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岩手県奥州市江刺愛宕東下川原。広瀬川沿い。江刺愛宕小学校南方。広瀬川の土手から見下ろす感じ。
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社号標(紀元2600年、昭和15庚辰年)
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手水石(安政4年7月)
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4.5
御神木と遊具。
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御神木の銀杏。
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案内板「春日神社」より…『当神社の創建については詳らかではないが安永2(1773)年11月の「安永風土記」によれば、既にこの年代には建立されており社号を春日大明神と呼び、祭日は9月9日と記載されている。その後、文政元(1818)年に社殿が造営され、この頃から祭日を8月19日とされ現在に至っている。拝殿は、天保2(1831)年に建てられている。現存している御神木の銀杏は、大正10(1921)年に植栽された。昭和32(1957)年12月14日付けで宗教法人の承認を受けている。当神社の御祭神は、武甕雷神(タケミカヅチノミコト)と経津主神(フツヌシノミコト)である。天孫降臨に先立って国土を安定した武神・軍神であり、奈良春日大社に祀られている四座に含まれている。その武神・軍神が、なぜ鎮座されたのか定かではないが、あるいは1200年以上も前に、この地の支配者であった阿弖流為(アテルイ)が中央と争ったことに由来するのかも知れない。本殿両脇にあった木製の狛犬二体は、文化2(1805)年に寄進されたものだが、長年の風雨による劣化が激しく、現在はえさし郷土文化館に依頼し保存されている。境内に見られる石碑類は、昭和22(1947)年・23年と相次いだ台風水害に伴い、その後の治水堤防工事により、近隣周辺から移築されたものである。【所在地】愛宕字東下川原。郷土文化顕彰委員会、平成25年3月』
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愛宕(おだき)は北上川中流左岸の沖積平野に位置。比高がはなはだ少なく洪水氾濫の常襲地帯。地内東辺を南流する人首川、中央部を横断し西流する広瀬川などは江戸前期に開削され付替えられた新河道であり主要な灌漑河川。地名の由来は旧高寺村鎮守の愛宕神社の社名からであり、京都府下の旧愛宕郡の呼称に準じて「おたぎ」としたものが転訛したものと考えられています。江戸期の高寺村は江刺郡のうち。仙台藩領。村高は寛永検地144貫余(田38貫余・畑105貫余)、「元禄郷帳」1,170石余、「安永風土記」191貫余(田131貫余・畑59貫余)、「天保郷帳」2,370石余、「旧高旧領」1,935石余。天正19年には伊達政宗の所領となって岩谷堂城(旧江刺城)主の支配をうけました。万治2年に岩城宗規が岩谷堂要害に封ぜられると、奥郡奉行の代官のもとで西方大肝入により支配されます。寛永19年検地の郷村絵図では東西774間・南北2,114間。承応2年古内主膳により北上川から取水する用水堰の開削が行われて新田開発が進みました。これにより広瀬川の河道開削が施工されて村は二分され、川を挟んで川東・川西と大別されるようになります。「宝暦風土記」によりますと人数1,485。明和9年の家数260(封内風土記)。「安永風土記」によりますと蔵入地104貫余・給地86貫余、家数284・人数1,627、馬160、舟数32(御穀艜11・渡世艜4・作場通用舟5・同大かっこ舟1・猟かっこ舟5・御普請舟3・下川原渡舟3)。神社としては愛宕神社・春日大明神社・伊勢大神宮社3・雷神神社・八大竜王大水神社・稲荷大明神社・御駒神社・熊野神社。寺院は円通院・咸徳院。修験は普明院・覚法院・不動院、他に観音堂・地蔵堂・新山堂・阿弥陀堂があります。愛宕神社は正徳4年建立の方桁造で、寛政元年などの船絵馬4枚が残されているそうです。黄檗宗円通院は磐井郡山目村(一関市)阿部随波の中興にかかる古刹で本尊は千手観音、江刺三十三観音霊場第31番札所。村民は片岡村光明寺の檀家。下川原御本穀御蔵場は米蔵8・塩蔵2・材木蔵1・吹屋2・会所1・御蔵守役宅1・御枡取役宅3・付属宅地20余を備える仙台藩領最北端の御蔵場であり、西隣の川岸を開いて艜を接岸させ登せ米を積み出しました。しかしながら明治5年に御蔵場は閉鎖されて北上川舟運が停止されるに至りました。天明年間奥田又右衛門が門弟100余人に及ぶ私塾を開いたほか、三瓶可方・高橋万四郎・菊池専一らの寺子屋がありました。その後、小幡虎之輔・高野六兵衛らに引き継がれ明治初年まで続きました。同6年高寺小学校が開校し、はじめは教場が川東・下川原地区に3か所、川西地区に1か所と分散していましたが、川東・下川原地区は同9年校舎を新築して1か所に統合され、川西地区の教場は同19年川西小学校として独立。明治元年松本藩取締、以後江刺県、一関県を経て、同4年水沢県所属。同8年愛宕村の一部となっています。
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御祭神は武甕雷神、経津主神。例祭日8月19日。
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拝殿向拝神額「春日宮」
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江刺八十八ヶ所第八十八番札所春日堂。
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神社庁より…『創建についてはそと年代経過は詳らかではないが、安永2年(1773)11月の風土記によれば、既にこの年代は建立されてあり、社号を春日大明神と呼び、祭日は9月9日であると記載されている。その後文政元年(1818)社殿の造営が行われた。明治前半の代にそれまで境内にあった山神を拝殿内に祀り、この当時から祭日を7月19日とした。昭和32年(1957)12月14日、神社本庁統理の名によって宗教法人春日神社の承認をうけ現在に至る。』
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本殿。
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13.5
石碑群。
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天照皇大神(昭和3年10月10日)
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向かって右が文化13丙子年3月10日、左が昭和18年9月30日。
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明治31年3月13日、村内安全。
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瑞城小幡先生之碑(明治42年3月9日、前陸中水澤邑主留守景福篆額(※留守邦寧の子)、仙臺處士 岡千仭(※岡鹿門)撰、東京 朝倉忠雄書)
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石碑群。
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庚申塔(嘉永3年6月朔日)
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庚申塔(安政2卯年8月吉祥日、願主治右衛門)
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出羽三山(寛政9丁巳年4月8日、施主不動院、与市和太郎)
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雷神塔(昭和15年9月8日、佐々木寛)
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山神塔(寛政9年3月12日)
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馬頭観世音(嘉永7甲寅年3月19日)
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出羽三山(寛政9丁巳年7月吉日、施主清吉)
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庚申(文政2年12月2日)
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こちらは上部破損「~辰年~世音(※観世音)佐々木音松」
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こちらは下部破損。もしかして上の碑の上部かな…それでも中間部分は完全に欠損していると思いますが。もし同じ碑だとしたら馬頭観世音っぽいですね。
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馬櫪神(明治41年8月17日)
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