岩手県盛岡市手代森21地割。

社号標(平成4年8月15日、北田武男・田中喜三郎)

鳥居額束神額(盛岡市長谷藤裕明書)

参道石段。

寛保2年の創建と伝えます。
石灯籠一対(平成5年8月吉日、北田武男)


神楽殿的な建物。

手代森についてです。東・北は山嶺を連ねて山野が多く、西の北上川沿岸及び南に僅かに平地をなします。中央を沢口溝が沢口山より流れ、南は大沢川が西流し、ともに北上川に合流。中世では戦国武士手代森氏の本拠地。斯波郡のうち。手代森氏は大萱生・栃内などと同じく、斯波河村党の一員。斯波家に仕えました。天正16年、南部信直の斯波郡攻略に際しては南部方に属しました。後に南部家より500石を給されます。手代森館は手代森秀親の居所とされます。丘陵頂部を濠で区画したもので、北側の濠は深くなっています。江戸期以降の手代森村は紫波郡のうち。盛岡藩領。上田通に属します。山地が多く、僅かに山麓から北上川沿岸にかけて水田があります。村高は正保郷村帳296石余(田208石余・畑88石余)、貞享高辻帳348石余、邦内郷村志206石余(うち給地34石余)、天保郷帳477石余、安政高辻帳382石余、旧高旧領650石余。邦内郷村志では家数104、集落別内訳は本村82・大沢15・田野沢7。本枝村付並位付によりますと位付は上の上、家数98、集落別内訳は本村64・堀越10・田ノ沢7・大沢17。地内の寺院は曹洞宗大泉院があります。大泉院は紫波郡遠山正音寺の末寺、高禅寺は盛岡大泉寺の末寺といいます。明治元年松代藩取締、以後盛岡藩、盛岡県を経て同5年岩手県所属。同10年の村の幅員は1里7町・南北25町、税地は田55町余・畑104町余・宅地22町余など計228町余、戸数144・人口912(男459・女453)、馬171、社1(小山神社)、寺1(大泉院)、公立小学手代森学校の生徒55、職業別戸数は農業132・商業3・雑業2・神官1・僧侶1・士族5、物産は馬・鶏・米・大豆・小豆・大麦・粟・稗・蘿蔔・甜瓜・茄子・西瓜、地味は北東から南にかけては下位に属し、北上川沿岸は黒・白色土がまじり上の中位に属すとあります。甜瓜は乙部村・黒川村とともに盛岡町に移出。明治22年乙部村の大字となります。昭和30年都南村、平成4年からは盛岡市の大字。明治22年の戸数146・人口947。

法領神社のハルニレ(盛岡市指定天然記念物)・シンジュ(ニワウルシ)。うん?折れちゃった!?


法領神社のハルニレ(盛岡市指定天然記念物)…『【名称】法領のハルニレ【所在地】盛岡市手代森二十一地割二十三番地【指定年月日】昭和48年7月20日【説明】ハルニレ(春楡)は山地の湿潤地に生育するニレ科の落葉高木である。本樹はいつの時代に植えられたものか不明であるが、樹齢は350年以上と推定される。平成7年の測定によれば、目通り幹囲約5.9m、樹高約28mの巨木である。【所有者】盛岡市手代森二十一地割二十七番地、北田武男【法領神社】例祭日は8月15日。寛保2年(1742)の棟札が残っている。現社殿は昭和12年に改築された。』平成7年3月盛岡市教育委員会


