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秋田県能代市清助町。
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能代公園の前身は寛永20年に異国船や漂着物を見張りする能代唐船見張番所が設立された丘陵であり、番人山とも呼ばれていました。
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公園全体が小丘陵になっており、米代川、日本海、白神山地の風景を臨むことができます。
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公園内にはソメイヨシノなど約700本に及ぶ桜と、約3,400株のツツジが植えられており、 春には桜まつり、つつじ祭りが行われ、散歩やイベント会場としても利用され市民の憩いの場となっています。
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また、園内には賀藤景林を祀る神社があり、更に西側は日和山、東側は能代市民球場があります。景林神社や龍泉寺については別記事にしております。石碑等も色々ありましたが暑さに負けて一部のみの紹介かと思います。(※島田五空の句碑等は省略します(俳星600号記念・1969年建立))
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忠魂碑(陸軍大将正三位勲一等功二級子爵大島久直書)
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こちらの碑も読んでおりません。
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状態はいいです。
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平和の碑…『戦争で傷つくものは私達で最後にしたい。この碑は日露戦争から第二次大戦に至る間、当時の陸海空の將兵として従軍中敵弾に傷つき、或は病魔に侵された私達は、戦争の悲惨さを身をもって体験した者として二度と戦争を繰り返すことのない様訴え、日本の繁栄と世界の恒久的平和を祈念する。従って私達が最後の傷痍軍人であることを願望して、その名をここに残す。昭和63年10月吉日能代市傷痍軍人会、同妻の会』
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武嶋榮君頌徳碑。
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俳星碑。
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碑文は案内板を参照ください。裏面碑文は省略。
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サイカチ。
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能代公園のサイカチ(能代の古木・名木)…『胸高周囲1.9メートルと1.5メートル、樹高はともに8メートル、樹齢100年前後であろう。サイカチはエノキとともに一里塚によく植えられた木であるが、暖地性のため青森県では車力村など数カ所に植えられたものが見かけられる程度であるという。能代では、栗田定之丞が松のほかにサイカチを植えたという記録がある。その種子の散布によるものか、能代公園付近には所々に見ることができる。平成11年5月能代市教育委員会』
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高階梅子歌碑…『日本海の潮鳴たえぬ砂丘にとほしく咲きて紅きはまなす 梅子』、裏面碑文…『記念誌 高階梅子先生は明治二十九年北秋田郡合川町に生まれ昭和十六年より能代市に居住永年にわたり県歌壇ならびに能代短歌会の育成指導に尽力昭和四十八年度県芸術文化功労章を受章されました 昭和四十九年八月髙階梅子歌碑建設委員会 能代短歌会』
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日和山周辺ご案内。読み取れませんが。
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日吉神社御旅所へ。
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正面。
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「縣社日吉神社御旅所」
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日吉神社御旅所。結構広いです。
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少し離れて…
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「縣社八幡神社御旅所」
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普段はこのような感じ。
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「八幡大神」(昭和辛未6年、御普請清助町總町、十四代社司渟城毅、石工三浦正之助)
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「當寺開祖傳燈法院榮長和尚位」(元和七癸酉歳二月二十五日※原文のまま)・「嘉永六癸丑二月二十五日惣町建立、二百五十遠忌)」・「當山十一代住法印榮邦菅之渟代寺」
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沖の口番所跡。唐船番所と同じ頃に建てられたとみられ、船舶の監視や物資の検査、通行税を課すなど、重要な役所でした。
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「史跡」能代出入り方役所沖ノ口御番所跡。
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『能代湊の出入りの船舶(北前船)の監視や物資の検査、異国船の警備、出入りの物資に役銭(通行税)課し、材木、米、銅、鉛等の移出手形の発行を任務とし、土崎出入役所と共に秋田藩の重要な役所であった。出入方役、吟味役(現所長)は藩主任名となっている。』
