大館市餌釣山王岱。
一之鳥居(山王鳥居)の周囲は巨木で囲まれています。
餌釣村は戦国期から見える村名。はじめ陸奥国比内郡のうち。秋田氏領となり出羽国秋田郡内に所属。初見史料は慶長2年9月3日「浅利頼平領内村数覚書写」。「ゑつり村」は家数7軒の村と記載。天正19年豊臣秀吉が秋田実季の当知行を安堵した朱印状写に記載の「につ里村」を当村に比定する見解もありますが、この村は阿仁地方の村なのでこの見解は採れず、同朱印状写では大館村1,099石余のうちに含まれていたと推定。実季は頼平を当地方の代官と認めて当村管轄も委ねました。慶長3年頼平横死後、実季は当村を館山市内の知行地として宛がいます。「慶長6年秋田家分限帳」では餌釣村74石余と石高を明記。なお集落付近に館の小字が現存。明確な館址は未確認ですがこの時期の土豪居館址に関係があると推定。修験大福院は近世初期に大館町の大町に移るまで当村にありました。


江戸期以降、出羽国秋田郡南比内のうち。秋田藩領。「正保国絵図」(伊釣村)、「元禄7郡絵図」ともに105石の村と図示。しかしこの間餌釣沢からの堰用水を改修し新田開発が進みます。「享保黒印高帳」では村高345石余・当高297石余(うち本田97・本田並54・新田150)、「寛政村附帳」で当高142石余(うち蔵分5・給分137)と認定。両帳簿間の当高の差は天明年間の大飢饉を契機とした打直し検地の結果によると推定。餌釣沢の流れる東方の広大な山林地帯は、餌釣沢の名称下に享保年間藩から御留山に指定。戸数は「享保郡邑記」で22軒、「秋田風土記」で30軒。親郷扇田村の寄郷。川口村と大館町の間の羽州街道の丁間整備も分担。十二所所預の管轄下にありますが、19世紀には大館給人平山氏らの給分も当村内に指定。「天保郷帳」は297石余。安政年間には217石余、53軒・203人・馬66頭。村鎮守は日吉社(例祭5月8日)。戊辰戦争時には南部藩の侵入により激戦地となりました。明治11年戸長役場を扇田村に置く16か村と連合。同13年南接の山館村羽立地区に餌釣小学校を開校。同22年北秋田郡上川沿村の大字。
山王鳥居。
社号標「邨社日吉神社」(昭和8年5月8日餌釣部落一同)。

参道。
馬頭観音堂。

馬頭観音。
比較的新しい馬の絵が奉納されていました。

石殿。木札には縣社中村神社と見えます。


社殿の横に出ます。
狛犬一対(安政6年己未4月)。
石灯籠一対。


狛犬一対(村中一同)。
手水石かな。

こちらは不明。

御祭神は大山咋命、天照皇大御神、大斗毛和気尊、豊受姫神。例祭日5月8日。
創立年代不詳。
明治8年11月19日村社に列格。神饌幣帛料供進指定神社、無格社八幡神社、無格社稲荷神社、無各社相善神社を合併。


幣殿・本殿覆屋。


唐破風懸魚、蟇股、木鼻等。
手鋏、虹梁、組物。
拝殿向拝神額「村社日吉神社」。

社殿前石灯籠一対。


社殿横の建物。

石殿。棟札には「淡嶋神社神位 昭和24年7月25日鎮座」とありました。

御祭神は少彦名命もしくは薬師如来でしょう。少彦名命は紐を通した穴の開いた石がありました。目・口・耳など身体の穴の病を治してくれます。


石殿。何かは不明。

境内は餌釣館跡です。主郭跡と思われ、写真は撮ってませんが明らかに空堀と思われる遺構がありました。公報おおだて(昭和59年11月16日)より…餌釣館。市内餌釣字山王岱の日吉神社境内一帯が館跡である。その名称には大字名の「餌釣」を冠したが、当館跡を「山王館」あるいは後述することから「池内館」と称することが妥当かも知れない。今後の三地域の考古学的研究の進展に負うところが大きい。館は、大館地方の代表的な単郭式城館跡の一つである。郭部は南北約百二十㍍、東西約八十五㍍の矩形で、その北西部に長さ約四十五㍍、幅約二十五㍍の突出部がつく。郭部の南側と北側には小侵蝕谷があって空堀に利用し、郭部の東側には小侵蝕谷に連絡する幅五~十㍍の人工の空堀を配して台地と切り離している。保存状態はきわめて良好である。この館に関する直接の記録は不明だが『浅利與市待分限』に「生内権助」の名がみえ、当館の西方約八百㍍に池内集落があって生(池)内権助と縁の深い館跡ではないかと考えられる。『長崎氏軍記』によると生内権助は浅利家三代勝頼を刺殺、勝頼の嫡子頼平の次男頼広が市里(餌釣)で権助をみつけ南部門野まで追って討ち取ったという。池内地区に「タテ状遺構」はまだ確認されていない。八幡神社の座す上野地区は城館築構の適地だが、外観上から城館遺跡に伴う空堀、帯郭等の遺構はみられない。餌釣館の東側旧扇田道は、古くから大館と扇田を結ぶ重要な道路であって、餌釣館はこの古道を押える要部にあるといえる。
山神社。

不明の石。



こちらも読み取れず。

大山祇神(文久2年壬戌6月12日)。

稲荷神社。

金毘羅大権現。

田代山神社(大正3甲寅年1月建立)。

三日月(安政4年丁巳5月)。

こちらは読み取れず。

小祠。

蒼前社かな。馬が祀られています。

石殿。

何かはわからず。秋田の場合、唐松講かなって思ってしまいます。

古四王神社。

目ノ神様。



































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