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岩手県花巻市藤沢町。西公園天満宮。
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境内案内板の内容が事細かに書かれていたのでそれ以外は特に調べておりません。
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標柱「天神さん」より…『「この辺に天神さんの碑があった。あの石の亀が碑の下から顔を出してゐるやつだ、もう通りこしたかもしれない。 」(「ラジウムの雁」)。この一帯は通称「西公園」と呼ばれ、夏には宵宮祭が催され、また花巻農学校の生徒達の通り道でもあった。石段を下りきって当たる道路を東に50メートルほど進んだ所には旧花巻電鉄の西公園駅があった。現在の社は元のお社の老朽化に伴い建替えられたもので、規模は半分以下である。また、建っていた場所も現在地より北側の、今は個人住宅のあるところだったし、石の亀が顔を出している「稗貫菅公廟碑」も、元のお社の北側を通っている鼬幣稲荷神社の参道沿いにあった。』
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境内と御神木。地元の方のお話によりますと、暗くなった後に西公園天満宮から東北本線の方を見るとまるで電車が空に浮いているように見え、銀河鉄道を思わせる風景になるらしいです。
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5.5
石碑群。
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筆塚(平野良七郎常光謹書、門戸一千八百餘人建之、天保4年癸巳6月25日)※碑文省略
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7.5
稗貫菅公廟碑…『陸奥稗貫郡石神邑有吾贈太政大臣威徳公之祠祠舊在郡之花牧呂其近民居故遷于此葢敬遠之意也今茲辛面益秋邑人相様建碑因余知友請曰文祖遺烈之及遠也如此伏願賜庁言内寵光僻邑散布腹心余辝曰吾祖盛徳大業昭昭乎垂于竹帛不肖復何贅不可遂作銘與之銘曰寛平骨鯁延喜棟梁才徳雄邁遭遇明良學通百家化及萬方維此東偏無建廟堂禋祀粛粛威靈彰彰如松之茂如梅之香爰銘貞石百世不志享和元年七月十一日二十八世孫式部権大輔兼文章博士長親謹撰并書』※ちゃんと見なかったので全く自信ないです
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亀はここです。
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華山先生之碑。
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10.5
芭蕉翁之碑。
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伊藤鶏路句碑「満月を輪にめぐり鳴く千鳥かな」
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伊藤鶏路句碑…『花巻地方における正風(蕉門ともいい松尾芭蕉の俳風を継承)俳諧の草分けに、二月庵鶏路(伊藤姓、医師、本名・脩、元察、元硯、曽山などと号す、1748-1815)があった。加賀の佛仙門下で、広く諸国の俳友と交わり、また多くの門弟を育てた。石碑には、「満月を輪にめぐり鳴く千鳥かな」の句が刻まれている。』
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小川君之碑(明治21年9月25日)
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湯殿三山。
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筆塚(和田甚五兵衛87歳書)
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16.5
天満宮境内(西公園)の石碑群…『享和元年(1801)地域の人々が菅原道真(天神)を勧請し祠を立てて以後、当地は「天神」と呼ばれました。「学問の神様」である天神にちなんで、境内には寺子屋の筆札(教師)や学問所の師匠の業績を称える顕彰碑が立てられました。また、花巻における蕉風俳諧の指導を行った伊藤鶏路が当地に庵を移したことにより、文芸の拠点でもありました。地主である鍛冶町の醤油醸造業平賀家が後に建てた別邸は、通称「梅屋敷」と呼ばれ大正時代までたびたび句会が開かれたため、地内には句碑も多く残されています。なお、明治30年代には、花巻城三の丸東端の「東公園」に対して「西公園」と呼ばれるようになり、町内の名所として周辺住民の憩いの場所でもありました。①【筆塚】(平野能水・七右衛門)天保4年(1833)建立。元文5年(1740)から4代にわたり寺子屋を開設し、明治4年(1871)までに3,872名の門人を輩出した「吹張堂」の初代能水(~1788)と二代目七右衛門常政(1761~1832)の業績を顕彰した石碑です。②【稗貫官公廟碑】享和元年(1801)建立。当地に天神を勧請した由緒を記した石碑で、台座は亀の形(亀趺)をしていて、宮沢賢治は初期の童話作品「ラジウムの雁」にこの碑を登場させています。③【華山先生之碑】建立年不明。及川祐忠(華山)(1727~1788)は幼少から学問を好み、その教養により江戸藩邸で9代藩主南部利雄夫人の衛士や子息の近侍を務めました。花巻に帰郷後に「豊水亭」という学問所を開設し、郷里の弟子の教育に尽力し、医者で俳人の伊藤鶏路、医師で画人の小野寺周徳等俊才を多く世に送り出しました。④【芭蕉翁之碑】建立年不明。(伝天明年間<1781~1788>に移設)。伊藤鶏路(1748~1815)は、「豊水亭」の俊才として学門をおさめ江戸に留学し、帰国後は医師として花巻城に仕えました。文人としても活躍し、桜清水(現桜町3丁目)に「二月庵」を建て、稗貫・和賀二郡の宗匠として蕉風俳諧の指導に当たりました。「二月庵」を当地に移すにあたり、芭蕉翁之碑も移されたと伝えられています。書は、師匠である及川祐忠(華山)によるものです。⑤【伊藤鶏路句碑】文化13年(1816)建立。伊藤鶏路の没年の翌年、門人たちによって「二月庵」跡地である当地に建てられました。⑥【筆塚(和田甚五兵衛)】建立年不明。和田甚五兵衛(1737~1824)は、稗貫・和賀二郡の鳥見役として花巻城に仕えるかたわら宝暦7年(1824)寺子屋「和様堂」を開き、以後67年間に一千人以上の人材を世に送りました。撰文および書は、門人を代表して花巻城の大改修や新田開発に功績を挙げた上田弥四郎貞能が筆をとりました。⑦【小川君之碑】明治21年(1884)建立。小川七右衛門(1809~1871)は、代々花巻城の御物書を務めた小川家の七代目として生まれ、自身も花巻城の祐筆として仕えました。職務のかたわら寺子屋を営み、近郷の子供たちの教育に当たり、その温和な人柄から多くの弟子が集まったと伝えられています。』
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天満宮境内配置図。
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社殿。
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拝殿向拝神額「辨財天」
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拝殿内。
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