岩手県紫波郡矢巾町西徳田。矢巾町歴史民俗資料館の隣。
昭和63年3月31日、町指定有形文化財佐々木家曲家移設復原。敷地面積1,835.00㎡、建築面積300.02㎡。
パンフレット「町指定有形文化財佐々木家曲家」より…『町内藤沢いあったものを解体し、昭和63年に資料館の敷地北側に移設復原した。東向きの母屋の北側に、南向きの馬屋が取り付く、南部特有の曲家である。藩政時代には村役農家であったため、建坪は90坪と破格に大きい。母屋と馬屋が接する土間は「庭」と呼ばれ、生活の主体をなす空間である。小作農家から挙がった米を計量する「計り場」と呼ばれる板間もこの空間にある。母屋は基本的に食い違い四間取り型式の前常居型と呼ばれ、まず庭寄りに常居と寝間があり、その南隣には上座敷・中座敷・下座敷の畳み敷きの三間が外庭に面してある。外庭には、塀中門(兵従門)と呼ばれるくぐり戸があり、座敷と外庭と一体化した格式高さを伝えている。棟札には、母屋と馬屋の設計図が描かれており、手垢を鉋で削った後、「建家仕」の文字と共に大工棟梁名と建て主名が記されている。』
※佐々木家棟札(表)「建家仕 大工梁棟郡山下町儀兵衛 年五拾六才 佐々木長之助 年五拾三才 文久三癸亥歳二月吉日」
破風。
句碑がありました。
「片削の風情や秋の南部富士」…煙山?高橋煙山かな…特に説明はありませんでした。
矢巾町指定有形文化財第三号佐々木家曲家(昭和61年1月27日指定)…『東向きの母屋の北端に、南向きの馬屋が取着く典型的な南部曲家である。藩政時代には村役を務めた農家だったため、建坪は90坪と大きい。母家は基本的に食い違い四間取り型式の前常居型で、土間寄りに常居と寝間があり、その南隣には上・中・下の畳敷きの座敷が外庭に面してある。外庭には、塀中門(兵従門)があり、座敷と一体化した格式の高さを伝えている。町内藤沢にあったものを昭和62年移築復元した。矢巾町教育委員会』
中へ。
農具・工具・生活用具等民俗資料も展示。
ミニチュアがあって…その後ろにあるのは田郷剣舞大笠。
田郷剣舞大笠…『これは、念仏剣舞の踊りに使われた大笠です。台の上部には、五重塔と四門が配置され、浄土世界を表現しています。大笠の重さは約30kgほどあり、一人の踊手が頭の上に載せ、両手で支えてこれを回しながら踊ったものです。練習では大笠の代わりに臼を逆さまにして頭の上に載せ踊ったといわれています。上手な踊手は、周囲に垂らされた幕を地面すれすれにして踊るといわれていますが、大変難儀な姿勢の踊りであることが想像できます。田郷剣舞は昭和40年代初めまで踊られていましたが、その後途絶えています。』
えっ!?これを頭の上に載せて回しながら踊るの!?私は上手な踊手ですけど…無理!臼も無理っ!!
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