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岩手県奥州市胆沢若柳下堰袋。国道397号沿い。胆沢まるごと案内所向かい。桜の回廊付近。胆沢川沿い。
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徳水園昭和の一里塚。
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日本最大級の円筒分水工。写真ピンボケすいません。
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銀色の道の碑(胆沢町誕生40周年記念)。平成7年に旧胆沢町の町制施行40周年を記念し「銀色の道」(雪が降り積もった国道397号の愛称)の碑が建立されています。
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『1「遠い遠い はるかな道は 冬の嵐が 吹いてるが 谷間の春は 花が咲いてる ひとりひとり今日もひとり 銀色の 遥かな道」2「ひとりひとり 遥かな道は つらいだろうが 頑張ろう 苦しい坂も止まればさがる 続く続く 明日も続く 銀色の 遥かな道」3「続く続く はるかな道を 暗い夜空を 迷わずに 二人の星よ照らしておくれ 近い近い 夜明けは近い 銀色の 遥かな道』
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6.5
ダークダックス。高見澤宏(通称パク)・佐々木行(通称マンガ)・喜早哲(通称ゲタ)・遠山一(通称ゾウ)。
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水神(昭和5年11月吉日)
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石碑。
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水陸万頃(岩手県知事増田寛也)…『「続日本紀」延暦8年(789)の条、胆沢の地を「水陸万頃」と記す。豊かな水と肥沃で広大な大地があるさまを「水陸万頃」という。胆沢平野の古さを尋ねれば、旧石器縄文の古代よりこの地にすぐれし文化あり。人々は豊かな大地を耕し、恵み多き自然の中に獲物を追い、馥郁たる日々の生業ありと聞く。胆沢平野の民人、代々この地に育ち、先人、先輩の血涙と汗によって造られし溝渠の恩沢に浴す。時移り、この歴史的遺構の再生と水不足解消のため、土地改良技術の粋を結集し、胆沢平野の更なる発展を図らんと、村人額を寄せ、相計り事を起こせり。人これを「第二期国県営かんがい排水事業」と呼ぶ。時、あたかも平成という新しい時代の旅立ちとともに起工、爾来18年県営事業完工、ここに、斯業の完工を祝し記念に碑文を寄せ、その偉業を称えん。平成18年10月吉日、胆沢平野土地改良区理事長佐々木宏撰文』(裏面碑文「県営農業用水再編対策事業胆沢平野地区の概要」は省略)
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青山白水(岩手県土地改良事業団体連合会会長・胆沢平野土地改良区理事長佐々木宏書)…『「国営胆沢平野農業水利事業の沿革」…悠然と連なる奥羽山脈の一角に毅然と佇む焼石連峰、ここに源を発し滔々と流れる胆沢川、この青山白水が数十万年の時をかけて広大な胆沢平野を誕生させた。今日では、良質米の里として全国に名を博する凡そ1万haの耕地を有する穀倉地帯となっている.そこには、急流に堰を築き、荒野に用水路を開削した幾多の先人の偉業があり、この遺産を継承した農民の汗と涙の結晶がある。体を縦横に走る血管のように今に残る用水堰は、その歴史の証である。乾いた大地に生命を育む至極の水、それは、血の一滴であり、営々と続けられてきた水とのなりわいは、豊かに大地を蘇らせ、多くの生命を養い、のどかな農村景観と馥郁とした農耕文化を育んでいる。胆沢平野農業水利事業は、農業の将来に夢を託し、先人が築き上げてきたこの偉大な財産を次世代へ継承するため、昭和61年度から平成10年度までの13年間にわたり、用排水路分離を図り、合理的な水管理を行うため、総事業費270億円余りを投じ、「平成の大改修」として実施された事業である。平成10年11月東北農政局』
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胆沢川用排水改良事業完工碑(昭和47年3月岩手県知事千田正書)※裏面「事業概要」省略
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胆沢川農業水利の碑(農林大臣赤城宗徳書)…『およそ400年前に開削された茂井羅せき・寿安せきは胆沢川の水を導水して胆沢川南部の耕地をかんがいしていたが、近時用水の不足をきたし、又その施設は再三損壊し、あるいは老朽化はなはだしく根本的な改修が望まれていた。折柄北上川総合開発計画の一環として胆沢川上流に洪水調節用の石渕ダムが築造された。本事業はこの貯水の表面温水を取水し、用水系統を合理化すると共に用水施設を改善し、水沢市、前沢町、胆沢村にひろがる7272ヘクタールの耕地の用水を確保する一方その効果的な利用を図るため、下流低位部の排水路の改修を行なったものである。この事業は国営事業として、昭和26年から昭和39年までの14年の歳月と総事業費11億7千万円を投じて完成した。昭和39年9月東北農政局』