シンジュ(ニワウルシ)…『シンジュは中国原産で、我が国では庭木、街路樹として植えられるほか、河川沿いにしばしば野生化している。高さ20mに達する高木で根を傷つけると萌芽する性質がある。樹皮は平滑で浅裂し、若枝は赤褐色で柔毛を散生する。葉は互生し、奇数羽状複葉で長さ45~90cm、もむと少し臭気がある。葉柄、葉軸に短毛を密生するのがのちに無毛になる。小葉は長さ5~8mmの小葉柄があり、卵状披針形、長さ7~12cm、膜質で先端はとがり、基部近くに2~4個の鋸歯があり、歯端に1個の腺がある。多くは雌雄異株で、夏期枝先に長さ10~30cmの円錐花序を出す。花は単性、ときに両性で、緑白色で径7~8mm、雄ずいは10本、雌ずいは5心皮からなり、柱頭は5裂する。果実は2~5個の分果からなり、分果は長楕円形の平たい翼果で長さ3~5cm、中央に径約5mmの丸い種子がある。材は淡黄色で光沢があり、器具などに用いることがある。若葉は塩蔵して食用にし、また、シンジュサン(蚕)の天然飼育に用いる。根皮(樗白皮)や樹皮は血圧降下の効があり、中医方では解熱、止血、駆虫薬などに用いる。(神樹)平成17年1月吉日北田武男建立』

法領神社にまつわる伝説(『となんの民話』都南歴史民俗資料館1988)…『市内手代森の法領神社は、もともと北田家(屋号・樋ノ口)の内神さまであったと伝わっています。神社は一時廃止され、石で作られたご神体は、同社の境内にあるタモの木の下に埋められたと言い伝えられています。神社を再興したのは、同社に残る棟札から寛保二年七月十四日とされています。神社を再建するときに、神社は北田家(屋号・法領)へ移り、同家の内神さまとして祀り現在に至っています。神社には、いくつか話が残っています。ある時、神社の境内でかくれんぼや縄跳びで遊んでいると、どこからともなく見たことのない子どもが出てきて一緒に遊んでいました。日が暮れたので、帰ろうと思い見ると、その子どもは姿を消していました。その子は、法領神社の神様ではないかといわれており、姿は七~八歳のザンギリ頭の子どもであったそうです。また、昭和の始め頃のことですが、タモの木の枝が大風により折れて落ちたことがあり、その枝を見前方面に薪として売ったことがありました。その薪を買った人が、持ち帰った薪で焼いた魚を食べてみると、口が曲がってしまいました。困ってしまったため物知りの所で原因を聞いてみると、神社のご神木で焼いた魚を食べたからだと言われました。そこで、残った薪と御神酒を持って神社へお詫びをしたところ、治ったと伝わっています。現在の社殿は、昭和十二年(1937)に改築されました。その改築資金にするため神社の側に建っていた大きな杉の木を切って売りました。このとき散らばった杉の皮が、夜になると発光してみえるため、周辺の人たちが寄って見たそうです。神社の神様は蛇を使いにしている、という言い伝えがあります。神社の周囲では、よく青大将を見かけることがあり、「殺してはならない」と言われていました。昭和十三年頃、私が母と二人で肥料桶を担いで神社の側の畑に向かう途中でひと休みしていると、ザワザワという音が聞こえてきました。タモの木を見ると、大きな大きな二匹の蛇が枝をつたっていました。きっと、その蛇こそが神様の使いだったのではないかと思われます。その後、このときほど大きな蛇が神社で見かけられたことはありませんでした。』
社殿前鳥居。
狛犬一対(平成9年8月吉日、北田武男・北田榮作)
社殿。
拝殿向拝神額(岩手県知事中村直謹書)

拝殿内。



法領神社御創建創建碑(弐百六拾年記念・寛保二年七月十四日)平成13年1月吉日

こちらは微妙に読み取れず。

石殿。


上記で紹介したハルニレ。近くに行けました。
エゾエノキ。
景観重要樹木「法領神社のハルニレとエゾエノキ」(推定樹齢ハルニレ140年・エゾエノキ190年、平成27年現在、指定番号第32号平成27年4月1日盛岡市)

法領神社を出て…

近くの下通公民館から鳥居が見えましたが、行き方がわからず行ってません。

地図では「八幡宮」とありましたが微妙に位置が異なる気もします。いずれにせよ参拝していないため未確認ですが。












コメント