『榊山稲荷神社(盛岡市)』からの続きです。
榊山稲荷神社社殿。
御祭神は豊受之大神(厄払い、金運、病気平癒、商売繁盛、家内安全、学業成就その他)
公式HPより…『当神社に祀られている豊受之神社さまは南部二十六代、信直公が慶長二年(桃山時代後期)盛岡城築城の折、祖先新羅三郎義光公より崇敬され参った。さかきやま稲荷大明神(豊受之大神)を城内に祀り、藩の運命をかけ、盛岡の街創りの総鎮守として定めたのが本社の草創であります。そして大神さまのご加護の元、城下盛岡を発展させますが、明治四年、廃藩置県により一度、廃社となります。時代は流れ昭和五年、隠されつづけたご神体を現在の北山の地に鎮座し、再建された神社であります。古来から開運の神である榊山稲荷神社を本社とし、境内には十四社のお社があり、盛岡藩時代から由縁ある名勝庭園「緑風苑」心と云う字を形にした「心字の池」を有し盛岡の四季彩りある、荘厳な神域となっております。また本社を始め、境内社のてんまん神社菅原いなり社、あわしま神社、かねずくり神社、てんそれい社、あさひりゅう神社をお参りする事により、家族が一年間安泰に暮らせる「かいうん六社九日参り」と云う信仰が昔からあり、現在でも毎月九日、十九日、二十九日にはお参りする方々があとをたちません。なお、当神社は崇敬者からご奉納された、神饌物を参拝者におかざりとして、お渡しする全国でも珍しいご利益神社としても有名であります。』
社殿向かって右に境内社の加賀宮鳥居があります。
加賀宮手水舎。
加賀宮のむかでばし(平成27年9月9日落成、設計・宮大工工藤勇二)
参道を振り返るの図。
社殿。本社荒魂・決断の神。
加賀宮…『加賀宮にお鎮りいただいております大神様は、本社榊山稲荷豊受姫之大神様の荒魂をお祀りいたしております。ご利益は、日常生活における意思決定、特に仕事上の決断に迷った時非常に大きなご利益が得られます。』
続いて社殿向かって左へ。
緑風苑側です。
緑風苑…『寛永年間方長老師が作庭された庭ですが、時の流れに荒廃しておったものを初代宮司荒川清次郎氏が庭師中舘福松氏と共に20年の歳月をかけて完成された庭で、北山の自然の山なみを背景に湧きいづる水が流れ込む心字の池を有し、歴史的にも南部藩内の名勝地として有名な庭園であります。』
てんまん神社菅原いなり社参道
合格・学業の神。
てんまん神社菅原いなり社…『平成10年に鎮座。天神さんの御利益を持つ、いなり大神様をお祭りしております。』
てんまん神社菅原いなり社前から見た榊山稲荷神社社殿・心字の池。
隣にあるいなり社。
狐一対。
もしかして…てんまん神社&菅原いなり社ってことなのかな。
石殿等。
まだまだ続きます。
おたき上げ炉。
同じく社殿向かって左側です。
あわしま神社。
子授け・安産の神。
淡島明神社…『淡島明神社は榊山稲荷神社の境内末社で今から228年前の寛保4年2月、別当広田出雲守により、本宮、紀州淡路郡(現在の和歌山県海草郡加太町鎮座、延喜式内社加太神社)に対し勧請申し上げたのに始まったと伝えられます。祭神は、医薬、農業、温泉、酒醸等の祖神である少彦名命、大己貴命の二柱と裁縫の守伸とされとくに婦人病の平癒にまた安産・子授け等に霊験のある息長足姫命を加えての三神である。』
拝殿内。左右に大きな男根・女陰、正面には小さいながらもたくさんの男根(金勢大明神)・女陰が祀られていました。
美しい境内を眺めながら先へ進みます。
古札納め所。
招魂碑。
建碑の由来…『【一】この碑は独立歩兵第百十八大隊(通称勝五二二八部隊)の戦歿者千田少佐外二三四名の冥福を祈り、生存者の浄財によって昭和四十八年十月廿一日建之【二】同部隊は昭和十七年四月七日弘前において編成。五月北支山西省に派遣され、尓来北中支において数々の作戦に参加したが昭和二十年八月終戦。翌二十一年一月十六日内地帰還。【三】師団長:井上貞衛、同:三浦忠次郎、旅団長:太田藤太郎、同:服部直臣、同:国司憲太郎、部隊長:伊藤晃、同:赤星正太【四】発起人:勝五二二八部隊戦友会』
金殖神社参道。
金殖神社鳥居。
参道左右に摂末社。
参道を振り返るの図。
金殖神社。
狐一対。
金運の神。
金殖神社(かねづくり神社)の由来…『この「金殖神社」は、藩政時代に榊山稲荷神社の分社の一つである「斗米稲荷」としょうされた神社であり、中の橋通の一かくにまつられていたものであります。昭和のはじめ、㈱岩手銀行(当時、岩手殖産銀行)の守ご神としてまつられておりましたものを、昭和33年にげんざいの本社、榊山稲荷神社の奥宮としてせんざし、お金を殖すということにごりやくがあるということから「金殖神社」としょうされてまいりました。ご祭神は、とうようけひめの大神さまで、事業たいせい・殖産こうぎょう・貸殖・りしょくにごりやくのある神様であります。平成12年9月、㈱岩手銀行がご祭神の神穂はつようをきねんして、社殿およびさんどうのかいしゅう工事をほうのうされました。』
参道を戻りまして…
天祖霊社(てんそれい社)へ。
祖先・水子供養の神。
拝殿内。
天祖霊社…『天神地祇八百万神の祖神天之御中主大神を祭神とし総代始め氏子の方々の死者の霊を安置しており、7月19日(※公式HPでは六月第三日曜日)に祖霊感謝祭を斉行し、祖先の霊をなぐさめ、その御守護を戴いております。』
どこから見ても美しい緑風苑の風景。
緑風苑と繋がっていますが、聖壽寺の墓所・横川省三墓・南部家納骨堂等があります。
心字の池をぐるりと回って降りてきました。
とみ八幡社。殖産興業の神。
八幡社…『此処に鎮座まします、八幡社は、石橋家に永く祭られたる神なり、八戸市より遠野市に転封の際、雷鳴の如き御音に家人驚き見れば、庭前の巨木に御神体飛び遷り来て、以来、飛八幡の名を以て、子孫繁栄家業隆盛の守護神として近隣の信仰を集めております。』
あさひりゅう神社。
水の神。
龍神社…『旭龍大明神を祭神とする、水の精霊神を斉っている為水を扱って生活をしている人々の守神にあたります。特に農業を始め料理、飲食業を生業とする人々の信仰篤く年々崇敬者が増しております。』
ふなたま社。
石灯籠一対・手水舎一基。
社殿。
大漁満足の神。
船玉社…『鎮座年日は定かではないが、昭和38年当神社へ合併。秋田県の横手市にて授かる。昔、秋田の海岸の網元を始め漁夫等に信仰され、近県を始め関東地方より、崇敬者が集まり、網元は一年に一度は是非参籠して、一年の船の安全と大漁を祈願したと伝えられる。』
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