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青森県十和田市奥瀬蔦野湯。
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蔦沼川。
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蔦温泉向かいの大町桂月先生お墓の入口。
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蔦温泉はアントニオ猪木氏と妻の田鶴子さんがよく訪れた温泉です。
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田鶴子さんが八甲田山周辺の景色が好きだったことからこの地にお墓が作られました。お墓の管理は蔦温泉が引き受けてくれているそうです。
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アントニオ猪木氏は闘病生活中、田鶴子さんが亡くなってから約3年後に、特別な介護車両で10時間かけて東京からこの地に来て納骨を済ませました。そしてその約4ヶ月後の2022年10月1日、アントニオ猪木氏も天国へと旅立ちました。
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7.5
大町桂月墓前の石灯篭一対。
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大町桂月墓。
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辞世の句…「極楽へこゆる峠のひとやすみ蔦のいで湯に身をばきよめて」
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墓碑背面碑文…『清文院桂月鐡脚居士 俗名大町芳衛號桂月 明治二年一月二十五日髙知ニ生レ大正十四年六月十日蔦温泉ニ歿ス 享年五十七』
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武田千代三郎・小笠原耕一両先醒芳躅記念。
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右側面碑文…『武田千代三郎は筑後柳河の人。明治四十一年六月青森県知事に着任して躬ら十和田湖を観るや其雄渾なる景致に傾頭し十和田湖の一書を刊し是を内外に宣揚したり昭和七年五月十六日歿す享年六十六茲に芳魂なり』・左側面碑文…『小笠原耕一は十和田村奥瀬の人で村長及び県会議員を重任令名著しく殊に十和田開発に生涯の力を尽し内外東西に宣傳武田林風大町桂月諸氏と謀り遂に国立公園十和田湖の基をなしたり昭和二年五月十七日六十歳を以て逝く蔦山中の翠嵐長へに功績を留むべし』・背面碑文…『昭和廿九年九月廿三日建立者蔦温泉小笠原四郎仝妻なか 中道等之書石工中文』
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アントニオ猪木家のお墓。お墓の高さはアントニオ猪木氏の現役時代の身長と同じ190cm。
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墓石には「1、2、3、ダーッ!」をモチーフに右腕を突き上げた猪木氏の姿が模られており、中央に「道」、その横に「アントニオ猪木家」とあります。
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下部には猪木氏が過去にデザインした「猪」と「木」の絵や、田鶴子さんが愛用した手鏡、側面に猪木氏の「道」の詩の彫刻が刻まれています。背面には「令和四年六月吉日アントニオ猪木・丹野智宙建之」
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妻の猪木田鶴子さんの名はありましたが、アントニオ猪木氏の名は無く分骨はされていないようでした。
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