『階上岳(臥牛山)』からの続き。
階上嶽大明神鳥居(平成19年7月吉日建立、臥牛山友の会奉納)。
大開平から頂上へ向かいます。

階上岳龍神水も同じ経路です。

大開平(8合目)からだと本当に気軽ですね。緩やかな散策路のみなので軽装で大丈夫です。

豊かな自然の息吹に満ちた階上岳は、山つつじ、山菜、野鳥の宝庫です。
所々に山つつじがあります。


登山道。
つつじの森休憩所&階上岳浄水棟。

やや余談になりますが、八戸市妙桶屋平(妙野村)に階上岳大明神本宮があるようです。寛文5年の無量院の御立願状には「一、妙村ノ大明神 絵馬納事」とあります。階上氏の先祖は岳神社の別当をしており、江戸初期から大学院・福善坊等の修験を先祖にもちます。宝暦5年の堂林寺門間数改書上帳の鳥屋部嶽大明神の項には「妙村本宮大明堂」とあります。八戸藩日記の延宝7年6月4日条の妙野大明神堂棟札写によりますと、天正13年に大檀那八戸政栄(根城南部氏18代)が建立し、慶長16年に大檀那八戸直政(同20代)が再興したと伝えます。延宝2年5月1日条に、妙野大明神御宮が建立され、大工奉行が任命されており、同6年9月11日祭札には三三騎の代参が行われました。弘化年間の別当は大学院。昭和40年項に、内妙から現在地に移転。例祭日は旧暦5月19日で、信者は本宮に参詣した後、階上岳の頂上に登拝することを例としています。階上町史より一部抜粋(階上岳大明神(大明権現))…『階上岳の頂上には明神様が祀られているが、その本宮は、妙野村(八戸市大字妙)にある。この神様を代々司ってきたのが大学坊という山伏で、明治まで八代ぐらい続き、「階上」を姓としてきた。八戸市大字妙に「階上」を名乗っている家が四軒ばかりあるがみなこの一族である。階上岳の明神様は「岳大明神」と呼ぶのが正しく、ここの権現様のことを「大明権現」と言った。権現様は日和乞いや雨乞い、地鎮や風鎮、豊作加護、悪魔払いなどを行なってきたが、春祈祷のときなどに鳴物入りで歌と一緒に舞ったのが神楽であった。その舞曲は権現舞、祈祷舞などに総称されている番楽太郎、三羽、翁、武士、鳥舞、山の神、盆舞、荒神などである。(中略)山伏たちは、この地方において三百年以上のむかしから修験者、祈祷師として強力な組織を持っていた。自分に信仰的支配を委せられた地域のことを霞(かすみ)と呼んだ。もちろん、厳しい修業を積まなければ御綸旨(院号免許)をもらうこともできず、霞をもつことも許されなかった。多分七代目大学院だろうと思われるのであるが、次のような御綸旨を受けていた。「院号御免之事 被聞召訖不可有子細旨 検校官依御気色 三山奉行若王子御房所被 仰出也仍執達如件 法眼 秀孝 花押 弘化四年正月廿五日 法橋 秀賀 花押 大泉坊同行 奥州三戸郡八戸妙野村 大学院玆良」八戸御城下一帯を統率していたのが常泉院で、各村々に山伏のいたことが記録に残っている。(中略)階上岳大明神の例祭は旧暦の5月19日である。毎年この日は、八戸市の鮫や白銀、十和田市などから、白装束に身をかためた信者たちが30人から50人ぐらい参拝する。まず八戸市の妙にある本宮にお参りをすませてから頂上の大明神に登り、一心不乱に祭文を唱えながら神前にひれ伏すのである。霊峰階上岳のしじまの中に、ひたすらに祈る信者たちからは山岳行者たちのような真剣さがひしひしと感じられる。』
つつじ。
途中で階段になりました。その先に鳥居が見えています。
鳥居(平成19年6月17日建之、臥牛山友の会奉納)
階上嶽大明神。階上嶽大明神にかかわって閉伊穴の伝説が語り伝えられています。
このような感じです。御蒼前様・御不動様・多聞天様・大山祇・十六尊・白神様・八代龍神様・権現様が祀られているという資料は見ました。
大明神と刻む石塔。八戸市の信者(上村すき、信者一同)が奉納したもの。紀年銘は昭和13年旧6月。

こちらはわからず。

不動明王。多くの修験がこの地で行にいそしみ、不動尊を拝んだことから納めたものと考えられます。酉年生まれの人に対して御利益があるとも言われています。「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」
こちらもわからず。

石殿。

嶽大明神。

登山二十年記念(昭和23年7月19日信者一同)

こちらの石碑は木が邪魔で見えず。

長くなりましたので、『階上岳龍神水』に続く。



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