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水位標。干拓前と干拓後の八郎潟の水位を示す標柱が設けられ、八郎潟の水深を実感することができます。 
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上:EL+1.860(干拓後調整池高水位)
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中:EL+0.870(干拓前八郎泻洪水位)
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下:EL+0.345(干拓前八郎泻平水位)
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干拓前の八郎潟は日本で2番目に広い湖でしたが、最も深いところでも4.7m程度であり、湖底はほぼ平らで、お皿のような形をしていました。
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八郎潟干拓工事により大潟村を取り囲む51.5kmの堤防が作られました。干拓は昭和32年に始まり、昭和38年(1963)11月に排水機場が動き始めると、干拓地内の水位は徐々に低下し、翌年9月には比較的水深が浅い八郎潟の西部を中心に、約60k㎡(6000ヘクタール)の湖底が姿を現しました。この面積は中央干拓地のおよそ35%に過ぎませんでしたが、水量としてはすでに約90%が排水されていました。
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昭和39年(1964)9月15日、中央干拓地が初めて一般に公開され、ここで多くの関係者の出席のもと、干陸式が行われました。
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8.5
昭和44年(1969)に八郎潟を模した台座の上に、世紀の大事業を刻した「八郎潟干拓碑」が建立され、関係者の干拓工事への思いを知ることができます。
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9.5
八郎潟干拓碑案内板。
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碑の周囲が雨で水溜りになっていたため、裏面碑文は読んでおりません。
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八郎潟干拓碑案内板。※内容は上記と同じ
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干陸式の様子。
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赤城宗徳農林大臣、ヤンセン教授など、多くの関係者が出席した。
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黒松の記念植樹が行われた。
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八郎潟の生いたちと大潟村…『八郎潟は、地球全体の気候の変動に伴う海面の上昇・下降の影響をうけながら、約1万年の時をかけて誕生した湖です。その湖に、食糧増産のため1957年(昭和32年)から20年かけて八郎潟干拓工事が行われ、湖底は広大な農地に生まれ変わりました。大潟村が誕生したのは工事途中の1964年(昭和39年)のことです。』
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八郎潟干拓地の断面図。
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総合中心地案内図。
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大潟村案内図。
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