大館市比内町味噌内不動田。
一之鳥居の両脇に巨木。




社号標(大正9年4月28日建立、願主味噌内村氏子中、谷口英堂拝書)

両部鳥居。
味噌内は溝内・御備内・味曽内とも書き、犀川支流の味噌内川流域の山間部に位置。両河川の合流地点東北方の山麓部に中心集落が発達。集落付近に縄文前期の宿内中袋遺跡、同後期の配石遺構を伴う味噌内遺跡があります。戦国期からの中世味噌内村は、はじめ陸奥国比内郡のうち。秋田氏領となり出羽国秋田郡に所属。天正期の実態を示す「浅利則頼侍分限帳写」に、浅利家の御歩行頭安保丹後が味噌内村に居住と記載。同文書に見える家臣味噌内太郎右衛門も当村に成長した地侍と推測。集落西方の味噌内川(萩留川ともいう)付近に中世の館址があり、近くに陣ケ岡という所があります。付近に太館・館の下の小字名が現存。天正10年頃から秋田氏の勢力下に置かれ、同19年実季が豊臣秀吉から交付された朱印安堵状写では、恐らく上新立村が当村に該当すると推定。慶長2年、比内地方の支配回復を狙う浅利頼平が豊臣方に注進した「領内村数覚書写」では、当村は家2軒のみと記載。扇田・独鈷を結ぶ道路及び鹿角街道に通じる山道が交わります。「慶長6年秋田家分限帳」では溝内村18石2斗が旧浅利家臣十二所七兵衛に配分されています。江戸期から明治22年にかけての味噌内村は出羽国秋田郡南比内のうち。秋田藩領。十二所所預の管轄下。正保国絵図では御備内新田村179石、元禄7郡絵図でも味噌内新田村261石余と図示。新田村として認定されていたことがわかります。山間部の開発によるものと推測。宝永年間に新田の字をとり味噌内村となり、この頃には枝郷に下味噌内・宿内・間戸石(間戸志)・二又・九郎左衛門・大成の6か村を擁しています。享保黒印高帳では村高316石余・当高252石余(うち本田111・本田並63・新田77)と認定。天明期以降の凶作・飢饉を経た後の寛政村附帳では当高199石余(すべて蔵分)と減少。天保郷帳では252石余と記載。延宝年間に御材木郷の指定を受け、藩入用杉材の伐採・運材の義務を負います。達子・独鈷・新館各村は当村へ入会。親郷扇田村の寄郷で、戸数は享保郡邑記で39軒(うち枝郷分28)、安政年間では44軒・294人・馬94頭(郷村史略)。18世紀末から枝郷の九郎左衛門・大成の2か村が消え、代わりに竹原村が加わります。伊勢・八幡・熊野の3社がありますが村鎮守は定かでありません(※明治以降は今木神社)。明治10年の村勢は戸数52・325人・馬100頭、田25町余・畑27町余。明治11年北秋田郡に所属。同22年東館村の大字となります。
狛犬一対。
石灯籠一対。


巨木の切株。


明治神宮遙拝所(陸軍中将堀内信水謹書)

彰徳碑(明治九年丙子三月、字只越下二十八番 田反別八畝壹歩 金七百圓也-佐藤吉郎右衛門・佐藤徳松、維持大正十三年甲子一月二十六日味噌内郷中)。※碑文省略、碑建立(大正13年11月1日)

参道石段。

石段上の御神木。

参道を振り返るの図。

石灯籠一対。


手水石。

社殿。
御祭神は木花佐久耶姫命、日本武尊、天照皇大神、誉田別命。例祭4月28日。
神社庁より…『創祀年代等不明であるが、安政5年の再建とあり、従来本地域の産土神にして、産婦の神と尊崇され、古くは不動尊社(御不動様)と称される。明治維新の神仏混淆改正に際し、明治5年3月、今木神社と唱え、遠近の人々の尊信深きを以って明治8年社地改正にあたり「一の雑社」と定む。明治43年11月7日、神社合併によって村社となる。大正4年、神饌幣帛料供進神社に指定される。境内には藤の老木が幾本もあり、これ等が杉の大木にからみつき、6月花時には藤の花が咲き乱れて境内一面、杉も松も其の他雑木も一様の紫の花と化し、その美観は正に木花佐久耶姫命を想起するに足るものである。』
拝殿向拝蟇股・木鼻等。

拝殿内。
拝殿内神額。

神門と書かれている板。

明治参拾四歳丑四月廿九日・・・まで読みましたが、あまりに独特な筆跡だったため読むのをやめました。


絵馬(大正8年)
こちらは個性的でストーリー性を感じます。
本殿。
彫刻がかっこいいですね。
社殿向かって右側に道が2本。

1本目。

石殿。何かはわからず。

2本目。

道中に分岐。

立派な祠がありますが…

何かはわからず。

分岐点から見た今木神社社殿。

2本目の道の頂上。

こちらにも立派な祠がありました。

石殿の裏面に文が彫られていました。もしかして他の石殿の裏にも碑文があったりするのかな。今まであまり気にしたことがありませんでした。

ちょっと逆光で読み辛かったので自信はありませんが…『寛政十年肝煎佐藤吉左エ門伍長仝三太郎仝市蔵安保市郎左エ門柴田九郎左エ門時代ニ鬼ヶ沢地内ニ建立ノ処此度村ニ於テ現地ニ移轉スタルヲ以テ右子孫佐藤永次郎仝孝仝市五郎安保市五郎柴田九助発起ス有志ノ助力ヲ得建立ス 大正拾年酉旧九月十九日』

社殿向かって左側にも道が1本。

行ってみます。

石碑が見えます。

石灯籠一対。

太平山。















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