秋田県山本郡藤里町藤琴馬坂。「藤琴豊作踊り」で有名な神社です。藤琴豊作踊りは慶長7年、秋田藩主佐竹義宣公が水戸から秋田へお国替えの際、主君の道中の退屈をお慰めする家臣の道中芸が起源と伝えられ、駒踊り、獅子踊り、奴踊り、万歳などで構成。「上若郷土芸能保存会」「志茂若郷土芸術会」の2つの会で伝承され、この踊りは藤琴浅間神社祭典の宵宮9月7日と祭典当日の8日に演じられます。

浅間神社…『この神社には年ごとにきれいな花を咲かせた木花開耶姫神が祀られている。美術・芸術の守り神としてや家内安全、五穀豊穣、商売繁昌、安産の神様として今日もここで見守り続けている。9月8日(7日宵宮)の例大祭では「大名行列」で町内を練歩く。』※祭神・行事は下記に同じ

藤琴は米代川支流藤琴川の上流部に位置。流域に沿って縄文前期から後期の遺物が広範囲に分布。地名の由来は坂上田村麻呂伝説を伴う「不二琴」説(浅利安養院日記)やアイヌ語の「フジコタン」「フチコトイ」説(町史)などがあります。また、弘法大師伝説を伴うイチョウの大木(県指定天然記念物)があります。中世戦国期に見える藤琴村は出羽国檜山郡のうち。史料上の初見は慶長6年秋田家分限帳に、秋田実季の家臣大高甚助の代官給地として「藤琴村」114石とあります。天正18年に豊臣秀吉の実季に与えた朱印安堵状では糠野村のうちに含まれると推定。江戸期以降の藤琴村は出羽国山本郡(寛文4年まで檜山郡)のうち。秋田藩領。近世村落整備により糠野村の一部を合わせて、慶長8年707石余の村として成立と推定。元和6年から梅津政景の知行地。藤琴川上流に太良銅山があり、更に北限の釣瓶落峠越えに津軽藩領と接し、御境郷に指定され、米代川中・下流北部の寄郷10か村の親郷となります。親郷肝煎を世襲した伊藤吉兵衛家に文書を伝存。白神山地の広大な山林地帯は総じて御留山となり山拠人も親郷肝煎家が兼帯。元和8年・宝暦5年など大洪水に悩みながらも再開発が継続され、枝郷の市野渡・高石沢・坊中・湯野沢・小比内・寺屋敷・大落・大砂崩・金沢(茶屋)・真砂子・岩橋の11ヶ村はいずれも寛文~元禄年間に成立といいます。「正保国絵図」では本田当高770石、「享保黒印高帳」では村高928石余・当高770石余(うち本田625・本田並2・新田143)、「寛政村附帳」は当高815石余(うち蔵分716・給分99)、「天保郷帳」は770石余。親郷肝煎家文書に宝永5年以後の検地帳があります。村鎮守は富士権現社(明治初年に浅間神社と改称)。曹洞宗義峰山宝昌寺(久保田町鱗勝院末寺)は寛文年間の開基。その他に修験白竜山千寿院・義明山安養院や愛宕社など5社が鎮座。村鎮守では祭日に駒踊を行います。戸数は「享保郡邑記」で259軒(うち枝郷分108)、文化10年に419軒・2,160人・馬594頭。明治7年に開校の藤琴学校は同19年小学校と改称。同22年山本郡藤琴村の大字となります。命じ22年以降は山本郡の自治体名。藤琴・大沢・太良鉱山3ヶ村が合併して成立。大字は旧村名を継承し3大字を編成。太良鉱山は明治38年から古河の阿仁鉱業所支山として経営、大正初年に最盛期を迎えましたが大正6年に休山し、昭和12年の再興後も振わず同33年廃山。藤琴営林署と太良鉱山の盛衰により村勢は大きく変わりました。明治7年藤琴小学校、昭和22年藤琴中学校、同23年県立能代高校藤琴分校が開校。昭和30年に粕毛村と合併して藤里村成立。3大字は藤里村の大字に継承。合併時の世帯・人口980戸・6,225人。

