秋田県北秋田市八幡岱新田伊豆館。伊豆館三社の近くに一之鳥居があります。

そこから参道を上って行くと…

参道の途中で道路。そしてこれはハシゴがないと登れません。
境内に行くにはここを右に行き、社殿横の道から行きます。

横の道から来たことを忘れて正面参道から帰ろうとすれば大怪我必至です。


八幡岱新田についてです。八幡台新田・八幡代新田、もしくは新田の字を略して八幡台とも。阿仁川と小阿仁川の合流地点北方に位置しており、東方の広大な大野台台地を含みます。台地西端麓の阿仁川に面した木戸石の南に接して中心集落が発達。集落背後の台地上に縄文時代の遺物包含地2ヶ所、及び伊豆館の字地付近に中世の城館址があります。館址の西南に接しており、川井地区の松石殿館には有名な延慶2年銘板碑があります。地名は木戸石の八幡神社に関連する台地名によるといいます。江戸期以降の八幡台新田村は出羽国秋田郡南比内のうち。秋田藩領。寛文12年、当地の指紙開の権利を得た秋田藩士八代六兵衛は、川井村の反対をおして、阿仁川に堰を設けて7kmの引水を計画し、堰神の側に首柱を立て初志を貫き、80石余の開田に成功。通水当日、首柱が抜きとられた跡より清水が湧出。後年老婆らが霊験あらたかな清水と称して目を洗う習慣ができたため、目薬井戸・六兵衛井戸と称されたといいます。翌延宝元年に村鎮守の稲荷社を建立。しかし「元禄7郡絵図」には郷形を図示されず、木戸石村または川井村の枝郷扱い。宝永~享保年間の郡村改めで、大野台の中央部、蟹沢川の上流部に金山として開発された金沢村を枝郷とする寄郷と認定。「享保黒印高帳」で村高152石余・当高91石余(すべて新田)。「寛政村附帳」では当高94石余(すべて蔵分)と認定。戸数は「享保郡邑記」で45軒(うち枝郷分12)、「秋田風土記」も45軒。「天保郷帳」73石余。地租改正では旧貢米82石余から米換算で122石余と増加。明治22年北秋田郡大野村の大字。以降、はじめ大野村、明治25年からは下大野村、昭和30年からは合川町の大字。
石灯籠一対(慶應2年旧9月吉日、願主高橋長四良)
社殿。
拝殿向拝の唐破風懸魚、蟇股、木鼻等。
御祭神は豊受大神。例祭日9月10日。

延宝元年創建(神社庁によりますと延宝年中八代六兵衛により社殿建立)。明治6年に村社。


「正一位稲荷神社」(昭和3年4月29日竣工)。請負人(小笠原仁助)ほか棟梁、大工5人の名が見えるので社殿の竣工に関するものですね。

こちらの建物は…

倉庫ですね。

神社庁によりますと、境内神社として相善社、大平神社、庚申山神社があります。境内神社はこちらの建物内にありました。

こちらは「家内安全の神」。「藤田則雄氏(昭二)さんの話しとして依頼される」と説明がありました。

「馬頭観音様」。「馬の健康保全と一年の働きに感謝、馬と同伴で参拝する」とあります。

ちゃんと説明があるのが有難いですね。

相善様です。「馬の健康保全の神様」

唐松様。「子宝、安産の神様」

こちらの建物は隠居様。

「木戸石小学校の御真影」と説明があり、中はこのような感じです。

こちらの建物も境内神社です。神社庁HPの掲載社数よりかなり多いですね。

太平山様。「山の遭難防止の神」

金比羅様。「海の遭難防止の神」

金精様。「男性のシンボル、男女子宝の神」

羽黒山神社。「出羽三山の一社」

龍神(竜神)様。あれ?庚申塔(庚申山神社)は見逃したかな。











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