
能代市能代町日和山下。風の松原は日本最大規模を誇る松林の愛称です。東西最大幅1km、南北総延長14km、面積約760haで東京ドーム163個分の大きさです。人の手で植えられ、育てられた700万本ものクロマツは、厳しい海風や飛砂から能代のまちとそこに住む人々を守り続けています。

風の松原通りにあるサン・ウッド能代(風の松原案内所)に車を停めさせて頂きました。なお、無料のレンタサイクルもありました。


周囲には萩の台寺院。


とても広いのですが、当記事で紹介するのはサン・ウッド能代及び萩の台寺院付近から大森稲荷神社付近までです。
鳥居。
社号標(寄進誕九会三十八周年記念、平成28年5月吉日、小林紀一・浜野堯夫・板澤重吉・小川立巳・瀬川正賜・春海範彰・若狭一裕・佐々木信夫・小林久之)

風の松原の中を歩いていきます。


パンフレット「能代海岸砂防林風の松原」より一部抜粋…『【春】松原はいっせいに息を吹き返し、木々の新芽が勢いよく伸びています。明るい日差しは針のような松の葉を輝かせます。いこいの広場では、桜の花も咲き、緑とのコントラストが楽しめます。【夏】松林を吹き抜けるさわやかな風が夏の暑さを忘れさせてくれます。松籟を耳にしながら、ゆったりとした時の流れを感じることができます。散策を楽しむ人たちや、小鳥たちの元気な声が聞こえてきます。【秋】透き通るような空気の流れが、果てしなく広がる松原に吸い込まれます。刻々と変わる秋の光が、松林の中を走馬灯のように照らします。松原はキノコ採りの人たちで賑わいます。【冬】日本海から吹き付ける容赦ない季節風にクロマツは力強く耐えています。風が止んだつかの間、松原はモノクロームと静寂の世界につつみ込まれます。【風の松原6冠】・21世紀に引き継ぎたい日本の名松100選(日本の松の緑を守る会1983年)、21世紀に残したい日本の自然100選(森林文化協会・朝日新聞社1983年)、森林浴の森日本100選(緑の文明学会・緑の文明総合研究所1986年)、21世紀に引き継ぎたい日本の白砂青松100選(日本の松の緑を守る会1987年)、日本の音風景100選(環境庁1996年)、かおり風景100選(環境省2001年)』
風の松原で見られる動植物…『【動物】キビタキ・ジョウビタキ・シマノジコ・オオルリ・コマドリ・イソヒヨドリ・リス・カワラヒワ・コルリ・ノウサギ【植物】ガマズミ・マイズルソウ・オオイヌノフグリ・エゾリツバナ・ハマナス・キタコブシ・ツタの紅葉・オオアマドコロ・ナニワズ・サンショウ・ミツバアケビ・カキドオシ・マムシグサ・クサノオウ・オオバヤシャブシ・アキグミ・クロマツの雌花・カスミザクラ・マルバフジバカマ・シャク』
風の松原散策路案内図。