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改良区創立三十周年を記念して(胆沢平野土地改良区、昭和55年10月15日)…『胆沢平野水利の開祖寿庵、茂井羅は、共に胆沢川に取入口を求め取水していた。しかし取入口は、それぞれ上、下流にあることから、後世は常に水争いが絶えなかった。これを解消すべく国営事業を導入し、昭和33年円筒分水施設の完成を見るに及び、夢にまで見た取入口の一本化が実現したのである。人々は大いに喜び、この地を聖地と定めて当時の総代、役員、職員らが樹木や岩石を献じ労力を奉仕して、後藤寿庵、北郷茂井羅、千田左馬、遠藤大学の碑を合祀した。徳永園の名は、これら先人の遺徳を永遠にしのび賛仰するために命名したものである。』
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石淵ダム~伸びゆく胆沢の礎として40年
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恵水思源(平成6年12月)。見辛かったので碑文省略。
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記念碑「命水悠久・報恩謝徳」…『昭和四十二年石淵ダム嵩上げ運動に始まったダム建設への農民の渇望は、その後、水需要の増加を踏まえ昭和六十三年胆沢ダム建設と名称を改め、四十六年の歳月をかけ平成二十五年十一月十六日、万人歓喜のもとに竣工のときを迎えました。これにより、胆沢平野土地改良区が約半世紀に亘り使い続けてきた「恒常的水不足」という言葉にも終止符を打つことが出来ました。このことは同時に、胆沢平野に暮らす全ての人々に、絶えることのない命の水をもたらし、明日への限りない大きな夢と希望を与えてくれるものです。そこには、ダム建設に深い理解と寛容を示され、二度にわたり墳墓の地を後にされた方々を含めた、水没移転者の尊い献身と共に、胆沢ダムの建設推進に携わられた多くの方々の粉骨砕身の思いが集積されております。私どもは、日々の生活がそうした方々の涙と汗のもとに成り立っていることを未来永劫忘れまいと固く心に誓い、ここに「命水悠久・報恩謝徳」を記し、後世に伝えるものである。平成二十六年四月十四日 撰文胆沢平野土地改良区理事長及川正和』※下部:胆沢平野土地改良区役員、総代協議会、胆沢ダム工事事務所所長名(省略)
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茂井羅碑(高野長経揮毫、昭和36年10月寿安・茂井羅合祀記念、胆澤平野土地改良区)
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五島壽菴之碑(明治30年4月再建)…『寛永之間有壽庵者拆膽澤川之岸穿堰劃上流十中之四而及下水于十七邨里之耕野矣其労不可稱計雖然其事但存千邨夫之唇吻耳今歳壬戌春三月縣令境野氏巡撫之日恐其功或朽為嘱郡長佐々木高光史余表記勤石以立諸堰側余乃化之歌曰 滔々謄水劈川陏引碧荒邨遠漸民二百餘年何不記奇功誰没足稚人 文久二年壬戌秋九月 霊桃主北山仝生太陽併書』
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千田左馬拆渠之碑…『千田左馬者膽澤郡関村之人也元和之間為関村里正有五島壽庵者住膽澤郡塩釜村福原膽澤郡古来之水利壽庵憂之自膽澤川上流穿渠灌漑于郡之北方是曰壽庵堰又将及南方有故而不果焉郡之南方特乏水利累年旱而果穀不稔村民苦飢渇左馬慨之慾鑿渠疏水更按水路得官之允許寛永三年自寿安堰起工与子丹後督励臣民拮据穿拆至同八年竣功堰長一万八百間也前澤村遠藤大学等亦補工灌漑所及際于郡之南方八箇村爾来無旱損之患矣官賞其功賜四人扶持子孫世々為関村里正子丹後亦依佐父功更加賜四人扶持襲父之職矣今歳乙卯寿安堰水利組合議員合議建碑以傳其功於不朽云爾 大正四年乙卯秋九月 古城 大内貞太郎記』
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五島壽安碑(千田左馬、遠藤大學)
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記念碑「水陸万頃・耕土命水」(胆沢平野土地改良区創立60周年・胆沢ダム堤体盛立完工)…『平成二十二年度は、胆沢平野土地改良区が創立六十周年という節目の年を迎えると共に、これまで幾世紀にも亘る水争いの歴史の終焉を告げる胆沢ダムの堤体盛立が完工するという正に記念すべき年であります。胆沢平野に暮らす扇状人にとって、この上ない喜びであります。扇状地誕生以来の恒常的水不足に終止符を打つ時が目前に迫り「水陸万頃耕土命水」を記し、その歴史的変遷を後生に伝えるため、ここに記念碑を建立する。平成二十二年十月二十二日 撰文胆沢平野土地改良区理事長及川正和』※下部:胆沢平野土地改良区役員、総代協議会、胆沢ダム工事事務所所長名(省略)
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読み取れない碑。
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周囲も石でこのように囲まれていました。
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茂井羅三堰用水改良事業記念碑(昭和15年9月竣功、従三位勲二等島田俊雄書)
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さて、そろそろ時間なので念願のアレを見に行きます。
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命水の大噴水(日本最大級の円筒分水工・胆沢平野土地改良区)…『この「命水の大噴水」の三本の大噴水はこのことを表しています。・左側を胆沢扇状地の扇頂に位置する「胆沢ダム」・中央は扇状地を耕す土地改良区の「組合員」・右側を農業用水の安定供給にあたる「胆沢平野土地改良区」。「胆沢ダムの完成により未来永劫、胆沢平野を潤す命の水は農を育み、扇状地で暮らす私たちの生活を支えていく」この想いから「命水の大噴水」と名付けました。2014年7月設置』