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日和山方角石へ向かいます。
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日和山五輪塔。1777年に徳昌寺の民道和尚が魚類供養と大漁満作の祈願のため建立したと伝えるもの。
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市指定有形民俗文化財(指定年月日/昭和52年2月25日、所在地/能代市字後谷地)
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日和山五輪塔…『向能代の徳昌寺の民道和尚が、安永6年(1777)に鰯供養のために建立したと伝えられている。当時能代浜では鰯の豊漁が続いていたが、民道和尚は漁民たちの仏心を育てようと考え、五輪塔を建立し魚類供養と大漁萬作の祈願祭を行おうと呼びかけたところ、漁民たちも賛成したという。この五輪塔は花崗岩製で、上から宝珠形の空輪、風輪、屋根形の火輪、球状の水輪、方形の地輪が重なり、それぞれに梵字が刻まれている。全高約245センチメートル。能代市教育委員会』
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あの建物は何でしょうね。
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五輪太平山とありました。日和山太平山堂。太平山を刻む石碑等が祀られています。
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日和山方角石(市指定有形民俗文化財、指定年月日/昭和52年2月25日、所在地/能代市字後谷地)。方向音痴なので助かります。
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日和山方角石…『日和山は北前船時代に、その日の空模様を見るために使われた丘のことで、普通はその頂上付近に方角を見るための方角石が置かれています。全国に残る八十カ所ほどの日和山のうち、方角石の残っているところは三十カ所あまりで、秋田県内では能代のほか仁賀保、金浦、象潟に残されています。安政2年(1855)に書かれた「東講商人鑑」では能代港の絵に日和山の記載が残り、また「能代乃武加志」によると、文化年間(1804~17)に能代の川上久三郎がこの方角石を設置したとあります。これは享和4年(1804)に設置された石川県輪島の方角石に次いで2番目の古さです。また、能代の場合はその方角石の傍らに大きな五輪塔があるところから「五輪舟見台」ともいわれています。この方角石は、一辺が46.5センチ、高さ12センチの正方形の男鹿石の石盤を用い、上部周辺を3センチほど削って円盤を浮き上がらせ、その周辺に十二支の文字を、その内側には東西南北の文字を刻んでいます。また、現在はコンクリートで固められていますが、この方角石の台座には東西方向に溝が掘られており、注目されています。平成30年12月能代市教育委員会』
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ちなみに能代市立渟城西小学校付近から歩いて能代公園に行き、景林神社や龍泉寺に寄り、風の松原・大森稲荷神社と散策するつもりでいましたが、想像以上に広くて、カキ氷を食べたにもかかわらず暑さに負けて辿り着けませんでした。
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こちらの地図をなめていましたね。
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ってことで戻ります。※『大森稲荷神社(風の松原)』については別記事にしております。
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越後屋太郎右衛門の松。能代で一番古い松ではないかと言われています。
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渡辺(越後屋)太郎衛門の植えた松(能代の古木・名木)…『胸高周囲3.08メートル、樹高20メートル、樹齢200年(推定)。渡辺太郎衛門は、正徳元年(1711)11月~元文3年(1738)まで、28ヶ年の間、盤若山裾野、沖口番所、後谷地一帯に、砂山林立を自費を投ず実行、以後三代に亘り松を植えつづけ成功させた。現在残っている古松群20本は当時の面影を残している。「風の松原」の最古の貴重な松である。平成13年10月(更新)能代市富町史蹟保存会』
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石田三千丈句碑「秋天やあきつの羽にある韻き」
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あっ!!
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カキ氷も紹介しますね。能代市立渟城西小学校の目の前にあった「たい焼相沢」(能代市大手町)さんです。私は主にネットとかの情報ではなく、現地で実際の見た目や雰囲気で店を選びます。たまたま通りかかっただけですが、ここは絶対入店すべき店と判断!!
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だって店の入口にこんなに面白い蛇口(実際に水が流れています)があるし!
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私は令和生まれですが、店内も昭和チックでいい感じです。
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この日は暑かったので、たい焼きではなくカキ氷のみを頂きました。
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安いし美味しかったです。お店の方も優しくていい感じでした。
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ちなみにテーブル上に置かれている斜めの缶は最初から置かれていたものです。全テーブルにこのように斜めに置かれていました。理由はわかりません。海や川も近いですし、小さな地震であってもすぐ気付けるようにでしょう!!
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