1
青森市堤町。大正3(1914)年4月1日、現在の青森中央郵便局(旧浦町尋常小学校)の地に青森県女子師範学校附属小学校開校、附属幼稚園開園。弘前大学附属小学校の前身のひとつです。社員駐輪場に小さな碑があります。
2
碑文「青森県女子師範学校附属小学校之跡 土田廉謹書」
3
裏面碑文「弘前大学教育学部附属小学校創立百周年記念事業協賛会 昭和五十二年十一月六日」
4
Wikipediaより抜粋…『青森県師範学校・青森県女子師範学校の統合・官立移管により設置され、男子部・女子部を置いた。1876年 (明治9年)設立の青森県小学師範学校を起源とする。第二次世界大戦後の学制改革で新制弘前大学教育学部の前身の一つとなった。
1878年1月:弘前元寺町の含英小学校内に弘前仮女子師範学校を設置(予科のみ、2年制)。
1885年5月:女子師範学校(弘前)を廃止。10月、青森県師範学校に併設。
1910年3月12日:青森県女子師範学校を設立し、1911年4月開校の旨告示。
1911年4月15日:開校式。青森市浦町字野脇(現・青森市堤町、青森市文化会館付近)の県立青森高等女学校に附設。
1925年4月:本科第一部を5年制に変更。
1926年4月:専攻科を設置(1年制)。
1931年4月:本科第二部を廃止。
1940年4月:本科第二部復活。』※詳しくは新青森市史等を参照ください。
5
かつて何度も氾濫し、周辺地域の人々の生活に影響した堤川沿いへ。旭橋。かつての旭橋は京都の五条大橋のような木造の橋でした。そして旭橋北東地域の港町一丁目(柳原)付近はかつて遊郭が立ち並ぶ地域でした。
6
うとう橋。
7
うとう橋から見た堤橋(堤橋の奥に松園橋、奥の山は八甲田山、右に見える独特な建物は堤町交番)
8
堤橋から見た松園橋(松園橋は旧東北本線鉄橋跡であり、現在は歩行者専用の橋)。
9
堤橋から見たうとう橋(うとう橋の奥に旭橋)
10
10.5
堤橋は堤川下流に架かる橋(昭和58年11月完成、長さ64.2m、幅32.0m)。国道4号が通ります。江戸期の青森開港後、しばらくは堤川に橋が架けられず、渡船によって渡っていました。「青森市沿革史」によりますと寛文11年に初めて橋が架けられています。この橋は堤大橋といい、現在地よりやや下流に位置していました。その後、洪水などで5回架け替えられましたが、明治5年の火災焼失後、明治9年堤橋(木橋)が架けられ、同29年には国道4号が通りました。昭和9年に永久橋(鉄筋コンクリート製、長さ64m、幅7.5m)となります。第二次大戦の被爆から免れ、戦後の国道拡幅に伴い、昭和30年には両側に副道橋2橋が新設され、全国でも珍しい三重橋となりました。昭和41年には本橋と副道橋の間を一面化し、長さ64.2m、幅27.8mとなりました。堤川に架かる橋は下流から石森橋・青柳橋・旭橋・うとう橋・堤橋・甲田橋等があります。
11
銅製の親柱。
12
ねぶた祭り。
13
透かし彫り。4枚1組で計16枚取り付けられています。
14
これらは彫刻家の齋藤賢佶が手掛けたもの。是非現地でご覧ください。
15
堤川と堤橋の歴史…『堤川は、遠く明応7年(1498年)横内城主の堤氏が、城の外敵を防ぐための外堀とし妙見神社の社地を切り割りし、荒川の水をここに流したのが始まりと伝えられています。この川に堤橋が初めて架けられたのは、寛文11年(1671年)のことで、ここから100m下流に架けられたと伝えられています。青森市史には、「橋の長さ34間(約61.2m)、幅2間(約3.6m)、川の深さ6尺(約1.8m)、総工人数470人」と記録されています。堤橋が、現在の位置に架けられたのは、明治7年(1874年)と伝えられています。その後、堤橋は、幾多の変遷を経て、昭和56年道路改築事業と河川改修事業のため、架け替えすることになりました。架け替えする前の堤橋は、昭和9年に架けられた鋼板桁橋(幅員7m)と、昭和30年この橋の5m上下流に歩道用として架けられたコンクリートゲルバー桁橋(幅5m×2)、さらに昭和40年これらの橋の間に車道の拡幅のために架けられた鋼板桁橋(幅員418m×2)の3種類5橋から構成された県内でも珍しい橋でした。昭和59年3月国土交通省青森河川国道事務所』
16
国道4号堤橋付近に架かる歩道橋から見た堤橋。
17
青森港守護神の諏訪神社も見えます。
18
逆方向、青森駅方面。
19
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