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運転期間及び運転時間を確認しておきましょう。
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始まりました。
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29.5
さすがは日本最大級の円筒分水工です。
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30.5
ちなみに大きさ的には防府市(山口県)の円筒分水工が日本一のようですが、流量(m3/s)や受益面積(ha)が1位であり、総合判定として日本一とのことです。
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徳水園は昭和32年、初代円筒分水工の完成と、胆沢平野開拓の先覚者を顕彰する記念庭園。円筒分水工は7,300ヘクタール余りの水田を潤す施設。下流の寿安幹線用水路と茂井羅幹線用水路に分配する胆沢平野の心臓でありシンボルとなっています。胆沢川から取水し、サイフォンの原理で円の中心に水を汲み上げ、二つの堰に水を流しています。堰がまかなう面積の違いから、寿安堰:茂井羅堰=6:4の割合で配水。現在の円筒分水工は平成7年に一回り大きく改修されたものとなっています。
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32.4
32.8
形式:逆サイフォン(全周越流式)
造成年度:平成7年(昭和32年)
規格・外円径:31.5m
内円径(越流堰):24.0m
流量(m3/s):16.0m3/s
受益面積(ha):7,400ha
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33.4
33.8
水土里ネット胆沢平野HP「日本最大級の円筒分水工」より…『「胆沢平野小唄」という唄に、「想いは一筋、流れは八筋」という一節があります。八筋の流れに一筋の想いを寄せて、胆沢平野の農業用水を公平に配分するための分水施設が円筒分水工で、多目的石淵ダム(昭和21年~28年)の建設に伴い、この貯留水の有効利用のため実施された国営胆沢川農業水利事業(昭和26年~39年)の一環として昭和32年度に施工されました。円筒分水工は、胆沢平野の二大幹線水路である「寿安堰」、「茂井羅堰」が胆沢川から直接取水していた時代の血を流す水争いを解消し、胆沢平野のシンボルとなっております。しかし、雄姿を誇ってきた円筒分水工も年を経るに従って老朽化が目立ち、平成元年度に着工した国営胆沢平野農業水利事業で平成7年度に改修され、一回り大きくなった円筒分水工に生まれ変わりました。農業用施設の円筒分水工としては日本一です。』
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34.4
34.8
奥州市商工観光部商業観光課HP「徳水園」より…『胆沢平野の重要な農業用水路である茂井羅堰(しげいらぜき)と寿安堰(じゅあんぜき)は、同じ胆沢川から取水しています。この二つの水路の取水口が2キロメートルに満たない距離で隣りあっているため、受益農民はこの400年間、血を流すほどの水争いを繰り返してきました。解決策として昭和32年に造られたのが円筒分水(えんとうぶんすい)です。この完成を記念して両用水路開削の先覚者を顕彰する公園が整備され、「徳水園(とくすいえん)」と命名されました。平成7年には、旧胆沢町の町制施行40周年を記念し、「銀色の道」(雪が降り積もった国道397号の愛称)の碑がここに加わっています。』
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35.4
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本当は動画で伝えたいのですが…
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36.8
当ブログには動画を載せない…
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37.4
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映える写真は載せない…
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という私なりのとても無駄な矜持というものがございまして笑
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39.5
その分写真を多めに撮っています。
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命水の大噴水は浴びることもできますよ。
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浴びませんが。
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止まりました。結構長かったです。
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ところで…
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この大きさで…
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しかもこんなに水の勢いが凄いのに…
