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岩手県紫波郡矢巾町室岡第10地割20。矢巾町立不動小学校の南方。境内にはゲートボール場がありました。
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境内拡張記念碑(昭和5年9月吉日)
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室岡についてです。太田川(五内川)上流域に位置。奥羽山脈の南昌山及び東根山を背後に東に開けた平地。戦国期の室岡は戦国武士室岡氏の本拠地。斯波郡のうち。江戸滝川左太夫の家臣である室岡源兵衛は斯波氏の旧臣。簗田の家に生まれました。室岡は母方の名字といいます。字館前の室岡館は集落西側の尾根上にあります。比高40m。山麓にも居館跡があったといいます。室岡源兵衛が館主と伝えます。江戸期以降の室岡村は紫波郡のうち。盛岡藩領。伝法寺通に属します。村高は正保郷村帳275石余(田257石余・畑17石余)、貞享高辻帳323石余、邦内郷村志637石余(うち給地350石余)、天保郷帳637石余、天保8年の御蔵給所惣高書上帳637石余(御蔵高287石余・給所高350石余)、安政高辻帳511石余、旧高旧領951石余。邦内郷村志では家数36(集落別では金矢3・米倉2・赤川2・久保屋敷2・堤下2が見えます)、馬47。本枝村付並位付によりますと位付は中の中、家数39、集落別内訳は下小泉8・道前4・須郷田6・藤ノ坊6・米倉5・金矢10。明治元年松代藩取締、以後盛岡藩、盛岡県を経て、同5年岩手県所属。管轄地誌によりますと同10年の村の幅員は東西・南北ともに約13町、税地は田97町余・畑42町余・宅地7町余など計147町余、戸数53・人口331(男166・女165)、馬27、職業別戸数は農業48・雑業1、物産は鶏・米・大豆・大麦・小麦・粟・稗・蕎麦・藺席・蘿菔。また、同書には寺数2とありますが、他方ではその寺院の項に本浄寺・正光寺・明寿院の3ヶ寺が記され、正光寺は字小泉にあり境内5畝18歩、浄土真宗本願寺派で当村本浄寺末寺、延宝2年2月創立で僧南好の開基とあり、明寿院は境内2反6畝11歩、天台宗近江国円城寺末で天正13年の建立、僧義明の開基とあります。紫波郡誌には東光山明寿院は正徳元年斯波氏の臣簗田大学の曽孫室岡源兵衛入道頼真の創建で、はじめは見前村字高櫓にありましたが、二世了禅に至って享保6年当地内畳田に移り、後の天保7年に火災にあったため現在地の字米倉に移ったとあります。本浄寺は字小泉にあり、邦内郷村志に「出羽仙北六角善証寺末寺」とあります。紫波郡誌によりますと吉水山本浄寺は真宗東本願寺末、開基は霊猊是信ではじめ清浄院と称しており、寛永9年当地に移り、宝永7年本浄寺の寺号に改めています。後の大正7年に火災。神社としては字米倉に木宮神社があります。明治20年白沢・北伝法寺の2小学校を統合して当地に室岡小学校を設置。同22年不動村の大字となりました。昭和30年には矢巾村、同41年からは矢巾町の大字。村役場所在地。明治22年の戸数55・人口378。同25年室岡小学校は北伝法寺・白沢の2尋常小学校に分離しますが同34年再び統合し不動尋常高等小学校となっています。明治末年には正光寺・明寿院が廃寺或いは移転。俚伝によると1,300年前に修験場が48坊あったといわれ、その1坊の流れであるといわれる大法院があります。
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4.5
手水石。
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社殿。御祭神は迦具土命。例祭日8月24日。
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幣殿・本殿覆屋。
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御神木。
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石灯籠一対。
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神社庁より…『本神社は、南部藩士谷地作馬(徳川幕府末期頃不動村太田谷地舘に住し、同村新助堤付近を開拓したる人にして七十三石を領す)なる者の守護神にして、元禄3年(1690)3月23日の創立にかかり木宮延命地蔵尊を祀る。その後、寛保3年(1743)、寛政4年(1792)及び同11年(1799)の3回にわたり谷地家に於て神殿の再建修復をなす。明治3年(1870)10月、祭神を迦具土命となし、同4年(1871)10月、村社に取据えられて室岡村の氏神となる。旧藩政時代には、毎年3月24日、谷地家に於て祭事を行ない、7月24日には室岡村民一同にて祭事を行なうを例とする。』
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ゲートボール場に隣接している石塔群の鳥居。
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石塔群。ちょっと逆光が凄かったので詳細まで見ておりません。
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獅子頭(権現様)
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金刀比羅大神
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出羽三山
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岩手山大神
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駒形大神
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馬頭観世音
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