1
岩手県盛岡市高松1丁目。30分もあれば一周できそうですが、時間の都合で一部のみの紹介です。
2
盛岡市の北部、高松1丁目地内にある池。高松の池(上田堤とも)を中心とした公園。盛岡城構築の頃に治水対策のため築造され、灌漑としての役割は少なく、上田一帯の水田化に利用されただけでした。以前は端堤・中堤・末堤と三段に分かれており、邦内郷村志によりますと「城府東北上田県。上中下相並有三堤。其周囲三四丁浅深不可計。諸鳥多集」とあります。現在は釣りが行われる上の池(芝水園)と、堤高10m、堤長248mの下の池に分かれています。大正の中頃に高松の池と改称され、昭和24年に盛岡市立高松公園に指定されました。また、日露戦争の戦勝を記念して住民たちが植えた桜で知られており、平成元年に日本さくら名所100選に選ばれています。
3
冬季には寒さで池が凍り、昭和23年の国体ではスケート競技で使われましたが、現在は盛岡市みたけ地区に県営スケート場ができたことと、池の氷の厚みが以前ほどではなくなったことから、現在はスケート場としての開放はされていません。また、二代目となる盛岡競馬場(通称黄金競馬場)が昭和8年に公園内に移転され、平成7まで競馬が行われていましたが平成8年に移転しています。
4
新奥の細道「岩手山眺望のみち」…『このコースは、起点高松公園から小鹿公園、四十四田公園を経て、終点春日大明神に至る全長11.2kmの自然歩道です。桜の名所高松公園を出発してしばらく行くとリンゴ公園や団子坂があります。晴れた日には、小鹿公園や四十四田公園の展望台から秀峰岩手山の眺望が楽しめます。旧奥州街道の小野松一里塚(県指定文化財)や二十三夜塔は往時の面影を偲ばせます。約4時間の散策コースです。(起点)高松の池-5.2km→小鹿公園-1.4km→四十四田公園-2.1km→小野松一里塚-1.9km→二十三夜塔-0.6km→春日大明神(終点)』
5
高松公園散策マップ。紹介されているのは、①村上昭夫誌碑(村上昭夫は1927年大東町生まれの詩人で、岩手中学校卒業後、ハルビン省庁に勤務。戦後、シベリアで2年間の過酷な抑留生活を経て帰国しますが1950年に結核発病。闘病生活は1968年41歳で亡くなるまで続きました。唯一の詩集「動物哀歌」は土井晩翠賞、日本現代詩人会H氏賞を受賞し、生命への深い愛と祈りをこめた詩は、多くの人たちに愛されています。市立図書館側に「動物哀歌」の1作『私をうらぎるな』の詩碑が建っています。)、②桜地蔵尊(桜霊閣。高松の池の南岸にある「桜霊閣」には、高松の池開発に貢献した物故者の功徳と桜の霊を一緒に顕彰する地蔵尊が奉られています。昭和5年5月に盛岡市長として5期20年在任された北田親氏氏の尽力により建てられたもので、正面左側に狐、右横の斜面にはお多福の面と猿、後ろの斜面に天狗の面と狸の像が配置されています。)、③高松公園菖蒲園碑、④北田裸城翁北田親氏像(昭和丗年五月造之 吉川保正作)、⑤弔霊塔六烈士氏名碑(「大纛斯発軍勢 愈揚偉矣六士 遠人氈郷伐課 不果子涂而僵 一死慘烈千載 流芳神庭山上 建像焚香櫻華 萬朶浴以朝陽 北田親氏誌 六烈士氏名 盛岡 横川省三 四十歳 長崎 沖禎介 廿八歳 延岡 松崎保一 三十歳 宮崎 田村一三 廿四歳 滋賀 脇光三 廿三歳 熊本 中山直熊 十八歳 昭和七年六月二十六日建」※隣に横川省三の銅像(台座のみ)…横川省三は明治時代に自由民権運動家、新聞記者、北米での農業経営、ハワイ移民斡旋、日露戦争での特殊任務従事など、波瀾万丈の生涯を送った盛岡の先人で、昭和7年、当時の北田市長の尽力で高松の池南岸の神庭山に銅像が建立されました。その後、第二次世界大戦時の金属回収で撤去され、現在は台座のみが残っており、銅像の石膏原型は、盛岡市名須川町の報恩寺に保管・展示されています。)