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46.5
注意看板はこれだけですか。あまりにも弱いですね。弱過ぎです。
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日本最大級の円筒分水工ならば…
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おちると即死でしょうに。
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日本最大級の円筒分水工…『胆沢平野土地改良区は、約1万ヘクタールの水田に農業用水を安定供給するため、農業用排水施設の維持管理を行う岩手県知事認可を受けた「公」法人です。胆沢ダムからの農業用水の水利権を持ち、水田へ配水を行うと共に農業用水が有する多面的機能発揮への役割を担っています。胆沢平野のシンボル的施設が「円筒分水工」です。胆沢平野の二大水系である「茂井羅堰」は、西暦1570年ころ北郷茂井羅という女性が中心になって掘られた水路であり、「寿安堰」は西暦1618年に伊達政宗の家臣でキリシタン領主であった後藤寿庵が先導して開削した水路です。しかし、二つの取入れ口が近い(約1.0km)ため、胆沢川の上流から取水する「寿庵堰」と、下流で取水する「茂井羅堰」の水争いが絶えませんでした。このことから、自然の落差で公平に水を分けることができる方法として、昭和32年に国営かんがい排水事業により作られたものです。円筒分水工が完成して以来、人が操作することなく、公平に水を分けることができることから、水争いは丸く治まっています。現在の円筒分水工は、胆沢ダムからの取水量に対応して、平成7年に改修された二代目です。胆沢平野の特徴は、胆沢川によって作られた半径約20kmの扇状地であり、山梨県の御勅使川、長野県の神戸原と並び「日本三大扇状地」の一つに数えられています。もう一つは、田んぼの中に家が点在する散居集落です。その様子は、日本の原風景と称されています。胆沢平野土地改良区』
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円筒分水工平面図・断面図
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胆沢平野(胆沢扇状地)
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せっかくなので公園内も散策します。
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53.5
円筒分水アクアパーク…『この公園は、胆沢平野土地改良区のシンボルである「円筒分水工」と、イメージキャラクターの「アクアくん」から名付けられた親水公園です。「円筒分水工」は、胆沢扇状地を流れる2大幹線水路、「寿安堰」と「茂井羅堰」に農業用水を公平に分ける施設です。国営農業水利整備事業により昭和32年度に建設され、平成7年度に改修し、胆沢平野土地改良区が管理しています。4月20日から9月10日までの通水期間中、農業用水が途切れることなく流れるため、円筒分水工も役目を充分に果たすことが出来ます。「アクア」はラテン語で「水」の意味です。「アクアくん」は、円筒分水工に住んでいる水の妖精で、胆沢平野土地改良区のイメージキャラクターです。また、この公園には、水に関連したビオトープ(生き物が住めるような環境のこと)や手こぎいかだ、三連水車などの施設があります。これからも、親水公園として皆さんに親しんでいただけるように整備していきます。』
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三連水車。
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アクアパークっていう感じですね。
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56.2
56.4
56.6
56.8
色々と小さな案内板がありました。一部紹介。
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水路の歴史。
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58.2
58.3
58.4
胆沢扇状地。
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川のきれいさを決めるめやす。
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60.5
胆沢川。
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61.4
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手こぎいかだへ。
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子ども2人がいかだに乗って遊んでいました。
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子どもが遊んでいるくらいだし、ここなら落ちても死なないと思ったので、私も1人でいかだに乗ってみたら…
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靴が少し浸水…えっ?体重制限あるの!?笑
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