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三戸郡五戸町石仏前。上兎内との境。正子のチューリップ園の近くです。
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永仁5年(1297)の土地調査によりますと、堰袋(主に川原町古堂、油出付近)、兎内、新井田、大崎、大森、市川(北市川)、小市(池ノ堂)などの部落があり米作りをしていたといいます。中世になると、地方の豪族がその土地を支配するようになりました。約450年前、木村一族が開田事業を進めるようになり、用水政策に力を入れ、各地に新水路の開拓と増産計画が行われました。当時、南部利直公は木村杢助に手紙を送って激励していることでも熱意の示しかたがわかります。五戸川の古館下の川を止めて堰掘りが木村代官の時行われました。下川原から揚水して石仏川原に流水する工事です。地元の口伝は「提灯測量」と呼んでいました。その時の工事名は五戸村用水堰、通称木村堰と農民は呼んでいました。完成したのは元文5年(1740)。用水堰の工事中に石仏金沢宅の入口近くで大きな石が土中から掘り起こされました。その石が仏さんのような顔に見えたといいます。作業に従事した農民は「石の佛さん」に似ているというので小さな祠を建てて祭りました。この石が発見された後に「石佛」の部落名が生まれたといいます(それ以前は兎内部落)。恐らくその石佛が当神社の御神体。
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鳥居は平成11年4月7日完成。
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狛犬一対(昭和8年10月1日建之、鐵道30年間奉職紀念、中村富嗣。八戸大工町石工杉本安太郎刻)
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5.5
社殿。
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向拝。
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蟇股・木鼻等。
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拝殿内。権現様があります。
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本殿…扉開いてる…
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庚申塔。
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こちらの庚申塔はかつて部落の交差点にあった追分石。下部に「右ハ五戸、左ハ山道」とあります。
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紀年銘は微妙に判読不能。慶應2年丙寅6月吉日當村中かな。
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こちらは秋葉山・二十三夜。紀年銘は判読不能。上と同じ紀年銘に見えますがもちろん自信なし。
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境内にあった不明の石。
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神社前にある石仏の冷害対策農道竣工記念碑(昭和29年12月25日建立。高さ2.5m、幅45cm、厚さ10cm)。道路は石仏から小渡を通り、地蔵平に出る農道。
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裏面には工事費121万8千円、全長1540m、補助金56万280円、村負担65万7千720円、竣工昭和29年3月30日、施行委員長鳥谷部喜兵衛、総監督木村栄司…他、会計、委員、土地寄進者、五戸町長等の名を刻みます。
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