、⑥「ひまわり」シベリア抑留平和祈念慰霊碑(祖国の犠牲となった尊い御霊を鎮め、世界の恒久的平和を祈念して建立した記念碑。「ひまわり」はこの碑の建立に併せて、平成6年10月12日、シベリア抑留経験をもつ佐藤忠良氏が制作し、財団法人全国強制抑留者協会岩手県慰霊碑建立委員会が設置したもの。第二次世界大戦終結に際し、ソビエト連邦はポツダム宣言に違反し、満州、樺太等から日本軍人などを強制連行して重労働を課しました。岩手県からは約8000人が連行され、1200人を超える同胞が過酷な労働と飢餓、酷寒によって死亡。この犠牲者のほとんどは未だ異国の凍土の中に墓標のないまま眠っています。)、⑦小田島孤舟歌碑(「われひとり よのつねびとの みちこえて しづかにゆかむ さびしかれども」孤舟が47歳の時に詠んだ歌で、門下生たちが昭和8年4月、孤舟の生誕50周年を記念し神庭山に建立)、⑧しだれざくら碑、⑨「望み」平和祈念像(戦後50年を記念し「核兵器のない世界を目指し、不戦を誓う平和記念像」として、県の生協・青年・婦人・原爆被害者の市民団体の提唱に賛同した2万人を超える岩手県民の募金を集め、増山俊春が制作(舟越保武監修)し、(平成7年9月5日に平和記念像建立推進委員会が建立したもの。)、⑩高松明神(別記事にしております)、⑪さくら名所100選の地碑(下記参照)、⑫壬生義士伝由来(下記参照)、⑬高松公園由来(下記参照)、⑭名勝高松池碑(大正12年建立、米内上田青年会)、⑮平野直文学碑(「かたくりは、春一番に咲く花です。きびしい冬の夢からいまさめたように、あざやかな紫色をしていました。直」)※説明等は私が追記
6
池の畔へ。
7
7.5
高松公園由来…『高松の池は今から380余年前盛岡城下創建の際最初に造られた堤である。盛岡城築城以前は上田沼と称され、上中下の三段になっていた小沼には雑魚が多く、冬から春にかけて鶴・雁・鴨などが群棲し、また、芹・じゅん菜・蓮が生茂る湿源地になっていた。南部藩主27代利直公になってこの沼に堤防を築き、池の水は上田一帯の水田化の用水源として利用された。明治22年盛岡市が市制施行となると上田堤の公園化が進められ同39年には、日露戦争記念事業として市民の寄付によって吉野桜千数百本が植えられ、盛岡市の桜の名所となった。大正の中頃、当時の市長北田親氏によって更に公園の築庭整備がなされ、名称を「高松の池」と改められた。昭和24年に「市立高松公園」に指定され、更に平成2年4月「日本のさくら名所100選」に選ばれ四季を通じて市民の憩いの景勝地となっている。高松公園(風致公園)面積44.3ha 盛岡観光コンベンション協会』
8
8.5
さくら名所100選の地碑(平成2年3月3日財団法人日本さくらの会)
9
壬生義士伝由来…『【壬生義士伝】壬生義士伝は、浅田次郎氏(直木賞作家)の歴史小説。南部盛岡藩士・吉村貫一郎が、家族のために新撰組に入隊、愛と義を貫いた感動の作品で、平成14年、15年と相次いでテレビ化・映画化され人気を博した。【上田堤(高松の池)】上田の堤(現在の名称は高松の池)は、盛岡の治水のために江戸時代初期に造られた堤。吉村貫一郎は 近くの上田組町に住居しており、二番目の子を宿した妻しつは先の生活を悩み身投げしようとする。「日本さくらの名所百選」に名を連ねるとともに、冬 白鳥の飛来地として親しまれている。盛岡市観光推進委員会』
10
盛岡市HPより一部抜粋…『上田堤が造られたのは、南部26代藩主信直公が三戸より盛岡に移り、盛岡城築城を開始した慶長年間から寛永年間といわれています。当時、上田方面は湿地帯で、池方面からの浸水が町づくりの大きな障害となったため、治水を目的として、上田に三段の堤防が築かれました。この上堤、中堤、下堤のうち、最も大きかった中堤が、現在の高松の池となって残っています。上田堤付近は南部公の鷹狩りの場であり、また、松林の美しさが有名であったことにちなんで「高松の池」と名付けられたと伝えられています。池の周辺には、数100本のサクラが植えられて、サクラの名所とされてきましたが、1949年(昭和24年)頃から本格的に公園整備が進められ、ボタン園・アヤメ園・バラ園などが整備され、自然豊かな風致公園として市民に親しまれています。1989年(平成元年)に「日本さくらの名所100選」に選ばれています。』
