
大館市猿間丹内下。松尾神社(松尾観音・丹内堂)

非常に分かりにくいのですが、畠山商店(墓所はす向かい)の裏、猿間集落会館付近に参道入口があります。

猿間は西流する米代川中流域の北岸部に位置。北方は高森に続く広大な山林地帯。山中から南流する猿間川(小沢・石沢)が米代川と合流する地点に集落が発達。米代川対岸部が十二所。地名は米代川の狭まる地に立地し「サル」の意である小石が多いことによるといいます。

江戸期以降の猿間村は出羽国秋田郡南比内のうち。秋田藩領。十二所所預管轄下の村。正保国絵図では40石、元禄7郡絵図では39石余の村として図示。石高はいずれも本田当高で、この間にも開発は続きました。享保黒印高帳で村高180石余・当高90石余(うち本田30・本田並27・新田33)と認定され、開発の過程を数値で示します。親郷十二所町の寄郷。寛政村附帳では当高59石余(うち蔵分31・給分28)。天保郷帳では90石余。安政年間の十二所給人石川内匠による当村30町歩余の開田などがあります。戸数は享保郡邑記で14軒、秋田風土記で18軒。安政4年には18軒・109人・馬70頭。藩政初期以来、羽州街道白沢本陣への加伝馬・歩夫負担がありましたが、享保年間、南部御境目を理由に免除されます。北方の広大な山林は「石野沢」の名称下に藩政初期から藩の御留山に指定。当村肝煎は山守を兼務。村鎮守は神明社の他に稲荷社が見えます。松尾観音(丹内堂)は縁起不明ですが、付近村民の崇敬を集めたといいます。明治11年北秋田郡に所属。同22年北秋田郡十二所町の大字。同22年以降ははじめ十二所町、昭和30年からは大館市の大字。

鳥居。
参道。

途中に左手に境内社が見えますが後(下記)から紹介します。

参道。
灯籠一対(平成2年旧4月5日、畠山サダ、同雄一)

灯籠右手の建物。


建物内。

こちらは不明。

唐松様。正面の札には「太祖神、天祖神、地祖神、万神、万霊、多福大神」と見えます。

山ノ神様。


お日様。

八幡様。

ソーデ様とありました。蒼前様です。棟札はよく見えませんでした。

参道に戻ります。
社殿。御祭神は天照皇大神、大山咋命、宇気持命、猿間開墾の功労者である丹内。例祭5月5日(かつては4月13日)。
灯籠一対(昭和56年5月5日、猿間部落一同)


灯籠一対。こちらは古いものでしょうけど状態が悪くて読み取れませんでした。


拝殿向拝。

本殿覆屋。

拝殿内。
神額「松尾神社」(昭和46年5月、秋元太一郎)

拝殿内にあった額より…『昭和57年6月18日、京都市右京区嵐山宮町洛西鎮護総氏神、日本第一醸造神松尾大社を参拝し、松尾神社関係社類纂地を調べましたら、左記の通り記載されていましたので参拝者一同で奉納致します。昭和57年9月吉日参拝者一同「秋田県北秋田郡十二所町猿間字丹内下61番地鎮座 無格社松尾神社 祭神大山咋命、天照皇大神、宇気持命 由緒 創立不詳ナレトモ明治43年11月20日 秋田縣知事ノ許可ヲ受ケ 仝年12月9日 字丹内下無格社山森山神社字戸澤向無格社神明社ヲ合併ス。奉納者中山サクラ、渡辺フミ子、中山ミヨ、中山敏子、畠山タネ、畠山サダ、中山ツナ、秋元イネ、畠山カツ子、畠山サダ、佐々木ミチヱ、畠山久吉、秋元フユ、畠山イソ、畠山ツユノ、秋元アサ、畠山リツ、秋元太一郎、中山キクエ、畠山キクヱ、中山六郎、神官様奈良テル 京都松尾大社で写す』

眺望。

参道を戻ります。


参道下り右手に丹内様公園。

何かいい場所ですね。

景色もいいし。
境内社。

何でしょうね。

判別できず。

境内社。

石殿があります。

こちらは稲荷社ですね。

「無格社稲荷神社 外二社 森山神社 神明社」とありました。

公園付近に松尾神社の由緒がありました。

松尾神社(丹内様)…この神社を建立する為にのみ作られたような、極めて狭小な台地上に鎮座している松尾神社の祭神は天照皇大神、大山咋命、宇気持命及び猿間開墾の功労者丹内が祀られている。創建は不詳なるも、明治43年11月20日秋田県知事の許可を受け、同年12月9日字丹内下無格社山神社、字戸沢向無格社神明社を旧丹内神社に合祀し、以後松尾神社と改称し今日に至ると伝えられている。因みに旧丹内神社の祭神丹内は鹿角郡宮川村谷内の生まれで、旧藩時代十二所給人石川内匠の使用人として猿間の開墾に従事した。丹内は人格智能共に優れ、多くの人夫を統率して猿間堰の築造と、三十余町歩の水田造成に尽力した為、没後その功労と人柄が敬慕されて村の鎮守に合祀されたのである。なお、古くは『郷村誌畧』(寛政12年刊)猿間の項に「松尾観音(丹内社と云う)」の記録が見られる。また、江戸後期の遊歴文人菅江真澄の見聞記『ふでのまにまに』にも「さるまの神」と申すなどの一文がある。例祭は丹内の命日4月13日に行ってきたが、今は5月5日である。(平成14年発行『史跡探訪十二所城下』石井景紀著より抜粋)平成26年以降には神社を含むこの一帯が丹内様公園として整備され地域住民の四季折々の憩いの場となっている。令和4年3月十二所再発見探訪隊

史跡所在地図。紹介されているのは「稲荷神社」「道標」「葛原番所跡」「老犬神社」「別所大日堂」「十二所舟場跡」「十二所番所跡」「十二所材木場跡」「十二所城本丸跡」「成章書院跡」「長興寺」「城代茂木家墓地」「刀工忠秀鍛刀跡」「刀工忠秀墓」「三十三観音堂」…あれ?鬼神社がありますね!この存在は知りませんでした。ちょっと地図が大雑把ですがいつか行ってみたいですね。



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