秋田県山本郡藤里町大沢嘉平岱。県道200号矢坂糠沢線・矢沢川沿い。鳥居(昭和25年11月3日、淡路周吉寄贈)後方の山々は中世の城館(嘉平岱館)です。

社号標(昭和26年5月7日、石工宮腰福藏、揮毫石岡運吉)

鳥居前にこのような看板が。何が落下してくるのかわからず、逆に怖いです。

石灯籠一基(昭和38年5月吉日)

大沢村は戦国期には見える村名で、出羽国檜山郡のうち。史料上の初見は天正19年正月17日豊臣秀吉朱印安堵状写。秋田実季の当知行地として小掛・糠野両村を合わせて3ヶ村418石余と表示されますが、慶長6年秋田家分限帳では、秋田氏の家臣大高甚助が代官として預かった大沢村61石余が村高とみえます。文禄元年秋田家分限帳に大渡村61石とあるのは大沢村の誤記または別称。文禄4年浦城(八郎潟町)の三浦遠江守が当村内に祈願所宝伝寺(のち喜宝院)を建立したといいます。江戸期以降の大沢村は出羽国山本郡(寛政4年まで檜山郡)のうち。秋田藩領。近世村落整備により、糠野村の一部などを合わせて慶長8年村高359石余の村として成立と推定。元和8年・宝暦5年などには大洪水に悩まされ、再開発が繰り返されています。正保国絵図では大沢新田村として本田当高319石とあり、元禄郷帳でも新田村扱いです。18世紀以降新田の字。東部の滝沢山・八ケ沢ともすべて正徳5年に御留山に指定。藤琴村の寄郷で、枝郷に一又・二又の2ヶ村を擁します。享保黒印高帳では村高468石余・当高411石余(うち本田329・本田並3・新田79)、寛政村附帳は当高270石余(うち蔵分257・給分13)、天保郷帳は411石余。戸数は享保郡邑記で86軒、文化10年に89軒・523人・馬218頭とあります。曹洞宗竜江山月宗寺(檜山町多宝院末寺)は寛永年間の開基。村鎮守は熊野社(別当は修験大沢山喜宝院)。戊辰戦争時に南部藩兵侵入。明治22年山本郡藤琴村の大字。
石段奉納碑(昭和36年10月3日、東京、石岡勇吉)

石段。

更に石段。
石殿と石碑。読み取れず。


御神木。

石灯籠一基(平成12年還暦祝、細田鐵芖)

石灯籠一基

昭和53年度42歳厄祓記念(淡路健一、淡路奨、淡路司、淡路勉、淡路至弘、石井晃一、石岡達児、伊藤鉄一、石岡良四郎、今村英夫、永塚孝夫、菊地勝治、河田輝一、細田信一、細田精三、細田芳男、細田由巳)

奉齋石階寄附芳名碑(明治29年旧4月6日)

石段上。

社殿前参道。
参道を振り返るの図。
石灯籠一対。


石灯籠一対(明治28年8月15日)


5月に行われる例祭では大沢壮士舞が奉納されることで知られています。大沢壮士舞が藤里町大沢地域に伝わったのは明治30年頃といわれ、当時、諸国巡業していた男女数名の武芸者が大沢地域に立ち寄った際、剣、槍、長刀などの武技を披露し、戸嶋ミナという大沢在住の女性に剣舞を教え、更に戸嶋さんが集落の女性に伝授したと伝わります。「一幕」と「二幕」の二部構成で、元禄14年に起こった赤穂志士の吉良邸討ち入りを、扇と刀を使いゆったりとした舞で主君の仇を討とうとする志士の姿を表現しています。
開基は文禄4年。元は弥陀如来、薬師如来、観世音菩薩のの三躰の金の仏像が祀られていたといいます。
狛犬一対(昭和10年5月)
征露紀念碑(秋田縣知事下岡忠治書)

御祭神は建速素盞男神、天照大御神、受持乃神、迦具土神、武甕槌乃神、大山祇命。例祭5月4日。




神社庁より…『文禄4年(1595)三浦遠江守が観請し、宝伝寺と称した。明治3年の神仏分離令により、村社熊野神社(祭神・建速素盞男神)となる。同43年4月字向山下無格社澤口神社(受持乃神)、同愛宕神社(迦具土神)、字荒川無格社神明社(天照大神)、字釜谷無格社釜谷神社(大山祇命)、字白石澤無格社鳴澤神社(武甕槌乃神)を合併する。本殿は昭和15年12月新築、幣殿・拝殿は昭和4年5月新築したものである。口伝によると、昔の大沢村は現在地より南東に約1km離れた屋敷田といわれる所にあったが、応和8年・寛永9年(1632)の度重なる白髪洪水で大部分の家屋が流失したので、今後の生活に不安をおぼえた村人たちは、現在の蕨台の地に村を移転したという。しかし大沢村の鎮守として祀っている神明社が、村の下方に鎮座することになってしまうのは良くないことであるとし、村の上方となる荒川の地に新たに神明社を建立した。今迄の神明社は石岡五郎右衛門の代に石岡家の氏神として申し受けた。(ごえんどこ、と呼びまつられている)その後村が大きくなったので、現在の嘉平岱に遷座したという。ご神体(弥陀・薬師・観音の御三体)は天保弘化の間に盗難にあってしまったが、嘉永2年(1849)石岡孫太郎が江戸にて求め、寄付したものである。』
蟇股等の彫刻が美しいです。
海老虹梁・手鋏。


脇障子。


拝殿向拝神額(昭和31年5月吉日、佐竹義栄書、淡路周吉奉納)
拝殿・幣殿内。

こちらはかつての手水石でしょうか。

このような大きな石棒がのっていました。

太平山神社。

石碑の他に八大龍王などの掛軸も見えました。

相染神社。

馬頭観世音。


こちらの建物と石は不明。




コメント