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岩手県奥州市水沢姉体町元天神前。住所が元天神前ですね。茂井羅南堰沿いで、茂井羅南堰には天神橋が架かっています。地図では天満宮児童遊園と記しているものもあります。
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「天満宮の大銀杏と八つ房の梅」(ふるさと名所50景)
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姉体町は北上川右岸、胆沢扇状地の扇端部。北上川氾濫原に位置。中世の姉体村(戦国期)は伊沢郡のうちで姉帯郷とも見えます。永正4年11月26日葛西左衛門尉知行安堵状(馬籠馬ノ助宛)に「姉帯郷」とあります。上姉体寺の西の上姉体城は柏山伊勢守の家臣、千田豊後が天正年間まで居住したと伝えます。千田豊後は上姉帯殿とも称されました。要害の古塚は上姉帯殿の孫の墓といいます。下姉体天神林の下姉体城は葛西家臣、大内源次(太)郎の居所。姉帯邑主大内源次郎の活躍は「浜田兵乱記」に見えます。本領の「姉躰村」に添えて「伊沢郡中野村之内五千苅」を源次郎に加給した天正16年4月28日葛西晴信黒印状も残されています。姉体城の在所は館と呼ばれる佐々木氏宅の一帯。東西80m・南北150mの平城。土塁・水濠跡を残すようです。欅の巨木、菅原神社が建っています。下姉体城は遠藤智氏宅地の内館(本丸)を中心として西隣の松川館(菊地勇夫氏宅)、北西の西館(遠藤時夫氏宅)、北東の道場館(安彦永司氏宅)などの諸郭が複合的に存在する複郭式の大型の平城。それぞれの郭に水濠・土塁が廻らされていたとみられます。字天神林の南面、大深沢川の北岸近くに立地。内館は東西200m・南北80m。なお、下姉体城については田村城(伊沢城)の旧跡なりとする異説もありました(安永風土記)。また、上姉体に隣接する瀬台野にも古館がありましたが、現在の真城字寺後(沼の上)の杉林、水沢競馬場の西南0.3kmの台地上で土塁跡を残すようです。東西50m・南北80m。大学・お蔵場・奥方屋敷の地名が残ります。横山弥右衛門が寛文11年まで居住したと伝えます。瀬台野片子沢(真城字片子沢)の片子沢館については、館主・遺構ともに不明。上姉体石名坂の観音堂跡は石名山千眼寺という七堂伽藍の大寺跡と伝えます。堂館の村鎮守観音堂の御本尊は千手観音で行基の作と伝えます。堀合の曹洞宗石名山慈眼寺は寂翁和尚の応永23年開山、本山は黒石正法寺。下姉帯小屋の清水在家は上幅(葉場)掃部長者の家来、清水軍治兵衛義実の屋敷跡と伝えます。軍治兵衛が用いたとされる松浦清水があります。同じく内構の諏訪社は南北朝期の貞治元年、牡鹿郡石巻から遷宮と伝えます。大槻の八幡社は天喜2年源義家が戦勝を祈った槻(欅)の大樹を御神体とします。鎌倉末期の正中元年大槻が朽ち倒れた後に八幡の小祠が建立されたといいます。新山林の新山社は延暦20年坂上田村麻呂の勧請で、社殿は大同2年の草創、更には慈覚大師の草創とも伝えます。小槻の大日堂は天喜2年源義家の勧請。漆林の観音堂は文治年間佐藤持信の勧請と伝えます。持信は源頼朝より東岩井の地を給され薄衣村諏訪前を居所とし、天正年間、佐藤豊後の時になって漆林に来住したといいます。小屋の庚申塚供養石は室町期の明応3年の建立。大檀の大塚は安倍合戦(前九年の役)の死骸を埋めます。諏訪前の礼拝塚は石巻殿の諏訪社礼拝の塚、古茂檀は蝦夷人の塚とそれぞれ伝えます。
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天満宮(平成25年6月、姉体町振興会、姉体の昔を語る会)…『【鎮座】奥州市水沢区姉体町字元天神前八【祭神】菅原道真公【由緒】創建の建立年月ともに不詳だが、「天満宮略縁記」という版木には、室町時代貞和4(1348)年に、正法寺を開山した無底禅師が参籠(こもって祈願)したと記されてあるので、鎮座はこれより早いと考えられる。また、三百年以上前は、北上川沿いにあったが大洪水による災害で、別に宮社をこの地に構え移したとある。延喜元(901)年、菅原道真公筑紫に配流され給う時、母君(菅公夫人)は御子三人と、共の家臣を伴い、東奥胆沢郡へ落ち給う。胆沢藤杜の郷長者郡司兵衛尚利(ひょうえなおとし)という者受け取り、母子四人を四ケ所に配所した。母君の居所を母体(もたい)、姉君吉祥姫を上姉体、次の姫君梅代姫の居所を下姉体と名づけ、弟菅原敦茂(あつしげ)公の居所を中野北野に配所したと伝えられている。(姉体の地名の起こり説による)社地には、誰が植えたか八房(やつふさ)の梅(別名座論梅(ざろんばい))と呼ぶ梅の木あり、花一輪八重に咲き八つの実結び、長ずるに実るは一、二果残る。座席争論の如くで座論梅と名付くとか、無底禅師が、この梅の枝を正法寺の庭に挿したとの説。昭和24年、この梅の花形をデザインし姉体小学校の校章とした。樹齢三百年以上と言い伝えられる大銀杏が神木として植えられ、敬拝されている。祭礼は4月25日と9月25日。別当(管理者)は及川忠一氏。』
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参道。
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住所が元天神前ですが、神社も元天神宮って感じですね。
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鳥居(奉納 両塚 別当及川忠一、鳥居 上島崇敬講・平成14年10月吉日)。
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鳥居額束神額。明らかに鳥居のサイズに合っていません。神額は昭和7年3月のものなので、かつての鳥居はもっと大きかったんでしょうか。もしくはかつての拝殿もしくは本殿向拝にあったものかも知れませんね。
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現在は拝殿がありません。
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狛犬一対(姉体村、及川忠右エ門)。紀年銘はわかりませんでした。
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「二代八房の梅」(奉納天神会、平成6年3月)。案内板にあった梅ですね。
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本殿。
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本殿裏に石碑が並べられています。
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善光寺供養塔…でいいのかな。
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脇に「祈願武運長久」とあり、下部に数名の名前があります。紀年銘は昭和13年旧3月25日。
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「山神」(昭和18年8月12日)
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「天神宮」(天保14癸卯歳3月25日)
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「天満大自在天神」(天保13壬寅歳3月25日)
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こちらは…う~ん…「神」はわかりますが…紀年銘は明治39年3月25日かな。
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こちらは厳しいですね。線刻って感じです。
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そしてこちらも「神」はわかりますが…紀年銘は命じ19年3月25日かな…自信ないです。
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天満宮八房館。
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中に入れます。
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「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」
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樹齢300年以上と言い伝えられる大銀杏の御神木ですね。
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こちらの写真には恐らく現在のものと同じであろう両部鳥居が見えますが、神額は現在と異なります。石灯籠も二対ほど見えます。
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そしてこちらの写真(平成28年9月22日、第188回天満宮献膳講例祭)の鳥居は現在のものと変わりませんね。境内は参道入口から鎮守の杜といった感じですね。
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かつての社殿。狛犬は現在と同じです。社殿横には石殿(末社)らしきものも見えます。
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