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鎮守府八幡宮(奥州市水沢)』からの続きです。
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石殿二基と、紙垂に囲まれた不明の石。不明というか近寄れない場所にありました。
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参道神橋。
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池になってます。
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神橋から見た先ほどの石殿と石碑。
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水神と蛙。
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狛犬一対(昭和13年4月15日)
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手水舎。
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手水石。
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石灯籠。
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社殿前御神木。
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奥州市HP「奥州遺産鎮守府八幡宮」より…『社伝によれば、蝦夷を平定した坂上田村麻呂が801年に、八幡総本宮である宇佐神宮(大分県)から胆沢城の北東の地に勧請したのが鎮守府八幡宮である。田村麻呂奉納の宝剣と鏑矢が、今も神宝として伝わる。武神としても知られる八幡大神を祭るこの神社は、源頼義・義家が戦勝祈願するなど多くの武士から崇敬された。源頼朝も日本で2番目の八幡宮であると厚く信仰し、幕府の祈願所としている。江戸時代には仙台藩筆頭の八幡神として伊達氏の厚い保護を受け、洪水の被害を受けた際には伊達政宗の正室愛姫が現在地に社殿を遷座したほか、藩費により度々修復を行っている。武士階級に限らず広く信仰され、1811年の本殿造営の際は仙台城以北の村々からも寄付が集まったという。今も、奉納された絵馬の中には県外からの参拝者のものが見られる。』※拝殿は1821年の完成とされ、宮城県にも類例がない珍しい建築の拝殿である。本殿は棟に千木、堅魚木を載せる総ケヤキ造り(階段、高欄は杉材)。軒は二軒繋垂木、軒先は全面とも三手先扇垂木の東北地方でもまれな構造。建物の三方は高欄付回廊で囲まれる。
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社殿前鳥居。
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灯籠一対(平成12年元旦、伊藤征三奉納)
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こちらの石碑は読み取りにくかったです。何かの建立記念碑。鳥居かな。紀年銘昭和6年9月。
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茅の輪くぐり神事。
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社務所等。
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あのスペースは何でしょう。
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石碑。
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忠魂碑と
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平和の碑(招魂碑、裏面満州事変・大東亜戦争・太平洋戦争戦歿者名)。
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五訓之森(陸軍大将荒木貞夫)。
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神社庁より…『【御祭神】應神天皇、神功皇后、大市姫命【例祭日】9月15日【由緒】当宮の御神は国家を鎮護し学問産業経済を盛んにし、災難を消滅させ人の一生を守り給う八幡大神と申し御神体は最霊石という霊石である。御祭神は応神天皇(誉田別尊)神功皇后(息長帯姫命)大市姫命(市杵島姫命)の三柱の神にまします。桓武天皇延暦20年(801)坂上田村麻呂をして東奥鎮撫のとき当地に胆沢城を築き、城の北東の地に豊前国(大分県)宇佐八幡神の神霊を勧請し、神宮寺の安国寺とともに鎮守府八幡宮と号し東北開拓経営の守護神となられた。国家の崇敬厚く弘仁元年(810)嵯峨天皇より宸筆の八幡宮寶印をたまわる。嘉祥3年(850)慈覚大師は宮附属の六坊を置き、宮にて最勝王経を講じ、修正会、放生会、八講、諸祭をおこなう。天慶3年(941)藤原秀郷は平将門征討のおり、当宮に神領ならび神剣を奉納し戦勝を祈願した。康平5年(1063)源頼義、源義家より、また治承元年(1177)には奥州平泉藤原秀衡は十六羅漢像をはじめ社殿の造営、広大な神領、数多くの神宝を奉納し八幡大神の御神威を厚く崇敬し奉賽した。文治5年(1189)源頼朝は殊に欽仰し当宮を第二殿と号し全神事ことごとく鎌倉幕府の御願とし、陸奥出羽両国の所済物(税)をもって盛儀諸祭を執行しこれを恒例とした。中世には奥州伊澤八幡宮とも称され奥州総奉行の葛西氏や柏山氏の崇敬をうけた。建武3年(1336)北畠顕家は鎮守府将軍として祈願参拝した。延元2年(1337)南北朝騒乱の兵火に遭い壮麗を極めた社殿郡や多数の神宝什物はことごとく廃塵に帰した。貞和4年(1348)北朝奥州探題吉良貞家は胆沢、江刺、和賀、気仙、斯波の五群の棟別銭をもって南北朝騒乱期に全焼した社殿郡を新に造営再建した。明徳元年(1390)天台宗我等山安国寺を修験道に改めた。天正19年(1591)豊臣秀吉も厚く崇敬し浅野弾正長政をして社殿の造営と多数の境内社の修造をおこない広大な境内地の神領を安堵した。江戸時代には仙台藩伊達氏の厚い保護を受け仙台藩筆頭の八幡神として崇敬せられ寛永6年(1629)寛文2年(1662)貞享2年(1685)元禄7年(1694)宝永6年(1709)享保2年(1717)には藩費をもって社殿の造営修復をした。寛永14年(1637)伊達政宗の正室愛姫は慶長洪水のため決潰した社地の修造と社殿を現在地に遷座した。文化8年(1811)藩主、藩士、仙台城以北奥郡406カ村の大肝入、肝入、検断、村々の総歓化(寄付)をもって現社殿を造営した。当宮は奥州街道沿いに鎮座することもあって、街道を往く幕府巡見使や仙台藩主、盛岡藩主さらに幕末には函館奉行所へ赴任する幕府役人を始め近藤重蔵など歴史に名を残している者が多数参詣している。明治9年(1876)明治天皇は東北御巡幸のみぎり、右大臣岩倉具視、宮内卿徳大寺實則、内閣顧問木戸孝允を遣わして御代拝あらせられた。大正11年(1922)県社に昇格した。数ある神宝のなかで特に嵯峨天皇宸筆の八幡宮寶印、坂上田村麻呂奉納の宝剣と鏑矢、源義家奉納の御弓伊達氏奉納の太刀などがある。江戸時代の紀行家菅江真澄も当宮を参詣し最霊石(鎮懐石)や宝剣と鏑矢を拝し、その絵を残している。当宮は当地では最も古い八幡神と伝えられ、今日まで祈りの地として多くの人々より厚く崇敬されている。【特殊神事】加勢祭、旧正月8日より7日間』