社号標「淺間神社」(昭和38年5月3日奉納:徳十郎八代目齋藤安治郎・同寿恵)

鳥居。

参道。
灯籠一対(創業65周年記念、佐々木石材店造之・維持平成弐年、還暦記念義務建之)


参道石段。
結構足にくる石段。


石段上両脇に崩壊した石灯籠。


こちらも何かが崩壊した痕跡。

浅間神社の創建年代は不詳ですが天正年間以前の草創とも伝えます。
手水舎。

手水石。台座部分には「秋田市、中嶋末蔵」と見えますが、上部とは別でしょうね。上部は苔生していて読み取れません。っていうか水豊富。

狛犬一対(令和3年11月吉日、株式会社土佐プロパン、取締役会長土佐信也、取締役社長杉渕勝利、取締役木村繁、取締役佐藤寛樹、監査役佐々木剛)



社殿。
神社庁より…『【御祭神】木花開耶姫神(このはなさくやひめのかみ) 応神天皇(おうじんてんのう) 天照大神(あまてらすおおかみ) 火産霊神(ほむすびのかみ) 猿田彦神(さるたひこのかみ) 豊受姫神(とようけひめのかみ) 武甕槌神(たけみかつちのかみ) 菅原神(すがわらのかみ) 大山祇神(おおやまつみのかみ) 日本武尊(やまとたけるのみこと) 加具土神(かぐつちのかみ)【例祭】9月8日【由緒】創立年月日不詳、正徳元年神社調には富士権現堂として祭神は薬師、山神と記されている。明治40年8月13日付秋田県訓令甲57号をもって神社の合併標準が役場に示達され、同43年藤琴村内の8神社を合併して、現在の祭神を祀っている。村社に列せられる。例祭には、豊作を祈る駒踊りが奉納されている。この豊作踊りは上若、志茂若によって演ぜられ、昭和39年県指定無形民俗文化財の指定を受けている。』
拝殿向拝。

「淺間宮」(昭和30年9月8日、柴田登良雄敬白42才)

拝殿内。


切り絵「駒踊り」(平成23年9月7日、浅間町、桂田正三・良子)

令和の画家が描く「木花咲耶姫の神」。「豊かな水をもたらすブナの森、白神山地を背景に、天女が下界に舞い降りて、満開の桜や草花が美女の美しさを賛美している。芸術・縁結び・安産の神様である。」