風の松原小史
【藩政期】
江戸時代初頭:冬の季節風による飛砂で、農地などに大きな被害。
1700年頃:能代は飛砂で住居や耕地が埋まる被害が多く発生し、秋田藩でも飛砂防止対策に着手。
1711年頃:回船問屋越後屋(渡辺)太郎右衛門が自費でクロマツを植栽。その後、庄屋越前屋(村井)久右衛門も植栽。
1744年頃:能代給人白坂新九郎、鈴木助七郎が砂留役となり、砂留造林事業継続。
1764年頃から:浅内の原田五右衛門、福田の野呂田八郎右衛門、河戸川の大塚甚十郎、長崎の袴田与五郎など砂防林を造成。
1797年:郡方砂留吟味役栗田定之丞、藩内海岸の砂防林造成に着手。(20余年間で数百万本を植栽)
1822年:賀藤景林、能代木山方(兼務)となり、砂防林造成も担当。(1833年までに76万本植栽)
1830年:住吉町辺りの松1千本を飢饉のため、伐採。その跡に1万5千本補植。
1836年:賀藤景琴、父の業を引き継ぎ、その後、松30万本植栽。
【明治・大正期】
1892年~1920年頃:能代小林区署創設。(現米代西部森林管理署)飛砂によって、クロマツの枯死が見られ、大森稲荷神社の鳥居が埋まるなどの被害。
1921年:後谷地で国営造林事業が開始。
【昭和期】
1929年:飛砂と潮風によりクロマツ林が埋没、枯死。生木は皮がはがれ、枝が折れ、枯死する。※砂まじりの雪が堆積すると重さは数倍となる。
1943年:旧展望台付近より出火。21ヘクタール消失。翌年補植。
1971年:臨海工業団地造成で論議起こる。(74年伐採幅100mで決着)
1978年:初回砂防林クリーンアップ。
1983年:日本海中部地震。砂防林が津波の力を弱めることが実証される。
1987年:市の公募で、砂防林の愛称が「風の松原」と決定。市が「いこいの広場」等の整備を開始。
【平成期】
1999年:松くい虫が北上。後谷地国有林にも侵入、被害発生。
2001年:松根掘場跡地に「アリ地獄」説明板を設置。
2003年6月:風の松原を守る市民ボランティア大会が1日、8日の2日間開催された。
2004年:風の松原を守る市民ボランティア大会が「風の松原ボランティア協議会」主催で開催された。(以後毎年実施)
2007年3月:日和山地区送電線跡地等にサクラ、ハマナスなどの植林が行われる。
2008年3月:生活環境保全林整備事業「健康づくりのみち」工事(ウッドチップ歩道・あずまや・標識等)が完成。
2011年9月:風の松原植栽300年祭。
2019年2月:米代西部森林管理署が国有林である日和山登山口から方角石までウッドチップ歩道を整備。
森の中を歩いているような感じですが、途中に案内板もあるので迷いません。

八大龍王神。手前は賽銭箱。

石碑「八大龍王神」

八大龍王神社。

本殿。

鳥居が見えてきました。一昔前まではここまで車で来れたそうです。
緑に包まれた中で赤が映えます。
御清水処。

手水石。

参道脇の建物。

こちらにも御清水処とありました。

「鶴瓶以の家族に乾杯。鶴瓶さんご一行が当神社を参拝いたしました。平成29年6月5日(月)NHKテレビ19:30~20:45の中で」という貼紙がありました。

参道に戻ります。
稲荷社らしい参道。
石灯籠一対。


鳥居。

狐一対。
このような可愛い狐もいました。
鳥居。

参道階段前。
狐一対。
狛犬一対。かなり風化しています。
参道階段。


途中の眺望はなし。

階段上。

到着。

狐二対。


石灯籠一対(明治38年1月吉日建之)



稲荷宮と思しき石殿一基。

御神木。

授与所的な建物。

社務所的な建物。


方角石(稲荷神社移転記念)
御祭神は住吉大神、稲荷大神、磯前大神、言代主神、豊受姫神、大名無遅大神、琴平大神、小名彦大神。商売の神様・山の神様として、林業や商業関係者の信仰を集めており、旧暦5月の例大祭では運のそばが振る舞われます。
狐一対。


頭貫・蟇股等。

創建年月日不詳。元々は住吉さまと呼ばれていましたが、時が経つにつれて腐朽し、その後廃社となっていました。元治元年に藩主より再興を認められて渡海船海上無難のため能代港町惣町にて再建するも、飛砂の被害がひどく、度々の修理もままならない状態となり、八幡神社境内に里宮が仮寓していました。昭和38年、本社再建の運動が実を結んで、里宮を現在地に移して奥宮として建立。昭和44に連続放火事件に見舞われて焼失。その後再建されたのが現在の社殿。本殿にあたる所には御室が安置されていますが、元は清助町の相沢家の稲荷神社にあったものとされます。相沢家は代々木材業に従事し、井坂直幹のもとで育てられ、後に秋木の社長になりました。現在も木材業関係者が多く氏子にとなっています。

摂末社。
狐一対(昭和14年旧8月20日)
狛犬にも見えるような可愛い狐です。狛犬だったりして。
色々ありましたが由緒等詳細はわかりません。



こちらの石碑には「大森稲荷神社」とあり、狐一対が線刻されています。

大山神。

金精神。




























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