
拝殿向拝。
由緒…『豪族菊池家の祖先天王三十郎なる者、元和年間(1615-1623)稗貫郡大迫内川目に鎮座せる牛頭天王社を現在地に勧請し氏神と崇敬、明治維新まで神事油断なく奉仕した。明治4年(1871)10月村社に列格。大正11年(1922)村社田中神社を合祀。』
拝殿向拝神額「八坂神社」
「此の額奉納初代なりて風雪に耐ゆる事永きによりて墨跡定かならざる為謹みて揮毫し茲に之を奉還す 平成三年二月十四日谷村規矩三」
拝殿内。
幣殿・本殿。
こちらの建物は不明。
石塔群。
勢至観世音(明治30年)
三社託宣(明治28年9月初1日)
百萬遍
庚申塔
金毘羅神(明治)
出羽三山(明治13年4月8日)
その他、不明の石。
境内の片隅にあった碑。最も大きな碑は「南無阿弥陀佛」(明治38年※28年かも)、その隣の碑が「当國西國三十三所」(安政3歳7月17日※安政2歳かも)
その他、馬頭観世音等。
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