秋田県にかほ市象潟町本郷字中野。神社前には奈曽川が流れています。写真は奈曽川に架かる宮橋。
社号標(昭和18年5月、三山神社宮司外島瀏謹書)は正面に「村社神明社」、側面に「龍田神社」

その理由は下記の由緒を参照ください。
神明社相殿龍田神社…『◆御祭神…天照皇大神・豊受姫大神・志那津彦神・志那津姫神。鳥海山一之王子を八大金剛童子と称へ仏体を安置す。普賢菩薩像を御神体として祭祀す。◆由緒略記…太古に影行帝より五代の朝廷に仕えた武内宿禰がこの聖地を探求され、祠を建て、祭祀す。その後上古天武帝の御代には、修験道の祖師役行者がこの聖域に参られ、元滝、不動滝で修行、積徳、浄身して神明を祭られた。時に、土着の村主、多津喜が役行者につき名を行開と改称し、修行積徳を重ね神主として神真に努めた。中古には慈覚大師がこの地に久しく留まり、天台の仏法を広め善き施しをされた。◆本郷駅(もとつさとうまやど)…古来、この本郷は、大物忌神社蕨岡口の宮から観音森に通ずる本郷駅として、また仁賀保郷に通ずる駅路(うまやじ)の重要な処であった。その上、産物豊なこの地は、水の豊口、元滝、不動滝、奈曽滝の中心地として、また鳥海山の神威を崇める修行登山の霊場中口としても重要な聖地であった。◆この碑文は、明治中頃に社掌金賢忠氏が、御世に伝えたかった悲願の文(寛文体)を口語体に書改め、ここに建立す。平成12年7月28日宮司金啓一郎、氏子総代会長斎藤久、部落会長田仲晴一』

裏面碑文「来歴伝記」…『上古…志那津彦神社(風乃神)。1055…天喜三年役行者、鳥海山開基、この本郷に大和の国吉野より、勧進せられ、普賢菩薩を奉斎す。1070…延久二年三月十四日、神明社は志那津彦神社にして、伊勢皇大神宮より御分霊を奉し宮殿を建立す。1641…寛永十八年、矢島領となり生駒讃岐守殿の祈願社となる。1740…元文三年、両宮殿共改築殊に領主の祈願社として崇敬篤く両宮殿とも飛騨の名工の作と言い伝う。1868…明治元年七月、生駒讃岐守、当名主須田喜右エ門を本陣として戦勝祈願する。1869…明治二年、矢島藩主より戦勝報賽の為片車紋入幔幕を寄進される。1873…明治六年九月、神明社を村社に列せらる。1883…明治十六年三月六日、両社殿とも焼失。1888…明治二十一年三月二十七日、再建竣工。両社合殿となる。1893…明治二十六年、矢島藩主、生駒親忠殿藩内巡回の節、当神社参拝し掲額奉納す。1901…明治三十四年七月二十五日、拝殿焼失。1902…明治三十五年六月十七日、再再建。1949…昭和二十四年五月五日、木製鳥居石段下に建立。1958…昭和三十三年九月十日、茅葺き屋根を瓦葺きに改良と、本殿増築工事竣工。1962…昭和三十七年五月十五日、石の鳥居建立。2000…平成十二年七月、鳥居、社標、他、移設。 この度、奈曽川砂防事業により社地の一部を拠出し、鳥居、社標、他の施設移転に伴い定め書きと替えて来歴伝を記す。』

参道。

右側に小川。

小川への石段。禊をすればいいのでしょうか。

石段。


神社庁より…『御祭神大日霊命、級長津彦命、級長津姫命。例祭日6月1日。特殊神事獅子の舞(6月1日)。境内神社鎮霊社。当社は元神明社、級長津彦神社の両社にして、神明社は延久2年3月14日伊勢大神宮より御分霊を奉じ、宮殿を建立。級長津彦神社は上古鳥海山一之王子八大金剛童子と称し、天喜5年の草創であって、当村開祖以来産土神として尊崇す、元文5庚申年には両宮殿共改築、殊に領主の祈願社として崇敬篤く、両社とも飛騨の名工の作であると言い伝えられている。明治6年9月村社に列せらる。明治16年3月6日旧社殿両社共焼失同20年10月10日再建の許可を得着手、同21年3月27日竣工両社合祭殿となる。明治34年7月25日拝殿焼失同35年5月18日再建の許可を得、同30日起工6月17日竣工する。明治39年7月28日合殿級長津彦神社を龍田神社と改称す。明治42年5月18日上地官林1反9畝28歩境内編入許可。昭和20年4月12日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。』

手水舎。


狛犬一対(昭和13年5月)
石灯籠一対(宝暦5年乙亥4月吉日)
こちらの石は不明。

社務所。

社殿前参道。
石灯籠一対(宝暦5年乙亥4月吉日)
社殿。
幣殿・本殿覆屋。

拝殿向拝。
蟇股・木鼻等。美しいですね。
拝殿向拝神額。

「鳥海山一之王子龍田神社」

建築力士像。
本殿増築・拝殿改築記念(昭和31年5月1日竣工、宮司金弘次代)

裏面「建設功労者芳名」(昭和36年3月之建)。委員長須田喜代松ほか委員名、世話人省略。石工土田駒吉、山田建二郎謹書

慰霊碑(日支事変及び大東亜戦争戦没者、本郷遺族会代表齋藤忠敬、遺族一同建之、令和3年8月吉日)

石塔群。

こちらは読み取れず。裏に陶器製の稲荷狐眷属像があります。

「南無…」はわかります。

不動明王(平成13年6月28日、須田喜平治、トキ代建立。宮司金啓一郎)

こちらの石殿、五輪塔、石は不明。



聖徳太子・慈覚大師と刻む碑。その他読み取れず。

石仏。台座読み取れず。

鳴雷大神宮。昭和57年6月吉日再建、平成11年7月吉日台座(皇神等台座)整備工事。



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