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※鎮守府八幡宮加勢蘇民祭…『名称:加勢蘇民祭。加勢祭、勢子祭り、蘇民祭。祭りの由来伝承:嘉祥三年(850)鎮守府に来た慈覚大師は、管内が疫を患い、民庶死に尽くすといわれるほどの病災に悩んでいることを知り、八幡宮心経会に、大師所持の疫病除けの護符(今これを「そみんぼう、又はカラス」という)を捧げ、庶民の苦患を八幡大神に祈った。この「そみんぼう」の由来は、「大師が嘗って、大病を患いしとき、それを喰うとその密味の如く甘味であった。是は三十三天不死の妙薬なり」と、飲むこと三度。十日ほどして身健に、眼明らかに、心にわだかまるものなく、病看を絶つことを得た。このマクワ瓜の形に葉と花をそえて薬神の像として版刻し、正月七日夜おこもりして白紙に押し、八日早暁に国家安穏、悪魔退散、諸病消除の祈祷をして氏子の戸口に貼る。この門には疫病、災害が入らないという。のちにこの薬神を牛頭天王とし、スサノウノカミとし、蘇民将来の故事によって「そみんぼう」というようになった。現在行われている「蘇民祭」はこれである。(※鎮守府八幡宮史より)実施期日:旧暦一月八日、十時から十二時。実施場所:鎮守府八幡宮拝殿(※岩手の蘇民祭より)』
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拝殿向拝。
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佐倉河地区民相撲大会(鎮守府八幡宮奉納相撲大会の優勝者の写真が飾ってありました。)
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数ある神宝の中で、特に嵯峨天皇宸筆の八幡宮寳印、坂上田村麻呂奉納の宝剣と鏑矢、源義家奉納の御弓、伊達氏奉納の太刀があります。
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江戸時代の紀行家菅江真澄も当宮を参詣し、最霊石や宝剣と鏑矢を拝し、その絵を残しています。
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古札納所。
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社殿横へ。
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幣殿・本殿。
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本殿標柱(平成元年3月、鎮守府八幡宮・水沢市建立)
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山神宮(山神社)。
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向拝神額。
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拝殿内。
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山神社の横の御神木がとても立派です。
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3つの幹が絡み合っているような感じ。
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木の根本に若木社。御祭神は若木久久能知大神。
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社前にある梵字を刻んだ石。紀年銘は宝暦4年5月。
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鎮守府八幡宮境内社、若木(若気)社の神木…『この神木は根際の三ツの幹がねじれ絡んでいるように見え、上に伸び合わさり一つの樹になっています。この様な樹形は他所には無く大変不思議な形をしており、推定樹齢は1150年幹回りは6m50cm推定樹高は29m。杉の巨木としては当地方で最大のものと言われております。古来より夫婦和合、子孫繁栄、恋愛成就に特別に強い信仰があり、また悪縁を切り良縁に変える神威が有り、いろんな悪縁切りにも高い御神力があると言われております。お宮の扉を開けて拝んでいただくとともに神木の霊気を感じとって自分の身体に樹魂を受入れ日々の安寧と心に願うことを御祈願下さい。お参りの後は扉を閉めて他言しないように。他人に喋ると望が叶わないと言い伝えられております。』
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稲荷社。
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社殿内。
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稲荷御室。
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何やら凄いことになっている御神木。
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そして周囲には石碑や石殿がたくさん!
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庚申塔、御﨑大明神、御﨑宮、水神供養、天照太神、南無観世音菩薩、金比羅など種類も様々。そういえば前回の記事で書いた板碑を見かけませんでしたね。
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金比羅の石碑前にこのような案内がありました…『この石碑は、天保四年(1833)正月十日佐野宿の小路に当地の人々によって建立された記念碑である。以来、代々の子孫たちは講中を組織し厚く信仰してきた。しかし世が変わり激動する時代の流れの中、その維持管理について憂慮すべき事態が生じてきた。ここに相談の結果、講中の総意のもと鎮守府八幡宮のご理解を得て、この地に移転鎮座したものである。平成17年(2005)吉日佐野戊辰講』
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小祠もあります。
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大黒様と恵比寿様。
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