拝殿内案内板より…『【浅間神社の由来】正徳元(1711)年の神社調帳に富士権現堂(※案内板では「富士現権堂」とありますが誤字。千寿院=千手院=千重院か)と記され、祭神は薬師、山神とされている(藤里町誌より)。権現堂については、能代市市資料第32号・享保8(1723)年の山本郡神社明細帳で、「藤琴村 千重院 一、権現堂 弐間四間 杉大小5本雑木柴立 社地三十間三十七軒」とある。そして明治3年8月に同社は第8大区第一小区(藤琴・粕毛・大沢・矢坂村)の郷社となり、同4年の神社明細帳では、藤琴村浅間神社で記載され、社中職名として「神主 大山務 古来修験千手院 今復飾」、他社兼務として藤琴村神明社、愛宕社、金峰社、山根社、同村枝郷鳥屋場村塞神社、同村枝郷田中村田中社、同村枝郷寺屋敷村八幡、同村枝郷滝ノ沢村滝沢社、同村枝郷金沢村金沢社摂勉」とある。明治40年8月13日付秋田縣訓令甲五七号をもって神社の合併基準が村役場に伝達され、同43年に藤琴村の8神社を合併して現在の祭神を祀っている。おそらく呼称の浅間明神、富士権現堂を経て明治の初めには浅間神社の社号になったとみられている。社殿は改築が数回行われた。現在の社殿は権現造で昭和12年に改築された。二間半繁垂木などを使った本格造りである。神輿社は昭和62年に建立された。同社には昔、大変大きな桐の木があった。それに相当の年数を経た藤の木がからみついていた。それが暴風雨に見舞われ、桐の木が倒れてしまった。その時藤も切り倒した。そして藤の木で琴をつくり、いずれの御代の君からか知らないが奏ったという。その木の生えていたところに祠を建てて「藤権現」として祀ったのが起源ではないかとの説がある。藤里町誌では、江戸時代の正徳元年には富士権現と書かれて山神堂として祀ってあることから、平鉱山の山神社の支社として祀られたものと推測している。また、この神社は琴の伝説があるように、年ごとに美しい花を咲かせた神様の木花開耶姫を祀るようになった。木花開耶姫は日本神話に出てくる女神で、富士山本宮浅間大社の主祭神である。昭和6年、村岡小八郎村長時代に、富士山本宮浅間大社と関連付けてその末社として径2寸(3cm)の神鏡の御霊をいただいた。【祭神】木花開耶姫神(美術の守り神、安産の神)、応神天皇(八幡の神)、天照大神(太陽神)、火産霊神(火の守り神)、猿田彦神(道路の守り神)、豊受姫神(食物を主宰する神)、菅原神(学問の神)、武甕槌神(武神)、大山祇神(山林、狩猟、土木、鉱山、薪炭の守り神、木花開耶姫神の父神)、日本武尊(熊襲と東国を平定)、加具土神(火の守り神)【行事】藤琴豊作踊り…9月8日(宵宮は9月7日)。浅間神社の祭典で有名なのは宵宮(9月7日)と祭典当日(同8日)に披露される藤琴豊作踊りである。400年前慶長7(1602)年、秋田藩主佐竹義宣公が水戸から秋田へ国替えの際、家臣が主君を慰めるため家臣が披露した道中芸が源と伝えられている。同社に参詣して身を清めた後、棒使い、鋏箱、槍持ちなどを先頭に、馬上の武士、神輿など、大名行列をかたどった陣容で町内を練歩き、後分散して奴踊り、棒使い、槍、獅子舞を演じ、馬上の武士は出陣と戦いの様子を勇ましい駒踊りで表す。駒踊りは馬の頭と尾をかたどった色彩や、かな木枠を腰に着け鎧に似せた衣装を身に着けた「駒」と呼ばれる男衆が旗差物を付けて勢いよく跳ねて踊る様は勇敢果敢そのものである。「上若郷土芸能保存会」と「志茂若郷土芸術会」の2団体が継承して、昭和39年に県無形文化財民族芸能に指定される。【年間行事】浅間神社総代会:5月下旬~6月中旬の間・浅間神社宵宮祭:9月7日午後6時・浅間神社例大祭9月8日午前8時・浅間神社新嘗祭11月8日午前11時・浅間神社初詣1月1日午前0時・浅間神社厄払い春祈祷:1月3日午前11時【平成時代のあゆみ】2年…手水舎の改修工事。2年…氏子負担金の改定。8年…屋根板改修工事。9年…トイレ移設にともなう参道工事。10年…氏子負担金の改定。11年…屋根板改修工事。13年…屋根ペンキ・トタン張替工事。14年…外構工事。21年…参道砂利復旧工事。22年…境内盛土工事。23年…災害にともなう参道砂利復旧工事。24年…長床解体工事。26年…氏子負担金の改定。28年…屋根トタン張替工事。29年…氏子総代勤続表彰11名。29年…鳥居・拝殿大改修工事。29年…白丁衣装・裃の新調。』※その他【被表彰者一覧】、【例大祭当番長一覧】【例大祭当番町名】【社紋】等省略

せっかくなので女坂を戻ります。


根元から倒れている木。私が軽くテッポウ稽古をしたら倒れました。すいません。

女坂には特に何もありませんでした。

三頭木。

こちらにもテッポウをしましたが倒れませんでした。

ここに水が流れてたんですね。

行きでは気付きませんでした。











コメント