11
11.4
11.8
-高松公園のあゆみ(参考文献:高松公園のあゆみ(上田茶屋自治会))-
慶長2年-南部26代信直公盛岡城築城開始。
寛文年間-沼沢より溢れ出る水をせき止めるため上田堤を築堤。上堤・中堤・下堤の三段を設け治水に利用。
明治25年-故大森氏が上田堤の開発を計画し、松・ツツジ・ウメなどを植えた。水辺には屋形船を浮かべ、開発の端緒をつくる。
明治39年-4月の日露戦争の勝利を記念して地元有志が中心となりサクラの記念植樹を行う。吉野桜1000本の苗木を池周囲に植樹。
大正11年-公園整備計画の策定と整備。(2年をかけて四阿、園路などを整備)
昭和3年-岩手郡米内村との合併により高松の池が盛岡市の管理となる。
昭和23年-高松振興促進会の設立。(公園整備のための寄附募集活動を開始)
昭和24年-4月に高松振興促進会が公園整備費30万円とサクラ苗木650本を寄附。5月1日、市立公園として指定。
昭和27年-池を中心とした風致を守るため、高松風致地区を指定。
昭和30年-芝水園(釣堀)の開設。
昭和32年-都市計画法による都市公園として計画決定(公園面積44.3ヘクタール)。
昭和33年-第13回冬季国体(スケート)、第7回全国高校スケート大会を開催し、会場として利用。
昭和41年-大規模老朽溜池事業により堤体の全面改修を実施。
昭和53年頃-池の氷が薄くなり、氷上スポーツの利用が不可能となる。
昭和55年~56年-岩手大学に委託し、高松池環境調査を実施。
昭和59年-白鳥の餌付けを開始。
平成元年頃-白鳥の餌付け時の安全確保のため、冬季の水位調節を開始。
平成6年-シベリア抑留平和記念像建立。
平成7年-平和記念像「望み」(増山俊春作)建立。
平成10年~11年-堤体沈下、亀裂の発生により、高松公園堰堤調査を実施。
平成12年-高松公園と親しむ会結成。(ニセアカシアの伐採、炭焼き、水質浄化などの活動)
平成17年-冬季の水位調節を中止し、堤体の変動観測を再開。
12
12.4
12.8
池…多くの白鳥の飛来地として有名。昭和59年からの餌付けにより、多くの白鳥が飛来し始め、現在では1月のピーク時で600羽を超える白鳥が飛来するようになり、5月頃まで越冬します。冬季の湖面では、戦前からスケートも行われており、昭和33年には第13回冬季国体、第7回全国高校スケート大会の会場ともなりましたが、昭和53年頃から氷が薄くなり、現在は氷上の利用が禁止されています。
13
13.4
13.8
桜…日露戦争の勝利を記念して、明治39年に記念栽桜会によりサクラの記念植樹が行われ、それ以来サクラの名所として知られてきました。現在池周辺には約800本数種類の桜が植えられており、平成元年には「日本のさくらの名所100選」(財団法人日本さくらの会)に選ばれました。これは県内では、北上市の展勝地と2カ所のみです。
14
14.4
14.6
14.8
バラ園…バラ園には、現在40種以上のバラが植えられています。6月中旬頃には見頃となります。
15
15.4
15.8
ボタン園…橋のたもとにあるボタン園には200本を超えるボタンやシャクヤクが植えられています。毎年5月中旬から5月末にかけてが見頃となります。
16
16.2
16.4
16.8
以下、関連記事
17
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