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秋田県南秋田郡大潟村村西南。
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大潟神社の由来…『我が国は恒常的に不足する米の生産増大を計画し琵琶湖に次ぐ大湖である八郎湖を干拓し、17千ヘクタールの台地を創造し近代的な農法による日本農業のモデルとなるような「豊かで住み良い農林社会を作るため、そのパイオニアとなるべく入植者を全国より募ったわけですが、歳月を経るとともに、故郷を離れて集まった入植者にも過ぎし日に想いを巡らし恒久の平和と繁栄を願う心のよりどころとなるべく鎮守の社が欲しいと言う機運が高まった頃、折しも伊勢神宮では第60回の遷宮があり、各関係機関のご指導、ご援助と神宮本庁の格別なるご配慮を賜り、伊勢神宮の別宮(滝原竝宮)1棟を拝受し、昭和58年村民悲願の大潟神社が、この地に建立されたのである。●祭神は天照大神(皇室祖先神)伊勢皇大神宮祭神、豊受大神(うぶすな神)伊勢外宮祭神、八郎太郎大神(八郎湖伝説の主)三神合祀●年中行事…1月1日(歳旦祭)年の始めを祝い佳き年であるよう願う。2月11日(祈年祭)五穀豊穣・無病息災を祈る。●9月10日(例大祭)年一度の村祭りとして賑やかに行う。11月23日(収穫感謝祭)穫れた作物を、お供えして感謝する。』
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大潟神社…『1964年(昭和39年)10月1日に大潟村が発足すると、入植とともに、役場や小学校、住宅、商店街などの生活環境が整備されていきました。やがて、住民の連帯の精神的象徴として、神社の建立を多くの村民が望むようになりました。折しも伊勢神宮では、1973年(昭和48年)、第60回の式年遷宮が行われました。多くの関係者のご理解とご協力により、翌年伊勢神宮の瀧原竝宮1棟の古材をまるごと譲り受けることができました。これを用いて1978年(昭和53年)、大潟神社が建立されたのです。大潟神社には、皇室の祖先神で太陽の神である天照大神、豊穣の神である豊受大神、八郎潟を創造した八郎太郎大神の三神が合祀されています。大潟神社の例大祭(村祭り)は毎年9月10日に行われ、村内をお神輿が行進するほか、奉納相撲も行われます。』
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三十周年記念植樹碑。
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鳥居。
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白鳥短歌会合同歌碑。
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昭和62年盛夏、石黒久司書。※短歌は省略
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灯籠かな?
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参道。
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灯籠三対(昭和61年11月吉日)。
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11.5
社殿前。
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手水舎。
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手水石。
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狛犬一対(昭和53年11月24日建立、大潟村商店有志一同)。
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15.5
石灯籠一対(昭和53年11月25日建立)。
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16.5
「献 ゆずりは一対 四十周年記念植樹」
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「献木 八郎潟新農村建設事業団理事長 和田正明」
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石灯籠一対(開村20周年記念、昭和59年10月1日)。
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19.5
参道を振り返るの図。
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社殿。
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21.5
社殿の横にある社務所的な建物。
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御祭神は天照大神、豊受大神、八郎太郎大神。例祭9月10日。昭和53年11月建立。
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日本第2の湖といわれた八郎潟は昭和32年国営事業として干拓に着手し、昭和39年9月干陸を終えました。この新生の大地に同年大潟村が誕生し、米を主体とした近代農業を営ませるため、全国各地から入植者を募り、昭和42年から昭和49年まで3,700戸が入植。住民はかねてから心の支え、あるいは心の拠り所として神社の建立を願ってきましたが、住民の根強い要望により秋田県神社庁の指導のもとにその準備も順調に進み、御祭神については農業を本旨とするに相応しい天照皇大神、豊受大神、それに古来から八郎潟の主として崇め奉られてきた八郎太郎大神の三柱の豊斎としました。
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拝殿向拝蟇股、注連縄。
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拝殿向拝神額。神社本庁統理徳川宗敬謹書。
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拝殿内。
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本殿裏。本殿裏手には八郎潟干拓碑がありますが別記事にしております。
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土俵。現在の土俵とは異なりますが、昭和39年の干陸式でも相撲が行われています。
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大泻神社建立記念碑…『八郎泻はその昔竜神八郎太郎が命運をかけて創造したと伝えられる。我が国第二の大湖であったが国の食糧事情により昭和三十二年から八年にわたる歳月を費やす国営事業によって一万六千ヘクタールに及ぶ干陸が行われ昭和三十九年十月一日大泻村が誕生したのである。現在まで約一千世帯、三千五百人の人口をもって、国の理想農村づくりを目指しながら建設を進めてきているが、全国三十八都道府県からの入植者であり、歴史も浅いため老若男女を問わず大多数の農民から心のよりどころとしての鎮守の杜が要望されていた。幸い昭和四十八年に伊勢のご遷宮を機会としてそのお古材を払い下げて頂くため同四十九年に秋田県神社庁のご指導を得ながら、三重県出身の入植者を案内役とし大泻神社建立奉賛会準備委員会の代表が小畑県知事の依頼状を携えて伊勢神宮へ参上したのであるが、当時の徳川大宮司より、新村大泻村の特殊使命をご考慮いただき「滝原並宮」一棟をそのまま拝領したものである。今後全村民は言うに及ばず、毎年国内外より来村される七・八万人の視察者においても叙上のごとき伝説と歴史を理解され、ともども心身の多幸を祈り将耒の繁栄に向ってご参拝くださることをこいねがい、大泻神社建立の辞とする。昭和五十三年十一月二十三日嶋貫隆之助撰文』
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