
秋田県大館市中山。

社号標「熊野神社」(昭和57年9月吉日建、浄階一級宮司長岡孝良胤謹書、時年八十八)

中山は大館盆地の南東部。中山沢が米代川に注ぐ北岸台地に位置。集落周辺の台地麓から縄文時代の遺物及び須恵器片を出土。浅利家臣岡田(十二所)氏は天正年間に当地区に逼塞して中山氏を名乗るといいます。台地上に中世の城館址があり、館を桜館といいます。

江戸期以降の中山村は出羽国秋田郡南比内のうち。秋田藩領。元和2年、浅利旧臣中山越後守は藩の御境目拠人に抜擢され、十二所町に移って町肝煎や比内材木郷大肝煎にまで就任。元和4年中山村開発の指紙に見られるように、大館給人及び十二所給人らの指導による新田開発が進められます。正保国絵図には中山新田村59石と、新田村として図示されましたが、その後は曲田村の枝郷となり、元禄7郡絵図では中山村は郷形のみを図示。享保年間の郡村改めで曲田村・中山村に分離独立。黒印御定書は享保年間に改めて交付されましたが、その後も曲田村と2か村分として曲田村に交付されています。享保黒印高帳では村高83石余・高48石余(うち本田22・本田並11・新田15)。寛政村附帳では高53石余(すべて給分)。天保郷帳では高48石余。親郷十二所町の寄郷。戸数は享保郡邑記で16軒、秋田風土記で17軒。郷村史略では高49石余・23軒・127人・馬52頭。明治11年戸長役場を扇田村とする16か村と連合、同22年北秋田郡上川沿村の大字となります。以降ははじめ上川沿村、昭和30年からは大館市の大字となります。
橋を渡ります。

石鳥居(昭和41年9月19日中山氏子一同建之)
参道。
石灯籠一対(大正5年8月19日、糸屋■■(※削れて読み取れず)建立)


参道。
狛犬一対(昭和37年9月19日、中山糸屋九八献納、比内扇田小林石材、~敏夫刻)
石灯籠一対(昭和42年9月19日、糸屋九八)


石殿。

聖観音菩薩かな…判断できず。

庚申塔(文化5戊辰年、中山村講中)

不明の石。

社殿。
中山の村鎮守。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、倉稲魂神。例祭9月19日(9月11日という情報もありましたが、境内の紀年銘等を見る限り9月19日でしょうね)。創建不詳。
当社は戊辰戦争で兵火にかからず、よって霊験あらたかなりといわれたそうです。


拝殿内。末社も拝殿内にありました。











コメント