秋田県北秋田市川井才ノ神。川井運動公園の南。

鳥居。

社号標。

奉納参宮紀念石鳥居壹基(昭和13年)

手すり奉納記念(平成10年)

参道石段。

石段途中の鳥居。

鳥居奉納記念碑(昭和51年1月吉日)

江戸期の川井村は出羽国秋田郡南比内のうち。秋田藩領。慶長8年「秋田比内郡兄之内川井村検地帳」の村高116石余・名請人23名中村内居住者15名(うち7名は6石=1町2反以上、8名は2石=4反5畝以下)。このうち肝煎とみられる源右衛門は5町歩余、有力農民左衛門太郎は3町歩余と特に多く、当村田地15石余を2人で分有しています。他はすべて畑地。「正保国絵図」「元禄7郡絵図」ともに本田当高164石と図示。「享保黒印高帳」では村高251石余・当高135石余(うち本田74・本田並27・新田34)。「享保郡邑記」の戸数44。「寛政村附帳」は当高162石余(すべて蔵分)。「秋田風土記」の戸数45。「天保郷帳」135石余。藩開発役渡部斧松が弘化元年大野台横呑沢に二段堤を築いたため上谷地開発が可能となり、嘉永4年約30戸の農家が台上に移転し斧松羽立村が誕生。延宝4年、藩は大阿仁の肝煎郷を7村に限定する方針を定め、川井村は増沢村支配となり、その後元禄8年の下杉村支配を経て、文政7年から肝煎郷に復活。米内沢以北大阿仁下郷に属し、年行事が郷用を勤めます。村鎮守は神明社。明治22年北秋田郡大野村の大字となっています。
狛犬一対。


水銀灯奉納記念碑(昭和62年1月吉日)

山陰四國關西參宮記念植林之碑(昭和30年4月吉日建之)

石灯籠一対(大正10年1月吉日)


手水石(平成8年1月吉日厄年一同)

参道御神木。
御祭神は天照大御神、豊受大神。例祭9月16日。
創立年代不詳。

明治6年村社。
元は伊勢神社と称していましたが、明治43年中に神明社と改称。

社殿前石灯籠一対(大正11年1月吉日)
社殿前御手洗場。

御手洗場奉納記念(平成5年1月吉日)「62才(昭和7年)佐藤隆雄、吉田勇、山田銀左エ門、村形富造、村形武三、吉田久吉、佐藤七蔵(昭和8年)佐藤金助、石戸徳次郎、吉田久左エ門、佐藤行雄・42才(昭和27年)吉田勇咲、佐藤文明、佐藤和夫、吉田喜代志・33才(昭和36年)吉田みどり、吉田潤子、佐藤幸子、渡辺きく江」

御神木。



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