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岩手県盛岡市北山2丁目。大光山聖壽寺に隣接。
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もりおかかいうん神社。神門。
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社号標。
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参道。
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狐一対。事情があってすべてを紹介できませんがこの先にも何対かの狐がおります。
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神楽殿。
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手水舎。
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手水石。
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七五三で大変賑わっていました。上記の"事情"です笑
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記念撮影の邪魔をしないよう、ゆっくり進みます。
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車祓所。
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参道石灯籠一対。
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出羽三山等の石塔群。
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じっとしていれば七五三詣り記念撮影の邪魔になるので、いつものように紀年銘等詳細までは確認しておりません。
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紅葉も綺麗だったので参拝者がかなり多かったです。
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イタヤモミジ(百年樹、奉納熊野神社)
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授与所。
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参集殿・社務所。
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岩手県神社庁…『【御祭神】豊受之大神【例祭日】4月28日【由緒】当神社は、盛岡の街づくりが始まった慶長2年に、榊山稲荷大明神を盛岡の守護神として城内に祀ったことから始まります。藩制時代は、藩主から一般庶民に至るまで篤く信仰され、「もりおか開運神社」と称され崇められてまいりました。その後、明治維新の改革により廃社となったものを、昭和の初めに先代宮司荒川清次郎氏が、現在の北山の地に再興した神社であり、今では社殿・社務所・参集殿はもとより、盛岡藩時代から由縁のある名勝庭園「緑風苑」を有し、境内は荘厳あふえる神域となっております。当神社の特徴は、古来から開運商売の神である榊山稲荷神社を本社とし、境内には金を殖する金殖神社、子授安産の淡嶋明神社、飲食農業の旭龍神社、殖産興業の富八幡社、漁業航業航海の船玉社、先祖水子供養の天祖霊社と私達の生活全般にわたる霊験あらたかな神々が祀られている願かけ神社であります。』
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かなりの七五三ペース。
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平和です。
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神輿舎。
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神輿。
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榊山稲荷豊受之大神さま"神輿"について…『制作年月日は、不詳ですが、江戸時代には豊受之大神様の神輿として担がれていたと、言い伝えられております。後、昭和初めまでは、内丸の桜山神社にて例祭時の渡御用神輿としておりましたが、当神社再興後は改めて榊山稲荷豊受之大神様の神輿とし、平成22年まで渡御されておりました。実際に神輿渡御を奉仕した担ぎ手からは、ご神体が納まると更に重さが増し、県内一重い神輿と言われる程でございます。』
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狐一対。
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岩手観光協会より…『盛岡城築城(慶長二年)の折、南部氏二十六世信直公が、城内の榊山曲輪に、藩の命運をかけ領地の総鎮守とし、もりおかかいうん神社を奉斎。神霊は、祖先である新羅三郎義光公(清和源氏)より崇敬されて来た神で、明治の世になり廃藩置県のため廃社となるも、その後、北山の地に再建された祈願神社である。境内には14社のお社があり、盛岡藩時代から由縁ある名勝庭園「緑風苑」や「心字の池」を有し、盛岡の四季を彩る荘厳な神域となっている。』
