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八戸市鮫町番屋。八戸市立種差小学校の南西の台地上に鎮座。地図によっては天照皇大神宮、神明宮とも。余談ですが種差小学校下にあるマタズ石は馬立石とも呼ばれており、その下方には仙人屈があります。安政初期の狼煙場の記録によりますと、マタズ石が藩の狼煙場となっており、八戸線工事の際に2つに割られて鉄道の敷石にされたといいます。また、漁港近くに白岩があり、ウミウの営巣地となっており、その糞で白くなっていますが、かつてこの白岩を御神体とする鵜の巣大明神信仰がありましたが現在は祀られていないようです。
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庚申塔2基と不明の石。
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3.5
鳥居の裏にも石。
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何かは不明。
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参道。
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深久保は江戸期の浦名三戸郡浜浦村を形成していた10か所の浦の1つで深久保村とも称しました。新井田川河口部の八戸港東方、太平洋を望む海岸部に位置し、西は白浜、東は種差にあたります。なお、行政上の浜通村の中心は湊で、湊が10か所の浦を代表していました。また、八戸藩の領内支配上、石高把握では10か所の浦が浜通村と一括されましたが、浦支配のうえでは湊とそれ以外の前浜通とに分けて把握されることが多いです。元禄3年の御領内巡見覚帳では山崎勘兵衛拝知として家数4、猟船が2艘(2人乗1・2人乗半役1)ありました。延享4年浦数覚では八戸廻22浦のうちに深久保が見えます。安政初期の「狼烟場」によりますと、白浜村との境は田村崎、種差村との境は林ケ島とし、マタズ石が藩ののろし場となっていました。神社としては南側高台に神明宮があります。明治になってからは浜通村支村深久保村と見え、浜通村の一部として扱われました。なお、明治初年の国誌では深久保村を一村と扱っており、家数9、村況は「海浜を去ること二丁、平に添て散居す、土地下之下、水田なし、東南種差村まで十一丁」とあり、東部に浜ノ平という原野があったようです。
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参道は途中から僅かに石段。
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狛犬一対(昭和7年4月吉日、深川酉藏)
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かつての参道はもう少し鬱蒼としていたのかも知れません。
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付近に切株が点在していました。
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社殿前から見た参道。
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社殿。
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社殿も新しいですね。
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御祭神は天照皇大神。例祭日6月8日(現在は12月11日に最も近い日曜日)。深久保町内の産土神。創建は不明。明治6年に神仏分離令により鮫村蕪嶋神社に合祀するも、同8年復社し再興。昭和27年1月に火災に遭うも同年9月に復興再建。
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拝殿向拝神額「天照皇大神宮」(昭和31年旧5月11日、第十五久榮丸船頭深川春松41才)
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農業・漁業を営む深久保住民の村の守り神として年輪を重ねてきた社。創建不詳ですが、集落誕生と共に自然発生的に一小祠として祀られたことから始まった社であると推測されます。地勢的に農作物の収穫に常に不安を伴うことと、漁業の危険性を鑑みたとき、御祭神への崇敬と信仰はそこに住む人々にとって極めて当然のことでした。明治6年の神仏分離の折、一時鮫村蕪島厳島神社(現蕪嶋神社)に合祀されましたが、明治8年復社再興。その後、昭和27年1月には火災に遭いましたが、同年9月に復興再建。現在も神明さまと尊称され、農業もさることながら、特に地元漁業従事者の崇敬が篤いといいます。
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拝殿内神額「神明宮」(昭和27年9月)
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連結している建物。
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出羽三山っぽいですね。
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拝殿内。
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「三山神社」(昭和43年12月7日)とも見えます。三山とは出羽三山のことでしょう。
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本殿前には月山神社の御神札があります。
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