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黒石市境松一丁目。
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社号標(明治33年6月17日黒石山形町鈴木弥作)
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過去の記事:『熊野宮 (黒石市境松)
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鳥居(昭和14年7月17日奉献、除厄記念、高木健三・鈴木七郎・花田六太郎・中田平内・寺口勘太郎ほか、石工倉鉄)
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鳥居脇に崩壊している玉垣の一部。
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6.4
6.8
かつての手水石。色々彫られていたようですが解読不能。
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その隣には狛犬が一基。
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詳細は不明ですがかつての狛犬でしょう。
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石灯籠一対(明治13年旧6月17日)
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10.5
社殿。
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境松は津軽平野の南東部、浅瀬石川中流右岸に位置。海抜40mほどの高地に位置しており河岸部は果樹園、集落の北側には水田が広がります。鎌倉期に北条氏の地頭代であったと思われる工藤氏により地内黒石館(旧黒石城)が築かれたとされています。江戸期以降の境松村は津軽郡田舎庄のうち。堺松村とも書きました。弘前藩領。枝村に袋井村がありましたが享保11年に分村。村高は貞享郷村帳538石余、貞享4年検地水帳では枝村の袋井村を除き596石余(田551石余・畑屋敷45石余)、天保郷帳532石余、旧高旧領729石余。天和4年の境松村絵図では家数26でうち新田屋敷12。貞享4年検地水帳によりますと、小字に「一本柳・川原田・和田・松元・坂元」があり、反別は田50町7反余・畑屋敷11町2反余(うち屋敷5反余)の計61町9反余で、このうち田は上田から下々田まで設定され、上田の石盛は1石3斗、畑は上畑から下々畑まであり上畑の石盛は6斗、他に永荒畑1町3反余、空地5反余、古館3ヶ所・7反余、河原地6ヶ所・7町5反余、見取場6反余、漆林3ヶ所・2反余、郷蔵1ヶ所、村中抱えの田畑地1町1反余、行人福生寺抱えの庚申堂と屋敷、村中抱えの稲荷社・権現堂があります。元禄3年には田舎館組に属しており村位は上。当村は弘前藩から黒石領に向かう黒石街道沿いに立地しており、天明飢饉に際しては米穀の流通統制のため監視役人が置かれました。村内には浅瀬石川から取水する藤崎堰が流れていましたが、藤崎堰は年々破れ流域農民の苦しみとなっていたために、慶長14年堰八太郎左衛門が人柱となったという伝承を残しています。文化6年藩により顕彰され、堰神と呼ばれて碑が建てられました。また、藤崎堰は文政7年の調べでは赤田・常盤・藤崎の3組、537町4反余の用水として利用されていました。浅瀬石川は黒石領と共同管理の御抱合山(浅瀬石山林)を流れるため上流から多くの流木があり、これを監視・課税する拾歩一流木改役人は、「国日記」貞享3年8月17日条に境松新田庄屋宅に置かれていたことが記されています。神社としては享和3年寺社領分限帳・安政2年神社書上帳に飛竜権現宮が記されています。この飛竜宮は津軽為信の内神ともいわれ(津軽為信はこの地を重視しており、天正5年にここに黒石館を築いており、慶長年間、晩年の一時期をここで過ごしました)、後に熊野宮と改め村社となりました。明治2年の郷村高戸数人口租税書によりますと、戸数28・人口156、馬11。明治4年弘前県を経て青森県に所属。同11年南津軽郡に属します。明治初年の国誌によりますと、戸数29で村況は浅瀬石川から取水する小阿弥堰に沿う丘陵上に位置し、農耕のほか藁細工を産すると見えます。明治12年の共武政表によりますと、戸数76・人口448(男250・女198)で馬17。同14年天皇巡幸に際し記された青森県輦道駅村略記では、集落は街道に沿い2町の長さを有しており、税地反別は77町5反余、戸数78・人口469となっています。同22年中郷村の大字となります。昭和29年からは黒石市の大字。明治24年の戸数99・人口584、厩45、水車1。同39年郡立農学校開校、大正2年廃止となっており、新城村から県立農事試験場が移転されました。同12年・昭和13年に黒石町への併合が計画されましたが、いずれも中止されています。同23年農事講習所が置かれています。同24年字坂本に県水産試験場黒石養魚場が置かれましたが同36年石名坂に移転。同48年県立農業大学校が開校。一部が昭和24年袋井町、同51年境松1~3丁目・袋井1~2丁目となります。同55年の世帯数306、農家数48(専業6・第1種兼業12・第2種兼業30)、農家人口220、耕地面積は田4,819a・畑80a・樹園地565a。
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御祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊。例祭日7月17日。境内地554坪、本殿1坪、幣殿2坪、拝殿6坪。
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神社庁より…『寛文3年(1663)4月、村中にて千手観音を祀り飛龍宮を建立。元禄2年(1689)6月、熊野宮を同社へ勧請、以来産土神として村中の崇敬を受け今日に至る。明治6年6月、社格村社に列せられる。』
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社殿前狛犬一対。
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台座は新しいものですが、部分的に昔からの部分が残されています。
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拝殿向拝。
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神額。
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拝殿向拝のツキノワグマ。
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安らぎの碑…『平和の尊さを身を以て我等に教えてくれた國の命令で死んだ人々よ!みたまの前にぬかずき子孫のため明日の世界のためひたすら平和の心を祈念する。』※戦歿者名省略
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