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秋田県山本郡藤里町藤琴下湯の沢。藤里町歴史民俗資料館、雪中キャンプ場(旧藤里町営 藤乃瀬温泉旅館跡)、湯の沢温泉郷湯元和みの湯のすぐ近くです。北方には有名な田中の大銀杏(権現の大銀杏)や峨瓏峡もあります。湯の沢神社については別記事にしております。
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銚子の滝(高さ18m)…『滝壷の周囲全体に丸みがあり、昔の徳利に似ていてその徳利に上から酒(滝の水)がそそがれているように見えることから「銚子の滝」と呼ばれるようになったと言われる。また、先人たちは滝口が突き出ていたことから「堤子の滝」とも呼んでいた。滝の上流にはマンガンの鉱山や、付近には化石入玉髄端鳥石が産出され地質の構成では貴重な地である。滝と深くかかわりのある湯の沢神社の祭神は不動明王で、開基は不明だが享保郡邑記抜粋によると「湯野沢村貞享年代1680年代開発十四軒」と記されており、温泉の発見と併せその頃と思われる。紀行家、菅江真澄の歌碑は50m滝寄りにある。(享和2年、1802年)明治初期、秋田藩士石井忠行の「伊豆園茶話」の一節に、湯の沢の滝は藤琴にあり「裏見の飛泉なり」と記述されている。』
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旅館「和みの湯」裏に道があります。
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辭夏岐野莽望圖(しげきやまもと)享和2年3月12日…『湯の澤とて湯の泉あれど、ひやゝかなれば、夏はかり人の來て浴してけるやかたの、軒をつらねて、人なくあばれたり。めてなる社に藥師如來の堂あり。弓手に不動明王の堂ありけるに入りて見れば、瀧の、岩をはなれてたかく落かゝり、こなたのいはねまではひのぼりたる藤の、いくばくとしをかへぬらんかし、風情ことに、たきのいとおもしろし。「藤かつらくりかへし見るいはかねにかゝるも高き瀧のしらいと」』
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「藤かつらくり返し見るいわがねにかかるも高き滝のしらいと」。銚子の滝が落ちる岩に藤かずらのツルが巻き付いているのを見て詠いました。その当時、滝の右手には、岩のさけ目から温泉が噴き上げており、「湯の澤とて湯の泉あれど、ひやゝかなれば…」と記しているとおり、温度が25度と低かったため、人々は夏の間だけ入浴していたそうです。
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魚が結構いました。
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水が綺麗なんでしょうね。
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滝の前。
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ふと真上を見たら岩でした。
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藤里町HP「铫子瀑布・銚子の滝」より…『太古の昔、銚子の滝はまったく違った形をしていた。川は地面の穴へと消え、流水は地下の石灰岩をゆっくりと溶かし、地面の下に大きな中空のドームを形成していた。しかしある時、この地下ドームの天井と壁の一部が崩壊し、今日存在する洞窟ができ上がった。江戸時代(1603-1867)、銚子の滝の洞窟の上に巨岩があった。そのため、滝水が銚子から注がれる酒のように見え、そのことから滝の名前が付けられた。銚子とは、酒を注ぐための容器の一種である。銚子の滝は湯ノ沢川の一部であり、湯ノ沢川は西の藤里川に合流したのち、日本海に流れ込む。岩はもう滝の上にはない。冬の間、秋田県のほとんどの川が凍結するが、滝は流れ続ける。銚子の滝は、ドーム状の巨大な氷筍を造り上げるが、それは滝つぼからから2メートルにまで達することがある。滝水は氷筍の中心の狭い穴から流れ続け、氷の下の池に流れ込む。藤里町の記録によると、湯の沢神社は、近くの温泉の発見に併せて1600年代後半に建てられたとのことである。それ以来、銚子の滝は地元の人々にとって崇拝と儀式の場所であった。』
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Wikipediaより一部抜粋…『銚子の滝は秋田県山本郡藤里町 にある滝。滝つぼの形が徳利に似ていて、滝の水が注がれているように見える滝である。銚子の滝は、滝壺の周囲全体に丸みがあり、昔の徳利に似ていてその徳利に上から酒(滝の水)がそそがれているように見えることから「銚子の滝」と呼ばれるようになったと言われる。 また、先人たちは滝口が突き出ていたことから「提子の滝(ひさげのたき)」とも呼んでいた。滝の上流にはマンガンの鉱山や、付近には化石入玉髄瑞鳥石が産出され地質の構成では貴重な地である。滝と深くかかわりのある湯の沢神社の祭神は不動明王で、開基は不明だが六郡郡邑記(1730年)によると「湯野沢村貞享年代(1680年頃)開発14軒」と記されており、温泉の発見と併せその頃と思われる。明治初期、秋田藩士石井忠行の「伊豆園茶話」の一節に、湯の沢の滝は藤琴にあり「裏見の飛泉なり」と記述され、滝の下に入ると岩に囲まれた滝の裏を覗くことができるとしている。これは寛政元年(1789年)の井口経包の「御界巡回日記」では「湯の沢の滝(美琴)は美人の恨み粧ひならん」とされ「泪にぬれし妹が黛(まゆずみ)仇に過ぎゆく心ならめや思ひにたへぬ水のみなもと人をうらみの滝と云らん」と歌われている。石井忠行はこれを引用してさらに地名を修正して歌を解説する形で抜粋している。昭和11年の「観光の栞」では「滝壺の近くに洞窟があるので、そこに入ってみると裏見の瀧である。岩窟は3-40人をいれるに足り、水しぶきにぬれる憂いがない。夏知らずの仙境である。土用の日には近在から湯治客が入り込んであたかも芋を洗うような光景を呈するが、この岩窟のなかで酒を汲みながら裏見の瀧としゃれるものも少なくない。瀧を取り巻く岸壁には樹木が生い茂り、洞窟にはアマツバメの巣がある」と書かれている。銚子の滝にも、江戸時代の旅行家、菅江真澄が訪れている。その時に詠んだ和歌「藤かつらくりかえし見るいわがねにかかるも高き滝のしらいと」の歌碑が設置されている。』
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冬は見応えのある荘厳な氷瀑となり、ドーム型の岩肌と雪景色が相まって、神秘的なムードを感じさせてくれます。
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「裏見の飛泉なり」とのことで滝の裏に向かっています。
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足元は滑りやすいので注意してください。
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手摺り等はありません。
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先ほど「ふと真上を見たら岩でした」といいましたが、こういうことです。
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滝の真裏。
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裏見の滝。
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