1
岩手県奥州市胆沢若柳。茂井羅中堰。
2
胆沢まるごと案内所HP「茂井羅堰」より…『この堰の歴史ははかりなく古く、元亀年間(1570~72)に北郷茂井羅という女性によって開削されたといわれています。胆沢川沿いの下位段丘の開発を促しました。【茂井羅物語(伝説)】昔、面塚(現水沢佐倉河字下河原)の北郷家にようやく待ちに待った、女の子が産まれました。しかし、なんとこの子はたいそうな醜女でした。名前は茂井羅(モイラ)。嫁入りもしましたが結局長続きせず、若柳で用水を開削し、堰を作り始めました。それは高地へと向かって掘るのでありました。里人達はその作業をいぶかりの目で眺めていました。モイラはこうして何日後には立派な田を作ってみせました。』
3
石碑。
4
水利組合合併記念碑(昭和11年3月31日許可)
5
茂井羅堰用水路改修記念碑(昭和8年12月竣成、昭和10年4月建立)
6
膽澤川神社石碑…『延喜式神名帳陸奥百座内 膽澤川神社 別当横枕屋舗孫左右衛門奉寄進之』
7
昭和22年、胆沢川氾濫後の護岸工事の際に発見されたものですが紀年銘は不明。
8
旧三堰取水口…『この近くの胆沢川右岸に水沢上水道集水道があります。そのあたりに「旧三堰取水口」がありました。取水口は、もはや残っていませんが、水路の跡は点々と残っています。「三堰」は、昭和11年に茂井羅堰と合併(取水口を現茂井羅堰頭首工に一本化)するまでは、胆沢扇状地の北端の農業用水路でした。現在は、茂井羅北堰水系に整理統合されています。さて、旧三堰の受益地をたどってみましょう。胆沢区若柳字橋本が、堰本(取水口)で、若柳字卯台、嶋袋、南都田字中井、猪川、上戸、水沢区佐倉河字中半入を通り、梅泉堰と呼ばれ、更に九蔵川と呼ばれながら国指定史跡胆沢城域を潤し北上川に注いでいるものです。名前の由来は、謎です。明治生まれの故老は、「三堰は一本だ」といいつつも、「昔は三本だったのかなあ」とも話していました。平成20年3月奥州市教育委員会』最後の故老の言葉が緩くていいですね。
9
第2回胆沢町民劇場「水ぬるむ里」…『胆沢の農民には、様々な苦悩を乗り越えてきた歴史があります。第2回公演は、ここ茂井羅堰にまつわる物語を題材としました。その昔、この地では激しい嵐により胆沢川の川底がさらわれて堰に水が流れなくなり、水争いが絶えませんでした。里を救うために堰を掘ろうとして、志半ばでこの世を去った男と、男を慕っていた里の姫との想いにより完成した堰がこの茂井羅堰です。今では、用水路の整備、農機具の発達により争いもなく安心して米作りが出来るようになっています。みなさん、この堰に流れる豊かな水に感謝を忘れないようにしたいものです。』※こぼれ話以下省略
10
こちらはすぐ近くにあった標柱「山田城跡(中世~近世)」(平成17年9月)
11
11.5
特に説明はありませんでした。
12
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 東北情報へ