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Wikipedia「榊山稲荷神社」より一部抜粋…『榊山稲荷神社(さかきやまいなりじんじゃ)は、岩手県盛岡市にある神社。もりおかかいうん神社という異名でも知られる。【概要】盛岡市中心部の北方、北山に鎮座している。南部信直が慶長2年(1597年)、盛岡城築城の折、祖先源義光の時代から崇敬されてきた「さかきやま稲荷大明神(豊受之大神)」を城内に祀り、藩の運命をかけ、 盛岡の街創りの総鎮守として定めたのが創建とされる。明治4年(1871年)の廃藩置県により一度、廃社となるが、昭和5年(1930年)、隠されつづけたご神体を現在の北山の地に鎮座し、再建された。【祭神】豊受大神(豊受姫之大神)【境内社】●加賀宮 (かかのみや)(本社祭神である豊受姫之大神の荒魂)決断の神。●金殖(かねづくり)神社(豊受姫之大神)金運の神…藩政時代に榊山神社の分社の一つである「斗米稲荷」と称された神社であり、昭和のはじめ、岩手銀行(当時、岩手殖産銀行)の守護神として祀られていたものを、昭和33年(1958年)に現在の本社、榊山神社の奥宮として遷座し、お金を殖すということに、ご利益があるということから「金殖(かねづくり)神社」と称されてきた。平成12年(2000年)9月、岩手銀行が社殿・参道の改善工事を行う。●あわしま神社(淡島神社/淡島明神社)(少彦名命・大己貴命・息長足姫命)子授け・安産の神…榊山稲荷神社の境内末社で寛保4年(1744年)2月、別当広田出雲守により、紀州の加太神社(淡嶋神社)から勧請して創建。●てんそれい社(天祖霊社)祖先・水子供養の神…天神地祇・八百万神の祖神天之御中主大神を祭神とし、総代始め氏子の方々の死者の霊を安置しており、6月第3日曜に祖霊感謝祭を斉行し、祖先の霊をなぐさめ、その御守護を祈願する。●てんまん神社(天満神社/菅原いなり社)合格・学業の神…平成10年(1998年)に鎮座。天神さんの御利益を持つ、いなり大神を祭る。●あさひりゅう神社 (旭龍神社/旭龍大明神)水の神…水の精霊神を祀っているため水を扱って生活をしている人々の守神に当たる。特に農業を始め料理、飲食業を生業とする人々の信仰篤く年々崇敬者が増している。●とみ八幡社(飛八幡社)殖産興業の神…八幡社は、石橋家に永く祭られたる神であり、八戸市より遠野市に転封の際、雷鳴の如き御音に家人驚きみれば、庭前の巨木に御神体飛び遷り来て、以来、「飛八幡」の名を以て、子孫繁栄家業隆盛の守護神として近隣の信仰を集めている。●ふなたま社(船霊社)大漁の神…創建不詳、昭和38年(1963年)に当神社へ合併。秋田県の横手市にて昔、秋田の海岸の綱元を始め漁夫等に信仰され、近県を始め関東地方より、崇敬者が集まり、綱元は一年に一度は是非参籠して、一年の船の安全と大漁を祈願したと伝えられる。』
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橋を渡ります。
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心字の池・緑風苑。
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30.4
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心字の池に立つ観音経が納められている観音像。
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心字の池…『寛永年間方長老師の作庭により造った池で心の字の形から「心字の池」の名が付けられました。現在は点の一つが拝殿の建立により無くなってしまいました。池の中の観音像は作庭の秘法によるもので中に観音経が納められております。この池を渡ることにより皆さま方の方体を清められると云う信仰があり、又池には数百尾の鯉が生息しております。』
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橋を渡った先に…
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六光石。
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六光石…『猿ヶ石川産で水堀れ一米のめずらしい石で、泥ばん岩の為、白光に当ると六色に光を放つところから名が付けられました。昔、猿ヶ石川を渡るイカダ師等に恐れられた石でこの石にイカダを引掛て多数の人等が命を失ったと云う、曰く付きの石であります。ダムが完成するやその全貌が現われ「水堀れ」の素晴しい事がわかり、当神社へ奉納なった石であります。』
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開運ノ門。
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36.4
36.8
石灯籠一対。
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37.5
参道と並行している参集殿・社務所からの坂道。
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みやめぐりのかみ「四至神」
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『盛岡城榊(西)曲輪に神の依り代"榊と磐座(岩石)"にて天守神(豊受大神)を祀り本丸から城下に至る藩内の守護神』
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社殿前まで来ましたが、長くなりましたので『榊山稲荷神社(もりおかかいうん神社)~其之弐』へ続く。
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