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岩手県二戸市白鳥字金林。折爪岳の麓。
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日吉神社標柱「日吉神社いわれ」より…『日吉神社の創建は大同2年(807)、蝦夷平定のために北上した坂上田村麻呂が、近江国大津坂本から山王権現を遷奉勧請したことに始まると伝えられている。10月第1日曜日の大祭に奉納される「七ツ物」は、弘仁2年(811)、文屋綿麻呂の蝦夷征伐のとき、戦士が戦い勝利を喜んで、先棒、槍、なぎなた、斧、弓矢、戦手、杵手の7つの武器をもって踊ったのが始まりといわれている。』
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狛犬一対(昭和16年旧3月15日)。
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4.5
入口付近の建物。
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駒形大明神。
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6.5
手水石と石灯籠一対。
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7.5
狛犬一対(昭和13年旧5月17日・和山千次郎建立)。
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8.5
石塔群。
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豊斟淳尊。
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他読み取れず。
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参道石段。
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ちなみに女坂もあります。また、途中で男坂と女坂が合流する場所もあります。
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女坂方面にある石塔。
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いずれも墓碑です。
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15..4
15.8
正面参道に戻ります。
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途中の狛犬一対。
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17.5
阿形はワイルドな表情です。
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18.5
石段参道見返り図。
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御祭神は国常立神、神皇産神、大山咋神。創建は大同2年(807)。祭礼に奉納される勇壮な踊り「七ツ物」とともに古代東北の戦乱の歴史を物語る神社。
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蝦夷平定のため北上した坂上田村麻呂が蝦夷の強い抵抗に遭い、近江国大津坂本から山王権現を勧請したことに始まると伝えます。弘仁2年(811)、文室綿麻呂がこの地を訪れて蝦夷制圧に成功します。坂本の七ツ物とは、弘仁2年(811)に、文室綿麻呂が蝦夷を征伐した折、戦士たちが勝利を喜び、武器を持って踊ったのがはじまりと伝えます。七ツ物に使う道具(武器)は、先棒、槍、薙刀、斧、弓矢、戦手、杵手(きねて)の七つ。
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岩手県神社庁によりますと、中古の昔、延暦23年(804)3月、征夷大将軍坂上田村麻呂が志波城を築き、閉伊爾薩平の蝦夷平定の策源基地とし、中でも頑迷にして朝旨を拒む爾薩平の夷首伊我古の境に臨み、田村麻呂の守護神である神代より比叡山(京都)に鎮り坐す国家鎮護の神大山咋神を営中に一祠守を建て奉祀したのが当神社の起源であり、弘仁年間(810-823)に至り田村麻呂の舎人、足名が時勢の流布に従い聖観音を安置し正利山観音と称したが、明治維新の折日吉神社と改称したとあります。
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幣殿・本殿覆屋。
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拝殿内。
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正面には神武天皇と八咫烏らしき絵があり、両脇に「皇太子殿下御成婚奉祝記念」の木札、更に両脇には七福神の絵馬などがあり、その下には天女が描かれた欄間。
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25.4
25.8
拝殿前の石灯籠一対(昭和6年旧9月・平野重大)。
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26.5
「日吉神社」と刻まれた石碑(明治43年)など。
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末社覆屋と狛犬一対。
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阿形の顔は激しく破損。足元に破損した顔の一部あり。
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29.5
末社。
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30.5
こちらは女坂の途中にある金勢堂。
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金勢様が3本祀られていました。
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