秋田県大館市道目木屋布添。
道目木はかつて百目木とも書き、大館盆地からやや東に入って西流する米代川の中流域左岸部に位置。東は大滝温泉。耕地狭小の地。地名は川水が小滝状に落ちる水音に由来。江戸期以降の道目木村は出羽国秋田郡南比内のうち。秋田藩領。十二所所預の管轄下。正保国絵図には百目木新田村68石。元禄7郡絵図でも道目木新田村63石余と図示。その後、道目木村として軽井沢村の枝郷となり、享保年間の郡村改めで黒印御定書を交付されて親郷十二所町の寄郷となります。享保黒印高帳では村高112石余・当高76石余(うち本田54・本田並1・新田21)。寛政村附帳で当高43石余(すべて給分)。天保郷帳では76石余。戸数は享保郡邑記で19軒、秋田風土記で20軒。安政年間には23軒・101人・馬38頭。村鎮守神明社の他に稲荷社が見えます。中央部を鹿角街道が横断しており、集落より南方の見越(棚越)の峠を経て味噌内・独鈷に通ずる主要道があります。周囲の松・杉の山中は入会地として保証。明治7年十二所町に一時併合されましたが、同11年北秋田郡下の村として独立。同22年北秋田郡十二所町の大字となります。同22年以降の道目木ははじめ十二所町、昭和30年から大館市の大字。

植林記念碑(昭和51年9月14日建立)※植林は昭和38年、同39年、同44年、同49年

猿田彦神社(明治7年甲戌10月)
二十三夜塔。

社号標。

社号標裏面碑文…『創立安永8年6月10日拝受。昭和52年に創立二百周年式典挙行。昭和62年旧3月13日で二百十周年記に社標寄贈』

参道。
社殿。
安永8己亥年(1779)創建。御祭神は倉稲魂命。

拝殿向拝神額。拝殿向拝に掲げられている神額としては古いものですね。状態も良好です。

「正一位稲荷大明神」(元治紀元甲子盂夏、願主十二所福岡三五右衛門・大森金藏、平幹武謹書)



拝殿内。綺麗です。
本殿覆屋。

石殿二基。

どちらも何かはわからず。

文字が彫られている気もしますが読み取れず。一基は稲荷宮でしょうか。

崩壊している石灯籠等。

こちらは末社になるのかな。道路を挟んで稲荷神社の向かい側の敷地内に鎮座しております。

保食大神です。

中には石殿とたくさんの絵馬。棟札には「奉齋保食大神神位」・「大正参年五月廿九日旧五月五日、奈良永吉」とあります。



マンホール蓋。

こちらは稲荷神社から少しだけ離れた場所にあった碑。『道目木地区県営担い手育成基盤整備事業「我が里の未来をひらく担い手の夢なる」大館市長小畑元書』とあります。

裏面碑文…『【由来】道目木地区は、大館市の東端に位置して、総面積約250ヘクタールで冬期間の約半年は雪に閉ざされる雪国の農村です。古来より自然の雨水に頼り、ため池を水源とした稲作農業であったが、昭和36年より揚水事業を行い用水の確保が図られました。しかし、年々施設の老朽化が進み、施設の更新が急務であること、また圃場条件の整備と団地化を推進し農業の近代化、経営合理化を図ることから、水田面積約40ヘクタール余りを以て、担い手育成基盤整備事業に取り組むこととなりました。ここに事業の完成と、関係者各位の労苦を称え本事業の成果を永く記念しこの碑を建立するものです。平成15年5月吉日大館市十二所土地改良区【事業の概要】工期:平成9年~14年。総面積:40ヘクタール。受益面積:35ヘクタール。市道:950m。農道:5300m。排水路:6400m。揚水機:2台。送水管:1100m。用水管:6600m。関係戸数:38戸。総事業費:9億4千万円【事業推進委員長】奈良一雄【副委員長】奈良貞治【委員】奈良秀治、奈良直栄、奈良新八、福岡金美、奈良豊吉、奈良一、奈良福美、奈良義明、奈良直治、福岡直巳【大館市十二所土地改良区理事長】花田昭【職員】谷田部キミヱ』



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