岩手県奥州市江刺藤里石名田。
分布上珍しい植物が多く、周囲を伊手川が流れます。沼尻城の跡地(沼尻城主及川弥兵衛)があり、山頂には坂上田村麻呂が建立した愛宕神社が鎮座。

愛宕山自然公園は子どもたちが遊ぶようなタイプの公園ではないですね。平成5年に皇太子徳仁親王成婚を記念して整備されました。面積36,000㎡の園内には自然散策路があり、展望台からは当園西側の市街地までを見渡せます。今回は時間の都合上、奥の院、藤里の硅化木(珪化木)、毘沙門岩窟については行くことができなかったので省略いたします。



愛宕神社鳥居。
奉納碑(及川馨、平成16年)

狛犬一対。


神楽殿。


御祭神は軻遇突智火神。延暦20年(801)坂上田村麻呂が創始したと伝わります。明暦元年(1655)勝軍地蔵尊を勝軍寺に移します。鳥居、参道、本殿、鐘楼、奥の院があります。
狛犬一対(昭和50年4月吉日、氏子一同建之)


石灯籠一対。


岩手県指定天然記念物「藤里の硅化木」(昭和45年3月建之)

御神輿堂。

御神輿と獅子頭。
石鳥居。鳥居の額束に鳥居の由緒がありました。
『この石の鳥居は、文政の始め(今から百五十年程前)花崗岩の材を求めるために旧横瀬村共有地の深山寺の皿洞(徒歩2時間予の地点)から氏子総出で全村殆ど家を空にして連続数日間の奉仕により石材を運搬し、多額の工賃を寄進して氏子一同の信心の結晶として此処に奉納されたものである。昭和48年2月17日愛宕神社』

参道石段。


社殿が見えてきました。

社殿前の御神木。

これ以上割れないように縛られています。

上から見た石段。
社殿。
例祭日旧6月23日。


神社庁より…『祭神は、奥州開拓の祖神として農耕をはじめ住民の生業・火難を守護し給う。伝日、人皇五十代桓武天皇御宇、延暦20年(801)坂上田村麻呂討夷の勅を奏し奥州に至り、達谷に悪路王・赤頭を誅す。悪路王の一子人首丸等残敵逃れてここに拠る。田村麻呂は追い来りて、この山の東麓に陣し、奉幣夷敵降伏の祈願をなし、御神託により賊徒平定の功を奏す。よって霊峰を崇め、この山上に愛宕神社を創祀し、治国鎮護の神とす。その後江刺氏の帰依厚く、荒廃の堂社を再興せりと。古は勝軍地蔵尊並びに軻遇突智火神の尊像を安置せしが、明暦元年(1655)地蔵尊を現勝軍に遷せり。宝暦(1751)中に奥の院失火あり、軻遇突智火神の御神体も亦烏有に帰す。再建は愛宕山最高峰の地に社殿を建立す。後凡そ20年、安永(1772)の始め奥の院を再建して現在に至る。』
拝殿内。


社殿前石灯籠一対。


庚申塔。

早池峯と刻む碑。

愛宕神社…『【通称】愛宕山【旧社格】無格社【鎮座地】江刺市藤里字石名田34番地【祭神】軻遇突智火神【例祭】旧6月23日【由緒】祭神は、奥州開拓の祖神として農耕をはじめ住民の生業・火難を守護し給う。伝日、人皇五十代桓武天皇御宇、延暦20年(801)坂上田村麻呂討夷の勅を奏し奥州に至り、達谷に悪路王・赤頭を誅す。悪路王の一子人首丸等の残敵逃れてここに拠る。田村麻呂は追い来りて、この山の東麓に陣し、奉幣夷敵降伏の祈願をなし、御神託により戝徒平定の功を奏す。よって霊峰を崇め、この山上に愛宕神社を創祀し、治国鎮護の神とす。その後江刺氏の帰依厚く、荒廃の堂社を再興せりと。古は勝軍地蔵尊並びに軻遇突智火神の尊像を安置せしが、明暦元年(1655)地蔵尊を現勝軍に遷せり。宝暦(1751)中に奥の院失火あり、軻遇突智火神の御神体も亦烏有に帰す。再建は愛宕山最高峰の地に社殿を建立す。後凡そ20年、安永(1772)の始め奥の院を再建して現在に至る。【境内神社】八坂神社【氏子】295戸【摂社八坂神社例祭】6月15日』

鐘楼堂。

梵鐘(昭和24年旧正月23日)。

八坂神社。

拝殿向拝神額「八坂神社」

拝殿内。

境内からの眺望。
奥の院までは行く予定だったのですが、冒頭でも述べたとおり、時間の都合上あきらめました。













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