岩手県盛岡市高松3丁目。※一之鳥居(紀元二千六百年十一月建之)
車でも通行可能な女坂的な裏参道もあります。

その裏参道の途中にももう一ヶ所入口があり、鳥居もあります。


社号標「髙松神社」(明治34年4月16日)

環境保護地区(昭和48年2月1日指定番号第2号)。

岩手師範学校同窓生戦没者鎮魂の碑入口標柱。

寛永2年に寺町(旧花屋町)の商人・三郎兵衛・三太夫の発願により建立され、庚申信仰の場として創建したのが起源であると伝え、「お庚申さん」と呼ばれ地域の人々に親しまれてきた社です。明治初期に猿田彦神を祭神として現社名に改称、村社に列し、大正5年5月、神饌幣帛料供進神社に指定。交通安全・厄除け開運・出世開運・縁結び等のご霊験あらたかな道びきの祭神「猿田毘古命」を安置。
狛犬一対(昭和30年秋建之、志和イシ・小川クラ、石工髙橋仁助刻)
境内案内板「高松神社の由来」…『高松神社は、古く藩政時代(江戸時代)から「お庚申さん」として、上田一円(三戸町から黒石野に及ぶ)の人々に崇められ、親しまれて来たお社です。「高松神社記」によれば、寛永2年(1625年)寺町(花屋町)の商人三郎兵衛・三太夫が発願し、有志崇敬者によって建立された「社」とされています。高松神社境内には、二基の「庚申碑」が現存しています。一つは明和元年(1764年=黒石野村住民8名連名)のものであり、今一つは、文政4年(1821年=三戸町住民7名連名)のものであり、高松神社が「庚申信仰」に由来する古いものである事を示しています。「庚申信仰」は、中国道教に渕源(えんげん)を持ち、「藩政時代(江戸時代)」に入って、広く庶民の間に広まったものです。「修験道」との関連が深く、神仏混淆の信仰であり、神として「猿田彦命」を、仏として「青面金剛」を祀り崇めて来ています。高松神社拝殿には、「古い奉納額」として、「猿田彦命」=「導きの神=道の神」へ「旅の安全」を祈願した「草鞋」の額があります。又、「青面金剛」の象徴である「宝剣」の額もあり、日本古来からの「神仏混淆」の信仰でありました。明治時代に入り「神仏分離令」が施行され「お庚申さん」は、神格を強調し「高松神社」となりました。「高松」の地名は、この「高松神社」に因んで呼ばれるようになったものです。このような由来から、高松神社の祭神は、「猿田彦命」であり、その神徳は「多岐宏遠」です。「猿田彦命」は、「記紀」(古事記・日本書紀)以来「導きの神」であり、「道の神」です。他方「豊作の神」として農民からの信仰が厚く、「土地の神・長寿の神」として、この土地の庶民からも崇敬されて来ています。又、特異なものとして、「馬の守り神」ともされており、裏参道脇に「馬頭観音碑」が残されています。高松神社は、こうした由来と「猿田彦命」のご神徳から、古くから上田地域全体の人々から、崇敬、敬愛されて来ており、例大祭は、毎年6月17日に開催されて来ています。この地域の「由緒ある神社」です。』

両部鳥居。
参道。

X!

社殿前石段。
社殿前の御神木。
社殿。


幣殿・本殿覆屋。

拝殿向拝蟇股等。

拝殿向拝神額。


平成御大典祈念鳥居建立奉賛者御芳名(平成3年6月吉日)

拝殿内。
神楽殿的な建物。「今上陛下御即位記念植樹」標柱が立て掛けてありました。

岩手師範学校同窓生戦没者鎮魂の碑「黙示乃健児は還らず」…『過ぐる大戦において 故國の急に参じ 戦陣に散り 戦病に斃れたる同窓の学友 百余名を数う 痛惜極まりなし ここに 往時 逍遙の地たりし高松神社の森に 鎮魂の碑を建つ 兄等よく われらが追慕の至情を来たり亨けよ 平成二年 夏 岩手師範学校同窓生有志 建之』・『碑面の書は恩師藤原徳太郎先生(岩手大学名譽教授、八十八歳)の揮毫で、活字はすべて岩手日報社製作によるものである。撰文盛合聡』

庚申碑堂。

庚申碑2基。

境内案内板で紹介されている庚申塔です。
手水石。

隣は高松天満宮。御祭神は菅原道真公。

高松稲荷神社。御祭神は倉稲魂命。


隣に柵があり、中には不明の石と、三界萬霊塔。

こちらの小祠は笠間稲荷神社。御祭神は倉稲魂命。


石塔3基。

南無阿弥陀佛・三界萬霊等(雪浦松之助、大正11年10月28日)

南無阿弥陀佛・三界萬霊等(施主雪浦松之助、弘化4未年8月18日)

馬頭観世音(嘉永6癸丑歳9月17日)※施主の住所及び氏名も少し頑張れば読み取れます。











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